第58話 これから
テヤンディの言葉に、一瞬の静寂が訪れる。
二階席――そこにいるのは、侯爵家のご令嬢と公爵家のご令嬢。
その中でも、やはり上に立つ存在であるのは公爵家――この国における、最高位といっていい貴族家だ。
テヤンディは、そんな公爵家に対してシノギを行うと、そう言った。
「おや……皆さんだんまりで、どうなされたんです?」
「そ、その……テディ、そういうのはあんまり、大声で言わない方が……」
「なぁに、聞こえたところで、何もされませんよ。向こうさんからすれば、あたしらが適当なことをほざいているだけと思ってくれます。何せ、公爵家です。この国において、圧倒的な立場を持つ貴族家ですよ。少なくとも、家格としちゃあたしと同格です。下手な追い込みをかけることはできません」
「うん……」
私たちの武器――その一つが、テヤンディの家格だ。
ゴクドー公国の公女殿下――その家格があるからこそ、白薔薇のコサージュを貸し出すシノギは成り立っている。コサージュを装着している者は、テヤンディの家族と見做すと、テヤンディ自身がそう定めているため。
だから、伯爵家のご令嬢たちは、コサージュをつけた子爵令嬢に対して、何も言えない。
下手に口を挟めば、そこでテヤンディが出てくるから。
「ですから、公爵家の皆さんとは、極めて平和的に取引をしていきたいんですよ」
「……まさかとは思いますが、それは『気持ちよくなる薬』だったりはしませんよね?」
「残念ながら、極道会で
「……」
平気な顔で、怖いことを言うテヤンディ。
自分が海に沈められるなんて、絶対に笑顔で言うことじゃない。
「なぁに……売りつけるモンについては、既に準備はできていますよ」
「え……そうなの?」
「ええ。ユーミルさん、見せてやってください」
「うん」
テヤンディの言葉に、頷くユーミルさん。
そんなユーミルさんが鞄から取り出したのは、白薔薇のコサージュだ。だけれど、その装飾は今、私が胸につけているものと比べて、物凄く華美である。
レースの一つ一つが丁寧に組み合わされ、おそろしく細かい飾りばかりのコサージュ――これを見ると、もう私の胸にあるコサージュなんて安物にしか見えない。それだけの、時間と原価のかかった代物だ。
「これは……凄いですね」
「さすがに、一個作るのに一晩かかっちゃったけどね……おかげで、昨夜は寝れなかった」
「いや、職人の技ですよ。あたしも発注こそしましたが、これほどのモンが出来上がるとは思っていませんでした」
「でも……これをどうするの?」
確かに、これは素晴らしいコサージュだ。
だけれど、素晴らしいだけ。芸術品としては良いと思う。飾り付けとしても、悪くないだろう。
問題は――このコサージュを、どうシノギに使うかってことなんだけど。
「素晴らしい商品は、相応の値段で売りつけるに決まってるじゃないですか」
「……そうなの?」
「勿論、こいつは次の手段ではありますが……その前に、まず起こさないといけないことがあります」
「どういうこと?」
テヤンディの言葉に、私は疑問符しか浮かんでこない。
このコサージュを、公爵家のご令嬢に対して高く売りつけるつもりだと、そういうことは分かった。だけれど、それができるかどうかは疑問である。
何せ、公爵家だ。お抱えの宝石商もいるだろうし、細工士だっている。そんな相手に、あくまで素人でしかないユーミルさんのコサージュを買わせる手段なんてあるのか、疑問だ。
でも、そんなテヤンディが、悪そうに口角を吊り上げた。
「流行ですよ」
「……流行?」
「ええ。リリシュさんも、そのコサージュにユーミルさんの印がついているのは、ご存じでしょう?」
「あ、うん」
一応、私は今のところ、子爵家に配っているコサージュ――その全部を管理している状態だ。
だから、コサージュは隅から隅まで全部確認して渡すようにしていた。だから、裏地の一部に葉っぱのマーク――ユーミルさんの印がついているのは、確認している。
「つまり、そのコサージュは……ブランド物なんですよ」
「――っ!」
「お抱えの宝石商でも、お抱えの装飾品店でも、お抱えの服飾店でも手に入れることのできない、唯一無二の存在なんです。そして、公爵家ってぇのは流行に敏感だ。ちょいとこのコサージュを流行らせることができれば……ユーミルさんは、貴族家御用達のブランドを手がけることになるってわけです」
「正直、最初にテディに言われたときには……まぁ、胡散臭い話だと思ったけどね」
てへへ、とユーミルさんが頬を掻く。
一大ブランド会社――それを今、テヤンディは立ち上げようとしている。その野望の大きさに、私は戦慄するしかない。
「学院というのは、閉鎖空間です。そして、貴族ってぇのはてめぇと相手を、やたら比べたがるもんなんですよ」
「……」
「これから、伯爵家のご令嬢にも、胸に白薔薇のコサージュをつけてもらいます。そうすれば、どうなると思います? 『胸に白薔薇のコサージュをつけること』が流行になってくれるんですよ」
「……」
「しかも、これが公爵家のご令嬢には特別に、繊細な装飾の施されたものを提供する。そうすれば、自分よりも見劣りするコサージュをつけた者に対して、優越感を抱くことでしょう。あたしは、白薔薇のコサージュを提供すると同時に、その優越感を提供するんです」
何も言えない。
勿論、その考えの全部が全部、完璧に成功するわけではないにしても――それでも、その計画は壮大だ。
それこそ、金貨何千枚、何万枚を、動かす会社を作ることができる――。
ごくり、と私は唾を飲み込んで。
「すごい、ね……テディ」
「まぁ、まだ計画段階ですがね。ひとまず、伯爵家にコサージュを行き渡らせるのが――」
と、テヤンディがカップのお茶をずずっ、と一口啜り。
次の瞬間。
「そこのあなた。その席、わたくしにお譲りなさい」
「……は?」
「どきなさいと、そう言っています。さっさと消えなさい」
「……はぁ?」
それは、私たちの席から程近いテーブルで食事をしていた、伯爵家の令嬢三人に対して、告げられた言葉。
一階は伯爵家以下の家格であり、伯爵家よりも偉い侯爵家以上は、全員二階席だ。つまり、ここには同格の伯爵家しかいないはず。
だというのに、上から目線で彼女たちに告げたのは。
「あなた……子爵家が、どんなつもりで言っているのかしら?」
私が、コサージュを管理している一人――トルーマン子爵家の令嬢、アニーさん。
胸に白薔薇のコサージュを装着し、明らかに見下した目で伯爵家の三人を見ている。
それは、身分を考えるならば、絶対にありえないこと――。
「あら、あなた……常識をご存じないのですか?」
「一体何を……」
「わたくしは今、ゴクドー公国の公女テヤンディ・ゴクドー様と同格。つまりあなたは、公国の公女に対して席を譲らないと、そう仰るので?」
「えっ……!」
つまり、これは叛逆。
今まで虐げられてきた子爵家の娘が、虐げてきた伯爵家に対して行う、反抗。
にやり、とテヤンディが笑みを浮かべるのが分かる。
これこそが、私たちの求めていたことだ。
子爵家が伯爵家に命令をする。その理由は、胸につけている白薔薇のコサージュが示す、テヤンディという後ろ盾。
伯爵家が、この場における最低の家格であると、そう印象づけること。
これが今後、伯爵家に対してコサージュを貸与する――そのシノギの、一歩目となってくれる。
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