第396話 錦玉羹(後編)

 お婆様の事は大好き。

曲がった事が大嫌いで、間違った事をそのままにしない。

良いと思った事や経験した事は教えてくれて、伝えてくれる。


 なのに、まだ何も言っていないのに、こんなのってないわ。


「……理由を聞いても、いいですか?」


 私より先に男子が聞いた。

私はまだ固まっていて上手に声が出せそうにない。

お婆様はお茶をひと啜りしてからゆっくり話し出した。


「理由、ね。あんた達は何のために大学に行くんだい?」


「……俺は、もっと勉強したいというか、将来、やりたい事に繋がるんじゃないかと、思ってです」


「シウちゃんは?」


「……似たようなものよ。専門的に学びたいと思ったから父さんや母さんとも相談して決めた」


 その結果をお婆様にも話した。

頑張んなさいって言ってくれたのに、また聞くなんてどうして?


 お婆様は何度か頷いて、また私達を覗く。


「あんた達の交際に反対はしないよ。まだ少ぉしお喋りしただけだがリョウさんはしっかりした方に思う。半分は勘だけれどね、私の勘は外れた事がない」


 そう、お婆様は割と直感型。

思った事をずばずば言うところもそうだけれど、長年の経験と鋭い目は疑いなんて言葉さえも忘れさせる。


「ここを離れて新しい土地、新しい場所、新しい家になるね」


 大学に合格すればそうなる。

わかってる。


「初めての事に触れるって事だ。場所や物だけじゃない。人もそうだよ」


 母さんも、うん、と頷く。

二人共、今経験を思い出している。

そして私達に伝えている。


 けれど、それは二人の話だ。


「……大人がそうだったから、私達もそうしろって?」


「いいえ」


「そう言ってるじゃないっ──」


「──まずは一人に慣れなさいと言っているの」


 ひと、り。


「学びは勉学だけじゃない。シウちゃんは生まれてから私達と一緒に暮らしている。リョウさんもご家族と暮らしているね?」


「はい。俺は、一人になった事が、ないです」


 わかってしまった。

私達に一人の力はさほどないと。


 すると母さんが口を開いた。

お婆様が言いたい事をほとんど言ってくれたのか、少し言葉を探している。


「えーと、まぁ、あんた達がちゃんと話してくれたのは嬉しいし、応援はやめない。ただちょっと早いかなー」


 なんだか恥ずかしくなって俯いた。

まだ繋いだままの男子の手も解けそうなくらいで──と思ったら、男子は私の手を離さなかった。

ゆっくり隣を見ると、男子は真っ直ぐ向いている。


「納得……っていうか、理解はしました。感情で動いてたっていうのもわかってます。それでも言いたかったんです。今の俺らはこうだって」


 ……うん、うんっ。


「わ、私もっ、その……現実的じゃないとか、色々思ったけれど、そうなったらいいなとか、凄いなとか」


 ああもうっ、子供みたいにしか言えない。

だから、その……──。


「──心が強くなれる気がしたの」


 本当の私はもの凄く弱い。

虚勢と隠し事が上手で、こんな不安も本来なら言いたくない。

けれど、言わせてくれる。

この人が隣にいる、そばにいるから。


 透けて見えてたようなものも実は何層にも重なってるって教えてくれるのはいつだって大人だ。

私は、私達は何層目だろう。


 前を向く。


「私達の考えが甘かったなんて思わない。今でも一緒に暮らしたいっていう気持ちは消えないし、正直むかついてる」


「あらまぁ」


「だから──今に見てろ」


 強い言葉は難しい。

自分が弱いと実感するから。

それでも言いたいのは、負けたくないから。

支え無しで、隣を支えるくらい自分の足で立ってやる。


「……スミレちゃんそっくりだわねぇ」


 お婆様は横目で母さんをじろりと見やると、母さんは、さっ、と顔を背けた。

私も男子も、何? と顔を見合わせる。


「スミレちゃんとあれが大学生の頃ね、突然やって来てさっきのように豪語したのよ。何だったかしらね?」


 ほら、というようにお婆様は母さんの背中を叩いた。


「…………今に見てろクソババア、いっぱしの女んなって結婚認めさせてやっからな、です」


 私と男子は口をあんぐりと開けて驚いた。

よくこのお婆様にそんな事を言えたものかと。


「いやぁ、若かったですねーっ、ね、婆様っ?」


「婆はすでにクソババアでしたから。さて、話が逸れました。婆ら大人はあんた達を見てますよ。そしていつでも受けて立つ」


 言い返す隙もくれない、食えないバ──お婆様はお茶をずずっと飲む。

男子もこれ以上は、と息を吐いた。


「聞いてくれて、ありがとうございました。また話に来ます。今度はおじさんとも」


「はい。シウちゃんにはもったいない男だね」


「へ?」


「むかつくー。お婆様嫌いー」


 するとお婆様は珍しく口を開けて笑ったのだった。


「あっはっはっ、婆はあんた達が大好きだよ」

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