王子ハサウェイ

 帝国産だとすれば、そのワインのラベルには帝国の紋様があるはずだ。

 それがどこにもないということは十余数ある諸王国産か? ……にしてはどの国の印も紋様もない。

 しかしハルベリー家は帝国の臣民だ。

 密造か何かか?

 一瞬、そんなことを疑ってしまった。

 もし犯罪に加担しているとあれば、船に乗っているハルベリー姉妹を引き渡すということにもなりかねないが……?


「ハルベリー商会……ハルベリー家、か。それで王国が帝国の一商会になんの御用ですか?」

「さっきも言ったが、二人は、この船団に勤務しているはずだ」

「それは知りませんね。部下のすべてを把握しているわけじゃない」

「……たかだか、三百人程度だろう。賢くないな、アルナルド殿下。その二人を譲って欲しいとそう言っている」

「物ではないと先ほども申しはずですよ、ハサウェイ。貴方に今できることはそのまま回れ右をして、上に待つ飛行船で王国に戻ることだ。セナスではなく、ラフトクラン王国にね」


 ハサウェイの笑顔が溶けてきたのをアルナルドは感じていた。

 余裕の表情の奥にあった凶暴性が微妙に顔を出し始めている……。

 研修の期間を終えたラフトクランの狂犬とまさか帰国の途中で出くわすとは、アルナルドも予期していなかった。

 サラのことは気づいていないか。それとも――どこまで知っている、この男は。

 ロイズとはまた違った野生の勘のようなものがすさまじく発達した第一王子ハサウェイ。理詰めの賢者のような感覚で生きるアルナルドとはタイプが両極端過ぎて、王国時代から二人は反りが合わないことで有名だった。


「不敬だな、アルナルド。だが、ここは帝国の船でもあるしハルベリーとは知らない仲でもなくてね?」

「知らない仲じゃない? それはどういう意味ですか、ハサウェイ」

「そのままだ。男と女、同じ戦場にいればそういうこともある」

「帝国軍とは言ってもこの船は海軍ですよ。貴方は陸軍だったはず。どこに接点があると言うのですか」

「士官学校の同期生が共通の友人でね」

 

 嘘くさい。だが、判じる証拠もない。

 薄っぺらい笑顔の下にあるのはどう考えても王位の奪還を目的にした何かとしか思えない。

 こんなに分かりやすい行動を取るから――ロイズに出し抜かれたんだよ、ハサウェイ。

 王国の保守的な封建制度を重んじる貴族たちは第一王子と、彼にべっとりな第二王子を推していた。

 国王と議会は権威主義よりも帝国の介入を阻止しようとして、第三王子とサラの結婚を後押ししていた。

 その筆頭だったレイニーの父親がサラの味方につき、元々第三王子派だったサラの実家と手を組んだことでロイズの足元は盤石になったというのに。

 めんどくさい。

 サラがあの夜、こんなめんどくさい婚約者の仕事なんてレイニーに押し付けてやりたいと言った意味が、アルナルドにはひしひしと理解できた。


「どうでもいいですよ、そんなことは。貴方に渡す人員はこの船にいても、居ないと再度、通告します。こんなワイン程度で何が変わると言うんだ……」

「変わるかもしれないぞ、アルナルド。君の帝位継承権の問題も――な?」

 

 そこまで言ったところでハサウェイは隣に立つ近衛騎士の片方から「王子!」と、小さくたしなみの声をかけられて黙ってしまう。

 いまなんて言った、この男。

 帝位継承権問題を口にしたのか? たかだか、分家の長男ごときが?

 この船に何人、帝位継承権を持つ人間がいると思っているんだ。愚か者が……アルナルドは帝室の人間として小さく拳を固めていた。


「確かに、ここで血を流すのは賢くない。僕にも、貴方にもだ。ハサウェイ……なぜ戻って来た? そのまま帝国正規軍にいれば、いずれこき使ってやったものを」

「賢くない返事だ、皇太子殿下。いずれ困るのは君かもしれないぞ? まあ、いい。いまは引くとしよう。そのワインをせいぜい大事にするがいいさ。バーディー・ハルベリーによろしくな、アルナルド」

「二度目の乗船は無いと思ってもらいたいね、ハサウェイ王子」

「ふん」


 子供の相手はしていられない。

 そんなふうに肩をすくめると、背中まで伸ばした金髪をひるがえしてハサウェイはソファーを立つ。

 従者らしい従者もつけず、貧相なものだ。

 アルナルドは胸の苛立ちを抑えながら、裸の王様のようなハサウェイ王子を見送った。

 しつこいこの男のことだ。どうせ、あの場所――海路から航路へと乗り換える島で待っているに違いない。

 めんどうがまた増えた。

 サラだけはどうにかして隠し通さなければ……アルナルドはワインを思い返すと、ハルベリー姉妹を呼べと部下に命じたのだった。

 


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