第15話 衝撃

 自由落下する体を制御することができず、私の体は階段の下へと落ちていく。

 周囲から「きゃあっ!」「えっ!」「何っ!」などと叫び声が聞こえてくるけれど、その私の視界はまるでスローモーションのようにゆっくりだった。

 ただ、過るのは諦観。

 私はこのまま、落ちる――。


「おっと」


 だけれど、そんな私の背中が。

 ぼふっ、という音と共に布越しの固い何かに当たって、止まった。

 足の支えを失いながら、体ごと何かに当たった私の落下が、止まる。


「え……」


「大丈夫か?」


 頭が混乱していて、正直状況が全く理解できていなかった。だけれどそこでようやく、私が誰かに支えられているのだと分かった。

 そこで、ぼっ、と顔に火が走るように熱が生じる。


「ご、ご、ごめんなさいっ! わ、私っ……!」


 ハスキーな声に、固い感触だったから男性だとばかり思って、私がそう振り返ると。

 私の体を支えてくれていたのは――女性、だった。

 多分。

 きっと。

 いや、どうなんだろう。

 そう私が疑問に思ってしまうほどに、女性らしくない女性だった。


「リリシュさんっ!」


「て、テディ、ご、ごめ……」


「怪我はありませんか!? 無事で良かった!」


「う、うん。私は、大丈夫……」


 ざわざわと、周囲に走る喧噪。

 そして階段の上から、ジュークと名乗った上級生もまた駆け下りてきた。


「おいおい! いくら入学したばかりで興奮しているとはいえ、階段から落ちるのはどうかと思うぞー! 怪我はないようだな!」


「は、はい。こちらの方の、おかげで……」


「別段、わたしは構わないが……そろそろ自力で立てるのではないか?」


「はうっ!? も、申し訳ありませんっ!」


 慌てて、手すりを探して掴んで体を支える。

 ずっと私、助けてくれた女性にもたれかかったままだった。恥ずかしくて、顔が赤くなるのが自分でも分かる。

 そんな私に、ふふっ、と女性は微笑んだ。


「問題ない、鍛えている。淑女一人を支える程度は大丈夫だ」


「あ、ありがとうございますっ!」


「怪我がなければそれでいい」


 そして、改めて私は女性を見る。

 女性……なのだろう、とは思う。物凄く厳つい顔立ちに、恐ろしく鍛えた両腕に、制服の上からでも分かる鍛えられた筋肉とか、スカートから覗く丸太のように太い大腿部とか、凄く男らしく感じる方ではあるんだけど。

 一応、女生徒の制服を着ているから、女性なのだとは思う。えっと……長い金色の髪とか、女性らしいし。


「あたしの方からも、礼を言わせてください。ありがとうございます」


「偶然、わたしが後ろにいただけのことだ。気にしなくていい」


「それでも、弟分を助けてくださったことには変わらねぇんで。せめてお名前だけでも教えてくださいな。あたしは、テヤンディ・ゴクドーと申します」


「ベアトリーチェ・アングラード。アングラード伯爵家の二女だ」


「よろしく頼みます」


 女性――ベアトリーチェと、握手を交わすテヤンディ。

 見た目は物凄く筋肉な女性だけれど、名前はすごく女の子らしいことに驚いた。しかも伯爵家の二女って、こんなに筋肉な教育を施されるものなのだろうか。

 そしてベアトリーチェから手を離してから、テヤンディがきっ、と上を睨み付ける。


「あたしの大事な弟分の、足を引っかけた奴は誰でぃ!」


「……」


「ここにいる全員、ケツの穴から手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わせてやろうかっ!」


「お、おいおい……!」


 誰もがテヤンディから目を逸らす中で、上級生――ジュークさんが、彼女にそう告げる。

 本来、こんな場所でトラブルなど発生するはずがなかったのだろう。少しばかり頭を抱えながら、物騒なことを言い出したテヤンディを手で制している。

 そして私は、恐怖で何も言えなかった。もしもベアトリーチェが後ろにいなければ、私は死んでいたかもしれないのだ。


「落ち着け、テヤンディ嬢」


「しかし、ベアトリーチェさん……!」


「そちらのお嬢さんは無事だった。怪我もない。それで良いではないか」


「……ベアトリーチェさんが、そう仰るなら。確かに、ちょいと頭に血が上っちまいましたね」


 ふぅっ、と大きく息を吐くテヤンディ。

 そして上級生のジュークさんは、テヤンディの勢いとベアトリーチェの体格に腰が引けているらしく、二人を交互に見ながら恐る恐る、といった様子で言った。


「ええと……あ、案内を続けてもいいかな?」


「ご随意に。犯人捜しの時間じゃありませんからね。あたしらは案内される身ですよ」


「そ、それじゃ全員、ちゃんと足元に気をつけてついてこいー!」


 たたっ、とジュークさんが階段を上って、先頭に再び立つ。

 そして、まだ足が震えている私の肩へと、テヤンディがそっと手を置いた。

 ジュークさんに率いられて先頭集団が動き始める。


「リリシュさん……足を滑らせたわけじゃあ、ないんでしょう?」


「うん……誰かに、引っかけられた」


「相手が誰か分かりゃ、いいんですけどね。泣き寝入りするしかねぇってのは、腹が立ちますが」


「……ごめん、テディ」


「リリシュさんが謝ることじゃありませんよ。いずれ必ず落とし前はつけさせますんで、今は堪えてください」


 テヤンディの悔しそうな言葉に、私は頷く。

 今回、私に何事もなかったのはベアトリーチェのおかげだ。彼女が後ろにいてくれたから、私は怪我もなく無事だった。

 だけれど今後、もしも同じようなことをされて、後ろに誰もいなければ。

 私は――。


「あっ!」


「ん……どうかしましたか、リリシュさん」


「え、えっと、ごめん……! あ、あの、ベアトリーチェさん!」


「……む」


 そういえば、私助けられたのに何も言ってなかった。

 というか、名前すら名乗ってない。あまりにも失礼すぎる。

 そう思って声をかけると、背後にいたベアトリーチェと目が合った。


「どうかしたか?」


「ご、ごめんなさい。私、助けてもらったのに……!」


「もう一度言うが、偶然だ。たまたま、わたしが後ろにいただけのこと。それほど気に病むことではない」


「ありがとうございます。わ、私、リリシュ・メイウェザーです。メイウェザー子爵家の末娘です」


「ふむ。ゴクドー家ではないのか? 先程、テヤンディ嬢が弟分と言っていたが」


「……ええと、それは」


 ベアトリーチェの疑問はもっともだ。でもそれはなんか色々、話すと長くなっちゃうんだけど。

 どう説明すればいいんだろう。盃の話とか、そういうのここで言っちゃっていいんだろうか。というか異国――ゴクドー公国の文化だから、どう説明すればいいかさっぱり分からない。

 そう私が混乱していると、そんな私の頭にぽん、と掌が乗せられた。


「まぁ、いい。今回は、わたしが偶然後ろにいた。それでリリシュ嬢に怪我がなかった。それでいい」


「で、でも……!」


「ひとまず、わたしはリリシュ嬢の後ろで階段を上るとしよう。妙な輩が変な気を起こさないようにな」


「……あ、ありがとう、ございます」


 先を行く生徒たちが、階段を上っていく。

 そして私も同じく、左にテヤンディ、後ろにベアトリーチェという状態で、彼らの後ろに追随した。


 でも。

 手すりから、手を離すことは、できなかった。

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