第376話 チュイール(後編)

 三年十組の教室は入り慣れた三組の教室と同じ造りなのに、どうしてか入りづらくて四、五歩分躊躇してから足を勧めた。

俺と同じような奴もちらほら、割り当てられた教室を確認して、席を確認して一息ついて椅子に座る。


 はー……何だこれ、テスト前だってのにもう疲れる感じ。


 窓際から二列目の後ろから二番目の席が俺に割り当てられた席で、残念ながら俺と同じクラスの奴は離れた廊下側の席にいる。

周りを見るついでに雰囲気を探ってみると、やっぱりいつもと違う感じがした。

人もそうだけれど空気というか、人の匂いというか。


 すると、後ろから肩を叩かれた。

ん? と振り向くと──。


「──お?」


「おはようございます。クサカ君ですよね? 違ってたら失礼」


 まだ座っていないそいつは背が高くて、どうなったらそんな良い顔面に生まれるのか謎で、しかも丁寧な言葉使いで話しかけてきた。


「合ってる。えーっと、クルミザワだっけ? はよ」


 クサカ、クルミザワで席が前後になったようで、合ってます、と座る。

俺も横座りに尻を滑らせた。


「知ってる奴いると安心する……」


「僕もです。一組からここまで廊下歩いてきたんですが遠くて遠くて」


 そう言うクルミザワの手には小さな紙袋があった。


「ああ、カラスちゃんから頂いたんです」


 昨日までみっちりテスト勉強に付き合ってやったお礼だとかで早速、がさがさ、と袋を開けている。

瞬間、確実美味しい匂いがした。


「よかったら」


「遠慮なく」


 曲がったクッキーは薄くて、クルミザワと同時に口に放り込む。


 うーわ軽い食感めっちゃ好みー、食べ出したら最後の一枚までノンストップのやつだこれー。


「シロクロんのやつ?」


「そうです、ものくろ屋の」


「お前の彼女もお菓子好きかぁ」


「それは恋関係を意味する彼女ですか?」


 クルミザワの空気が変わったのがわかった。


「残念ですが今はまだ違いますよ」


 ふふ、と笑って誤魔化したのもわかった。

ちょっとからかいのつもりだったけれど、そんなの俺の都合でしかない。


「ごめん」


「え?」


「勝手な事言われるの嫌だよな」


「……あなたって正直な人ですねぇ」


「まさか、言い訳ばっかしてんよ」


「別に構いませんのに。慣れてますよ」


 見た目判断の王子だとかがこいつの呼ばれ名らしい。

そう見えなくはないけれど俺は呼んでやらない。


「そーいうのは慣れじゃなくて我慢っつーんだよ。お前ん事見てる奴ら、逆にじろじろ見返しちゃえば?」


 さっきからちらちらちらちら視線が煩く、ちょっとした有名人なのだとわかってきた。

俺はそういうのは疎いので初めましてな事だけれど、あんま気持ちのいいもんじゃないなと思った。


「……前にカラスちゃんにも似たような事言われました。我慢出来なくなったら言いますので──ありがとう」


 うわーお、スマイル眩し。

背後にきらきらしたのが飛んでらぁ。


「クサカ君は順調ですか?」


 ………………うわーお、どう反応しよ?


 こっちの目は泳いで、あっちの目は止まっている。


「これも何かの縁です。口堅いですよ、僕」


 そう言った口でまた一枚お菓子が食べられて、俺の口にも突っ込んできた。

さくさく、ごくん。


「……いや、言わない。あ、お前を信用出来ないとかじゃなくて──」


「──自分で解決すべき事、ですか?」


 そう、一緒に住まないかって俺が思って、想像して、伝えた。

言うのは簡単なんてあるけれど、一度取りやめるくらいに難しかったし、今でも色々思う。


 けれど──取り消したりしない。

だってそう思ったんだ。

断れるかもしれないし、大学に受からないかもしれないし、反対だってされるかもしれないし、まだ何もわからない。


 それでも、そういう明日みらいでありたいと思ったんだ。


「……うん、ありがとな。あんま喋った事ねぇのに凄ぇわ。お前モテそ」


「有難い事に」


「うっわ、むかつく」


「聞かれたから答えたんです。なんて、振り向いてほしい人にモテなければ意味がないんですよね」


 あなたもそうでしょう? とクルミザワは困った風に眉を下げた。

言明しないのは俺と同じ理由。


「テスト前に何話してるんでしょうね、僕達」


 ほんとそれ。

暗記したもんがぶっ飛びそう。

けれど、それでも──。


「──大事な事、話したんだよ」


 どれもこれも、今だからの話だ。

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