第29話 閑話:エドワードの窮地

「くそっ!!」


 エドワード・フリートベルクは怒声と共に、紙束を壁に叩きつけた。

 それはいつも通りに女を侍らせ、高価な食事を用意させ、酒瓶を空けてと享楽の限りを尽くす変わらない毎日――そんな、今日の朝に届けられたものだ。

 代理人として雇い、現在ほとんど領地のことを一任している男――リチャードが持ってきたそれは。


 帝国議会からの、正式な公文書である。


「一体どういうことだっ!!」


「どういうことだと言われましてもね……」


「俺はっ! 正当な血脈として領主を任された! 爵位を得た! そうだろうがっ!!」


 くそっ、と再び吐き捨てる。

 父親であるハロルドから、領主とは何たるかという教育を受けたエドワードは、次期フリートベルク伯爵として育てられた。帝国にとって血筋こそ第一であり、長兄が爵位を継ぎ領主を行うのが一般的であるからだ。

 だが父親の様子を見ているうちに、そして領地の情勢を見ていくに従い、エドワードにとって自分が継ぐ領地がどれほどの外れであるのかよく分かった。分かってしまった。田舎であるがゆえに若者がこぞって離れてゆき、農村は老人ばかりで生産力は右肩下がり。加えて盗賊も横行しており、その盗賊に対するまともな対策もできない。ゆえに年々赤字ばかり増えているという、完全に詰んだ領地だったのだ。

 ゆえに、捨てた。

 丁度、恋仲になった近くのパン屋の娘、マチルダと共に身一つで領地を屋敷を逃げ出し、新天地で共に暮らそうと誓ったのだ。こんな、赤字だらけの領地を背負うくらいなら、ゼロから始めた方がましだ、と。


「くそっ! くそくそくそっ!!」


 歯車が狂い始めたのは、マチルダと暮らし始めてすぐの頃だろうか。

 貴族の生まれであり、次期伯爵として育てられてきたエドワードに、労働の経験はなかった。それでも、マチルダは「一生懸命働いて、幸せになりましょう」と言ってくれた。だから必死に仕事を探して、日雇いの人足として働くことにした。

 だが、それも長くは続かなかった。

 元より貧乏伯爵家とはいえ、貴族の生まれであるエドワードだ。その気位は高く、いつかこう思うようになってきたのだ。何故貴族の長兄として生まれた自分が、こんな卑賤な仕事をしているのだ、と。

 次第に仕事にも行かなくなり、家にいる時間が増えた。最初はマチルダも何も言わず、彼女は彼女で仕事をしていた。そうしているうちに、何もしていない時間が苦痛になり、酒に逃げた。マチルダが働いて稼いだ金を使って、賭け事に興じた。そうしていくうちに金がなくなり、借金を重ねていった。

 そんな日々に、そしてエドワードに愛想を尽かしたマチルダから、三行半を突きつけられたのも当然だろう。

 家を捨て、女に捨てられ、何もなくなった。


「ジンっ……!」


 転機が訪れたのは、噂を耳にしてからだ。

 それも、最初は耳を疑うものだった。フリートベルク領は景気が良く、生産量が増え、安定した綿糸を卸しているというものだったのだ。完全に詰んでいたはずの実家が、噂に上るほど儲けている――その事実を、最初は信じることができなかった。

 だが実際に話を聞いてみると、それが事実だと分かったのだ。どういう理由かは分からないが、動く骸骨を使って農作業を行っている村があるのだという。その結果、休耕地がなくなり、生産量が右肩上がりであるのだとか。

 そこで、エドワードの心に囁く声があった。

 現在の領主は、ジン・フリートベルク。エドワードの弟であり、フリートベルク家の三男だ。魔術の才能があるということから、三兄弟で唯一魔術学院への進学を認められた男である。

 だが本来、その席に座るのはジンではない。エドワードだ。

 少しばかり領地を離れてはいたが、フリートベルク家の長兄は間違いなく自分である。

 ならば。


 その『景気のいい領地』の領主は、自分であるべきだ。


 実際に領地に戻ってみれば、事実噂通りの好景気を見せていた。

 そして領主――ジンに実際に会ってみれば、昔と変わらないお人好しだった。こいつなら、口先で騙せばエドワードが領主になることができる。そう思えるほどに。

 その考えは、上手くいった。エドワードはジンから領主を譲られ、領地の全てを手に入れた。金の成る木を、そのまま受け取ったのだ。帳簿を少し眺めるだけでも、翌月に入る金の量ににやけてしまうほどの、好景気の領地を手に入れたのだ。

 それが、三ヶ月ほど前のこと。

 この三ヶ月は、天国にいるような気持ちだった。奴隷商人から見目のいい女奴隷を買い集め、高級な酒を唸るほど飲み明かし、高価な食材を惜しげもなく買い求め、まさに『貴族としての理想の生活』をしていた。領地の運営を全て、代理人であるリチャードに任せて。


「どういうことなんだよっ! ジンっ!!」


 だが、そんなエドワードに届いた、帝国議会からの正式な公文書は。

 題を、『宣戦布告書類』。

 長ったらしく数枚に渡って書類が並べられているが、要約するとこうだ。

『領地の運営に対して不満を抱いている領民と共に、前領主であるジン・フリートベルクが蜂起し、現領主エドワード・フリートベルクを追放する宣言を行った』。

 あまりにも意味の分からない書類に、エドワードの怒声も強くなる。


「まぁ実際、これだけ自堕落な姿を見せてましたからねぇ。弟クンも堪忍袋の緒が切れたんじゃないですかい?」


「はっ! 貴族なんてこんなものだろっ!」


「領民たちの話を聞くに、真面目な好青年だったみたいですからねぇ。町民からもよく、『ジン様は我々のことを第一に考えてくださっていたのにねぇ……』みたいな不満を聞きますよ」


「うるせぇ!」


 怒気と共に、リチャードに向けて酒杯を投げつける。

 しかしリチャードは飄々とした様子でそれを避け、小さく溜息を吐いた。


「たかが借金取りが、俺に意見するんじゃねぇ!」


「今は立派な、領主代理人という立場ですよ。もう借金は返してもらいましたからねぇ」


「うるせぇ! だったらお前も考えろ! どうすればいいっ!」


「知りませんよ。あたしゃ、金貸しよりも儲かるからあんたに従ってるだけですし。領主じゃなくなるってんなら、あたしゃまた金貸しに戻るだけでさ」


「くそっ……!」


 公文書は、何度も読んだ。何度も何度も読み返した。

 その結果、好転する未来が何一つ浮かばなかったのだ。領民たちは前領主であるジンのことを慕っているし、農村の領民はエドワードの顔など全く知らない者がほとんどだ。この状態で、ジンがエドワードを粛清するために立ち上がると聞かされれば、間違いなく領民たちはジンにつくだろう。

 そして、何より最悪なのが。

 ジンが屋敷を去る際に、「スケルトンを作ったのは俺だから、命令の最上位は俺という形になってる。兄さんはその次に設定したから」と言い残したことだ。

 つまり、もしもジンとの戦争になれば。

 それは――領民全員、スケルトン全てが相手になるということ。


「どうして、こんな……っ!」


「あんたが好き勝手やりすぎたからでしょうよ。ま、もう少しまともな領主をやってれば、弟クンもそんなに怒らなかったんじゃないですかい?」


「くっ……!」


「ま、あたしは泥船に乗る趣味はありませんので」


「うるせぇ! 役立たずがっ!」


「へぇへぇ」


 エドワードの罵声に対して、リチャードは鼻を鳴らして背を向ける。

 それから暫く罵倒を続けたが、リチャードは飄々とした様子でそのまま屋敷を出て行った。

 ジンの思わぬ反乱に、戸惑うしかない。一体どうすればいいのか。一体どうすれば、今のままの生活を続けていられるのか。

 エドワードはソファに腰掛け、項垂れる。奴隷の女たちは、部屋の外から遠巻きにそんなエドワードを見ていた。

 今は、どんな女が来たところで、全く興奮などしないだろう。


「く、そっ……」


 素直にジンに謝罪をすれば、あのお人好しの弟だ。許してくれるだろう。

 だが、領主としての立場は失うだろうし、爵位も失う。そして今後、この屋敷に住むことができるかどうかも分からない。そして領主はジンになり、伯爵も同じくジンになる。そうなれば、もうエドワードの好きに金を使うことなどできなくなる。

 どうすれば。

 どうすればいい。

 どうすれば――。


「失礼」


「――っ!? 誰だっ!?」


「ああ、怪しい者ではありませんよ。あたしの知り合いでさ」


「初めまして。エドワード・フリートベルク様」


「なっ!」


 背後から突然かけられた声に、狼狽する。

 だが、その視線を後ろにやると共に、エドワードは言葉を失った。

 そこに立っていたのは、リチャードと並んだ美女。

 見目麗しい者ばかりを選んだエドワードの女奴隷たち――その全てを合わせても到底届かないような、そんな魅力的な美女だったからだ。


「だ、だ、誰だっ!? ど、どういうことだっ!」


「落ち着いてくだせぇ、旦那」


「あなたに、決して損のない取引を持ちかけに参りました者ですわ」


 美女はそう言って微笑み。

 それから外套を脱いで、その背――刻まれた、誰もが知る刻印を示した。


「私は『聖教』の司祭長、ジェニファー・ラングレイと申します」


「なっ――!」


「邪教の教主ジン・フリートベルクについて……有意義なお話ができると期待しておりますわ」


 その背には。

 神聖なる十字を茨が囲った、大陸最大の宗教組織を示す図。

 通称、『聖教』の印が刻まれていた。

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