第7話 閑話:貴族の横暴
領民議会所。
議会が開かれるときには、各村の村長やラクーンの町の町長が招集されるそこは、普段はフリードベルク領の事務員や徴税官などが仕事をしている場だ。そして、領民議会所と共に町役場の兼ねているそこは、フルカスの町の町長アンドリューの職場でもある。
そんな議会所の端にある町長室――日中書類仕事などを行うそこで、アンドリューは頭を抱えていた。
それは、彼の手元にある三枚の書類が原因である。
「ジン様は、何を考えておられるのだ」
「正気の沙汰とは思えぬ事態ですな……」
「このような書類を出されるとは……エドワード殿は、随分と面の皮が厚い人物らしい」
「ですが、公的書類です。伯爵のサインもあり、伯爵家の印章も押されています」
「……本当にジン様のサインであるかどうかは疑わしいがな」
書類を差し出してきた男――徴税官のウルージの言葉に、アンドリューは眉根を寄せた。あまりにも面の皮が厚い書類の提示に、混乱半分呆れ半分といったところである。
ウルージが徴税の報告のために伯爵家へ訪れたときに、そのまま渡されたものらしいが。
アンドリューは一通りそれを確認して、頭を抱えることしかできなかった。
「ジン様がフリートベルク伯を退位するのは、まだいい。だが伯爵位を継ぐ者が、庶民との駆け落ちで貴族位を剥奪されたはずのエドワード殿だなんて……」
「先日、伯爵家の屋敷に謎の人物が訪れた、という報告は聞いております。ノーム商会からの報告では、伯爵家より三名ほどメイドを派遣するように指示があった、とも。町にいる未婚の娘を三名、派遣したそうです」
「ジン様はこの二年、あの幼い娘以外に誰も雇っていなかったからな……らしくない行動だ。間違いなくエドワード殿だろう」
「ええ。それに加えて、三枚目……正直、これを提出する面の皮の厚さに驚きました」
「まったくだ」
アンドリューは眉根を寄せて、頭を抱える。
彼の持つ書類の一枚目は、ジン・フリートベルクが伯爵位より退位するという旨が記されているものである。これにジンの自著によるサインと、伯爵家の印章が押されている公的な書類だ。
そして二枚目――これが、エドワード・フリートベルクがジンより伯爵位を譲られる、と記されているものである。勿論、これもエドワード、ジンの連名によるサインが書かれている公的な書類だ。
ここまではいい。ここまではまだ、いいのだ。アンドリューからすれば決して良くはないが、まだ公的書類としての体裁をなしているのである。
だが最後――三枚目。
エドワード・フリートベルクは二年前にパン屋の娘との駆け落ちにより、貴族位を剥奪されていた。しかし本当はエドワードが重い病に罹っており、仕方なく後継を譲らざるを得なかったために、虚偽の報告を行った。現在は病が快癒している状態であるため、改めて伯爵位を継ぐ――端的に言うなら、そういった事が言い訳のように延々と記されているものだ。
そもそもこの書類が示す事柄が、『病気だったから嘘を吐いたけど、治ったから改めて伯爵位を継ぎます』と告げているのだ。どんな神経をしていれば、こんな書類が出せるのだろう。
だがこれも、伯爵家の印章が押されている以上、公的な書類として扱わざるを得ない。
「このような言い訳が、罷り通ってしまうのだな……」
「そう、ですね……」
「失敗するのは、目に見えている。ようやく軌道に乗り始めたというのに、めちゃくちゃにされるぞ……」
「ですが……」
「くそっ!!」
アンドリューは、三枚の書類を床に叩きつける。
これが提出しなければならない書類でなければ、踏みつけたい気持ちだ。だが、この書類は間違いなくフリートベルク領の今後に関わるものである。
だがアンドリューは、もう暖炉の中にこの書類全てを突っ込みたい気持ちですらあった。
「貴族だからといって、このような勝手が……!」
アンドリューが、喉から絞り出したかのようにそう呟く。
本来、公的な書類で虚偽の報告をしたことには、罰が下されて当然である。だが、こういった前例は国内でも多くみられるのだ。
不祥事を起こした長男が一旦後継者として外されながら、数年を経てから何事もなかったように後継者に戻っていたりすることなど、貴族社会では日常茶飯事である。それも全て、現在の帝国――長男こそが後継となるべき、とされる風潮が原因なのだろうが。
きっとこの書類に目を通した皇帝陛下も、「またか」くらいの一言で済ますだろう。そのくらいに、貴族の間では、このような勝手が罷り通っているからだ。
「ジン様……」
アンドリューは顔を上げて、ジンに思いを馳せる。
ジンにも、忸怩たる思いがあっただろう。だが貴族家は、長男こそが後継者であると教えられてきているのだ。そして事情がどうあれ長男が戻ってきたということは、その伯爵位を譲らねばならない。ジンもそう考えたはずだ。
大赤字だったフリートベルク領を、少なくない黒字に転換させた彼の功績は、そのまま逃げ出したはずのエドワードに奪われてしまうのだ。
アンドリューは、ジンのことを評価していた。
アンデッドを使うという、魔術師ならではの発想で領地を盛り上げてくれた。働き手の足りていなかった農村に、希望を与えてくれた。領内全体が景気が良くなり、その影響もあってフルカスの町も潤った。そこまで領地を改革したのは、間違いなくジンである。
もしもジンがフリートベルク領を継がなければ、今頃フルカスの町は独立していただろう。赤字経営に何もできない領主を認め続けるほど、アンドリューは甘くなかったからだ。
だが彼は、アンドリューの思っていた以上の成果を出した。宣言通りに一年で休耕地を半分にまで減らし、現在もその休耕地は減っている状態である。加えて綿糸の作業場を屋敷の中に作り、フルカスの町における綿糸の需要を補ってくれている。さらに各村を繋ぐスケルトンホースの馬車は、フルカスの町の町民たちも便利に利用させてもらっているのだ。
それだけの成果を出したジンが、まるで追放されるように伯爵位を剥奪される――。
「いざとなれば、私は動くぞ」
「ええ……アンドリュー町長」
「現状維持で、ようやく及第点だ。だが愚鈍な伯爵であれば、議会で不信任案を可決させてみせよう。そしてフルカスの町が一丸となり、ジン様の復位を進めてみせる。そのためならば、打てる手は全て使う」
「ええ。では、私もそのように動きましょう」
領民議会所で、アンドリューは心にそう炎を燃やす。
エドワードがまともな政治をするならば、構わない。だが、そうでないならば。
どのような手を使ってでも、ジンを伯爵に戻してみせよう――。
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