第59話 叛逆、そして非情

 目の前で起こっている、子爵家による伯爵家への叛逆。


 今まで、絶対的な身分の差があるとして迫害されてきた子爵家。貴族の一員ではあれど、この学院において最低家格の子爵家は、今までずっと差別されてきたのだ。

 同じ場所にいるだけで、嗤われる。

 同じことをしているだけで、陰口を囁かれる。

 果ては、食事を倉庫の向こうへ追いやられる。

 限りなく平民に近い貴族――それが、伯爵家の持っている子爵家のイメージなのだ。


「それで、何度言わせるつもりかしら。その席をおどきなさい」


「ここは、わたくしたちが先にいたのよ!」


「あら、貴方……二階にいる公爵家の方が同じことを言っても、同じことを返すのかしら?」


「はぁ……? 子爵家の女が、調子に……!」


「何度も言わせないで欲しいものね。わたくしがこのコサージュをつけている以上、ゴクドー公国の公女と立場は同じ。そんなこともご存じないのかしら?」


「誰がそんなことを認め……!」


 激昂し、そう叫ぼうとした伯爵家の令嬢――その言葉を止めたのは、とん、とん、とテーブルを叩く音。

 勿論、あの娘も近くにテヤンディがいることは把握していただろう。そして、そのテヤンディが認めたコサージュを盾に、アニーさんは強く出ているのだ。

 それは、近くにテヤンディがいるから。

 決して伯爵家の娘では対等に意見することもできない、公国の公女様がそこにいるから。


「くっ……!」


「お分かりになったなら、それでいいわ。おどきなさい」


「ちっ……皆さん、向こうの席に行くわよ」


 もしも近くにテヤンディがいなければ、伯爵家ももっと粘ったかもしれない。

 だけれど、これ以上激しい口論になるとテヤンディが出張ってくる――そう考えたのだろう。やや離れた位置に、三人揃って食事を抱えて去ってゆく。

 その去り際に。

 少しだけ、アニーさんの耳元で囁いているのが、分かった。

 こちらに聞こえないような、極めて小さな声音で。


「……っ!」


「分かったら、それ以上調子に乗らないことね」


 ふんっ、と伯爵令嬢が鼻息荒くそう言って、足早に去ってゆく。

 逆に、その席を奪い、明らかに優位に立っていたはずのアニーさんの顔が、真っ青になっていた。

 大体、何を言われていたのかは予想がつく。

 そして予想がつく以上、ここで黙っておくわけにはいかない。


「さて、リリシュさん」


「うん、テディ」


「何だと思います?」


「ここは公女様がいるから大人しく退くけれど、後で覚えていなさい。もしくは、あまり調子に乗ると、実家が爵位を失うかもしれないわね」


「多分、どちらも正解ですよ。ああいった手合いは、言葉尻をとらえるのだけは得意なんでね。まぁ、そういう事態のためにあたしがいるんですが」


 よいしょ、とテヤンディが立ち上がる。

 それに伴って私、そしてベアトリーチェさんが立ち上がった。こういう場合、ベアトリーチェさんはテヤンディの後ろに立って威圧するのが役割である。

 そして私の役割は、アニーさんへの慰撫だ。現在、コサージュを管理している人間として。

 その効力に間違いがないことを、ここで示す――。


「アニーさん」


「うっ……り、リリシュ、さん……」


「大丈夫。頑張ったね。もう、大丈夫だよ」


「で、ですが、わ、わたくし、先程……!」


「大丈夫。どんな事態でも、どんなことを言われても、テヤンディがいてくれる」


 私は、確信を持って告げる。

 テヤンディは、絶対に信用できる。コサージュを持つ者が家族であると、そう言っている限りは。

 だから、どんな脅し文句も、気にする必要などない。


「失礼」


 やや離れた空きテーブルで、食事を再開した伯爵家の娘三人――そこまで、テヤンディが向かう。

 背後にベアトリーチェさんを控えさせている以上、その威圧感は半端ないものだろう。事実、テヤンディの声かけに対して振り返った伯爵家の娘は、一瞬たじろいでいた。

 だけれど、気丈に笑みを浮かべてテヤンディと向き合っている。


「どうかなされましたか? 公女殿下」


「さて。あの程度の声音であたしに聞こえねぇと思っている、お気楽な脳味噌はここですかい?」


「えっ……」


 次の瞬間。

 テヤンディがその髪を引っ張り、思い切りテーブルに叩きつけた。

 細腕のテヤンディには、それほど強い力はないだろう。だというのに何の抵抗もなく叩きつけられたのは、それがあまりにも予想外だったからだ。

 夕刻の食堂――周りに食事をしている学生たちが多く集う中で。

 このような暴力行為に及ぶなど、誰が予想できるだろう。


「ちょ、ちょっ!? な、何を……!」


「おや、そちらの方」


「えっ……」


「何をなさっているの。そう聞きたいんですかい? でしたら、逆にあたしの方から聞きましょう。あたしが今、何をしているとお思いで?」


 ぐりぐりと、伯爵家の娘の頭をテーブルに押しつけているテヤンディ。

 毟れそうなほどに強く、髪の毛を握りながら。テーブルに押しつけられた顔は、かつて夕食だったもので汚れていながらも、そこに色濃く恐怖が見える。

 そして問われた娘の方も、言葉に詰まっている。状況をそのまま述べるのならば、暴力だ。だけれど、そう声高に言うわけにもいかない。


「そ、それ、は……!」


「さて。まさかとは思いますが、あたしがこんな衆人環視の中で暴力行為に及んでいるなんて、そんな勘違いはなさっていませんよね? あたしはちょっと、こちらの方とお話をさせていただいているだけでさ。ちょいと腹が減ってそうに見えたんで、こうして食べさせてあげているわけなんですけど」


「え……え……?」


「さて、もう一度聞きましょう」


 女の髪を握り、テーブルに押しつけながら、目の前の女を睨み付けながら問いかけるテヤンディ。

 それは――質問ではなく、恫喝。


「あ、あ……」


「あたしが今、何をやっているとお思いで?」


「も、申し訳ありませんでしたっ! ど、どうか、離して……!」


「おや、人の話を聞きませんねぇ。あたしは別に、謝れなんて一言も言っていないんですよ。ただ、質問をしているだけです。あなたは、それに答えるだけで結構」


「え……」


「今一度。あたしが今、何をやっているとお思いで?」


「……」


 恐怖に染まった目で、テヤンディを見るご令嬢。

 視線だけで周りに助けを求めるが、誰もその目を合わせようとしない。

 そして恐らく今、二階席は「随分と一階が騒がしいですわね」「下級の貴族はこれですから」などと宣っているのだろう。助けなど来るはずがない。

 そんな中での、テヤンディとの対峙。

 普通のご令嬢に、耐えられるはずもない。


「こ、公女殿下、は……」


「ええ」


「お食事の、お手伝いを、してくださって、おります……」


「ええ、ありがとうございます。これでお話が順調に進みますよ」


 にっこり、と目の笑っていない笑顔を浮かべるテヤンディ。

 そして次に、髪の毛を掴んでいるご令嬢に、限りなく近付いて。

 告げた。


「んで、そちらの方」


「ひ、ひぃ……!」


「あたしに聞こえねぇと思って、よく脅してくれたもんですね。あたしと戦争したいってぇなら、いつでも歓迎しますよ」


「ひ、ひ、ひぃ……ご、ごめ、ごめんなさ……!」


「もしも、あたしの家族に手ぇ出したってぇ報告でも来たときには……この程度じゃ、済みませんぜ?」


 完全なる、テヤンディの独壇場。

 彼女のシノギ――それは確かに、皆が皆幸せに金貨を得る方法。


 だけれど、テヤンディは敵に決して容赦しない。

 脅し、凄み、睨み、迫り。

 そして、暴力すらも辞さないのだ――。

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