第34話 白薔薇のコサージュ

 特に何事も起こることなく、私の学院生活は過ぎていった。

 初めての授業こそ、正直訳が分からなくてついていけなかったけれど、あの日から改めて勉強に集中したのである。元々頭の出来はそれほど悪くない方だし、とにかく授業の速度についていけるように集中に集中を重ねた。

 その結果、とりあえず初日のような醜態は晒すことなく、授業に向き合えるようになった。それに加えて、今まで学んだことのなかった魔術理論についてなどの授業を受けていると、わくわくするくらいだった。

 そして気付けば、週末。明日はお休みである。


「ふひぃ……やっぱり授業が早すぎるよぉ……」


「ユーミルさん、大丈夫?」


「ちょっと、近々数学教えて……まだついていけない……」


「うん、私で良ければ」


 昼食。

 午前の授業を終えて、私たちは相変わらず食堂で五人揃っていた。


「ユーミルさんは真面目ですねぇ。あたしはもう何もやる気がないってのに」


「いや、テディ。ユーミルさんが普通だから」


「テヤンディ嬢、わたしが気にすることではないかもしれないが、勉強はしておくべきではないのだろうか。やはり、公国を代表して入学している身であるだろう。悪い成績では、親御さんが心配するのではないか?」


「あたしのオヤジは、あたしの成績なんざ気にしませんよ。それより、あたしが上納金を払えねぇ方を気にするでしょうね」


「……そういうものなのか?」


 それ、明らかに普通の親子関係じゃないと思うけど。

 え、テヤンディ、お父さんにお金払ってるの?


「まぁ、ですが皆さんに朗報です」


「む?」


「ようやく、ユーミルさんが白薔薇のコサージュを作ってくださいました」


「大変だったよ……わたしが言い出したからだけど、おかげで勉強が全然できなかった」


「その節は、ご苦労さんでした。そいつが、これですよ」


 そう言って、テヤンディが小さな袋の中から一つを取り出す。

 それは、布を重ねて作った白い薔薇が中央に配置され、その周囲を小さな薔薇が囲んでいる綺麗なコサージュだった。ユーミルさんが手作業でこれを作ったのなら、それこそかなりの労働になっただろうと思うくらいに、繊細な出来である。

 思わず私たちは、おぉ、と吐息を漏らしていた。


「これが今、五十個この袋の中に入っています」


「五十個なの?」


「ええ。倉庫に入ってメシを食ってる連中は、合計で四十七人。ただ、中の食事を考えると、利用してねぇ連中もいるんじゃないかと思いましてね。予備として作ってもらいました」


「それと、リリシュ。これね」


 そしてユーミルさんが私に差し出してきたのは、同じ白薔薇のコサージュだ。ユーミルさんの手元にも、もう一つある。

 それを、私は受け取って。


「ええと……私もつけるの?」


「ええ。申し訳ありませんが、ユーミルさんとリリシュさんのお二方にはつけてもらいます」


「なるほど。ひとまずこの二人に特赦を与えている、って形にするのですね」


「そういうことです。今までは、まぁちょいとつけ忘れていた、って体にしといてください。その上で、エイミーさんには情報を流してもらっています」


「流すといっても、大したことはしていませんよ。知り合いの令嬢数人に、白薔薇のコサージュを見せただけ。これを付けている者は、公女様と同格の証だって」


 エイミーさんが首を振るけれど、十分に大したことだと思う。

 私だと、他のご令嬢に知り合いいないし。それに、身分を蔑ろにするようなコサージュの存在は、彼女らにとって面白いものじゃないと思う。

 それを伝えることができた時点で、エイミーさんも相応の家格があるのだと分かる。


「まぁ、まずは噂が流れるのを待ちましょう」


「それでいいの?」


「どっしり構えておくのも、また戦略ですよ。向こうさんが欲しいから譲る――こちらのスタンスは、そういった形です」


「なるほど」


 エイミーさんは納得している様子だけれど、私はぽかんとしていた。

 正直、テヤンディが何を言っているのか、何を目的にしているのかさっぱり分からない。


「ただ、次の段階になったらさらに大量のコサージュが必要になりますね。今回の五十個はユーミルさんに作ってもらいましたが、今後のシノギの拡大を考えれば、外注した方がいいかもしれませんね」


「……わたしも正直、外注してもらえると助かる」


「負担をかけて、申し訳ありません」


 ユーミルさんが、げっそりしながら呟く。大変だったんだろうなぁ、とは思うけれど。

 実際見てみると、物凄く装飾細かいし。これ、もう職人技だと思う。

 とりあえず、胸元につけてみた。普通に可愛いなぁ、これ。


「コンタクトは、最初にリリシュさんかユーミルさんのどちらかに向かうでしょうね。身分でそれだけ蔑まれている以上、あたしらには声はかけてこないと思います」


「白薔薇のコサージュを、譲ってほしいって言ってくるってこと?」


「まぁ、そんな感じですね。むしろ、詳しいことを説明してほしい、みたいな感じでしょうか。そのときは、ひとまず七日間貸与する代わりに銀貨一枚、という形で提示してみてください」


「分かった」


 七日間で銀貨一枚。それなら、子爵家でも十分に払える金額だ。

 それで、この食堂で食べることを許されるのなら、私は払うと思う。


「ただし」


「……へ?」


「リリシュさん。あたしとリリシュさんは、兄弟の盃を交わしました。あたしが組長、リリシュさんは若頭。五分の兄弟です」


「うん」


 どうせ華麗にスルーされるし、「姉妹じゃないの?」という突っ込みはやめておく。

 あの日、交わした盃――それがどれほど重いものであるのか、私はまだよく分かってないんだけど、いいんだろうか。


「ただ、いくら兄弟分でも譲れる部分と譲れない部分があるんですよ」


「……へ? どういうこと?」


「そいつは、シノギです。んでもって、シノギってのは同じ家のモンからも出来ることでさ。まぁ端的に言うなら上納金が分かりやすいんですがね。家の名前を使ってもいい代わりに、一定額を納める……まぁ、阿漕な商売だってことは分かってますよ」


「……あの、つまり、どういうこと?」


 テヤンディの物凄く遠回しな言い方に、背筋に震えが走る。

 上納金と、そう言った。組として活動するにあたって、一定額を納める――。

 つまり。


「リリシュさん、ユーミルさん」


「う、うん」


「は、はい……」


「その白薔薇のコサージュ、おたくらに貸与します。最初の七日は銀貨一枚、それ以降は一月あたり銀貨十枚、耳を揃えて払ってもらいましょう。よろしいですね?」


 よろしいですね、と。

 そう私たちに尋ねるように言った、それは。


 決定事項、だった。

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