第339話 ステンドグラスクッキー(前編)

 まだ暑い陽が注ぐ旧校舎の庭の最初、階段の一番てっぺんで、私は黒い日傘を差して座っている。

薄い日陰は長い髪の私の熱を冷ましてくれていて、遠くの夏はまだ汗を呼んでいる。


 ふと、隣に影が出来た。

日傘を斜めに見上げると、そこには前髪をちょんまげに結った男子がいた。


「落ち着いた?」


 よいしょ、と腰を下ろしながら男子が聞く。

ただ少し休憩したくてここにいたのだけれど、私が泣いてるとでも思ったのかしら。


「うん……」


 なんとなくそう答えてしまった。

落ち着いたのは本当だし、少し、喉が熱かったのも今は戻っているから。


 今日、私は泣かない。


 ところで男子の手に握られているものが気になる。

透明の袋には赤色、水色、黄色、橙色のカラフルな星やハートのクッキーが見えた。


「ふっ、目ざとい」


 どうやら、じっ、と見つめてしまっていたようだ。


「ムギちゃんから?」


「いんや、生物部から。協力のお礼だってさ」


 お前のは部室に、と言いつつも、開けた袋の口を私に向けてくれる、分けてくれる。

ウェットティッシュも用意済みだ。


「ありがとう、いただきます」


「ん、お疲れさん」


 つまんだのはハートの形で、中は橙色のステンドグラスクッキーだ。

遠くの近づいてくる空の色に似ている。

掲げて並べて──うん、似てる。

そんな私に倣ってか、男子は星の形の、中は黄色のステンドグラスクッキーを隣に並べて、横目で微笑んだ。


 さくっ、と、ぱりっ、とシンプルな優しい甘さが口の中で割れていく。


「……楽しかったわね」


「んだな。あっという間」


 終わってしまうと数秒の出来事のようにさえ思ってしまう。

けれど、そんなに浅いものではなかった。


「かっこよかった」


「ふへぇ? そ、そう?」


 ちょんまげが照れ臭そうに揺れている。


「ふふっ、今は可愛いわ」


「可愛っ……それはお前だろぃ」


 あら、反撃が来た。

今回私は化粧をしていない。

格好だけ、ロングヘアーの黒いウィッグと黒いタイツくらいしか変化がない。


「……髪、伸ばそうかなぁ」


 髪を掴んで懐かしく思う。


 姉さんに近づきたくて伸ばし始めた小学生の頃、乾かし合いっこしながら姉さんと色んな話をしたあたたかい時間、思い出したくなくてばっさりと切ったあの日。


「──困るなぁ」


 すると男子が二枚目のクッキーを食べながら言った。


「……ならやめる──」


「──もっと可愛くなってどーすんのー、困るー、でも見たいー」


 口を尖らせる男子は駄々こねる子供のようで、けれどどっちつかず。


「……ふふっ、あははっ」


 私は声を出して笑ってしまった。

可笑しい、面白い。

私が嫌だと思っていた事をこの人はまるで真逆に考えているんだもの。


 ちゃんと、私を見てくれるんだもの。


 ああやだ、今になって涙が出てきた。

さみしいものではなくて、たのしい涙が。


「…………仲良しなとこ悪いんですけどお邪魔します」


 と、気配でも殺していたのかすぐ真後ろにミヤビ君が立っていて、私は日傘を横にどけて男子と同時に振り向いた。

ミヤビ君もすっかり化粧を落としている。

けれど目と、目の周りは赤かった。

あの後、彼はせきを切ったように泣いていた。


「……いい顔ね」


「……お影さまで」


 そしてミヤビ君は私の隣ではなく、男子の隣に腰を下ろした。

狭い階段で三人並ぶのは結構ぎゅうぎゅうだ。

日傘は俺が持つ、と男子が真ん中で差してくれた。

若干気まずそうな顔が見えたけれど無視しましょう。


 それからミヤビ君が話し出すまで私達はクッキーを二枚ほど食べた。


「……あんたに、ありがとうを言いたい」


 それは唐突だった。

俯いたままのミヤビ君は長い前髪のせいで顔が見えない。

けれどちゃんと、見えた。


「……どうぞ?」


「えっ、今言ったじゃん?」


 私はいい音で男子の膝を叩いた。


 だから聞きたいの。

皮肉同士の似た者同士の、私とミヤビ君だからの掛け合いをしたいの。


「……やっぱやーめた」


「あーあ、残念──ふふっ」


 私が笑うとミヤビ君も初めて声を出して笑った。

戸惑っている真ん中は不思議そうに交互に私達を見ていた。

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