第327話 ドレッセ・バニーユ(前編)

 学期末テスト終了。


 ふー……。

深呼吸一回、ノック二回。


「──失礼しまーす」


 教室の半分くらいの広さの進路指導室。


「はいはい」


 担任のオオツキ先生。


「あー……っと」


 先生が立ってるもんだからどこに座ればいいのやら、と迷った。


「手前のソファー」


 小さなテーブルを挟んだ二人掛けのソファーが二脚。


「そう緊張しなさんなや」


 オオカミの八重歯が見えた。

機嫌はいいらしい。


「……難しいっす」


 思ったままに言って俺はソファーに腰掛けた。

やんわり沈む。


 テスト終わりの午後に授業はなくて、もう放課後の今だ。

それぞれ部活が始まって、俺もこの後部室に行く。

夏休み中に行う合宿計画を立てなければならないからだ。


「肩の力抜くー」


 と、オオツキ先生が麦茶を出してくれた。

あとなんかお菓子。

何だっけこれ、絞り出しクッキーってやつか。


「まずはひと口、話はそっから」


 ずずっ、と少しだけ麦茶で口を潤す。

気づかない内に随分乾いていたようだ。


 まずは世間話から。


「今回のテストの手応えは?」


 訂正、先生と生徒の話から。


「自己採点では……まぁまぁ? かと」


 以前よりは、多分。


「まぁまぁなら良いって事だ」


 手応えあり、とはっきり言えたら気持ちいいだろう。


「何と比べてもいいけどな──」


 先生の目が俺を捉えた。


「──前のクサカと今のクサカ、俺は今の方を評価する」


 以前の進路相談の時、俺は答えを出せなかった。


 今日はその話の続きだ。


「んじゃ、聞こうかね」


 答えはテスト前に出た。


「──大学進学を希望します」


 声にした瞬間、すっきりした気がする。

親とも話した。

好きなとこ行きな、って言われた。


「はい」


 オオツキ先生はそう頷いて、にっ、と笑った。


「……そんだけ、ですか?」


 他に色々言われるかと思っていた。


「ですよ?」


 さくさく、とクッキーが食べられていく音が響く。


「えー……?」


 体の力が抜けた。

失礼ながらもソファーの背にもたれて、ずるり、と滑る。


「えー、ってお前、何て言ってほしかったんだよ」


 そう聞かれると困った。


「……アドバイス的な?」


 前にも言ったが、とオオツキ先生は二枚目のクッキーに手を伸ばす。


「成績も上がってきてるしなー……頑張れ?」


 さっくりとしたアドバイスだった。

俺は絞りに絞りだしたというのにだ。


「ははっ、まぁ続きが出たんだ。俺はそれを応援するぞ」


「はい……えー……」


 とりあえず食え、と言うので一枚、袋からクッキーを取り出す。

丸く絞り出された形のクッキーは簡単に割れてしまいそうなほど軽い。


「……先生って、最初っから教師になりたかった人っすか?」


 少し質問する。

親以外の、一番身近な大人だから。


「ん? まさか」


「へ?」


 クッキーの小さな欠片を舐め取る。


「とりあえず大学行っとくかー、で入って、留年しかけたりしたなー」


 懐かし、と先生は言う。


「高校で勉強と部活──剣道な。そればっかやってたからなー、遊びまくったぞー」


 どんな遊びをしたのやら。


「で、なんやかんやあって教員になったわけです」


「なんやかんやって──」


「──このなんやかんやは人それぞれだが、俺には大きな事だったんだ。幾つもある選択肢から自分が、これ、と思えるもんにしてくれた」


 人や物、事がオオツキ先生を先生にしたと言う。


「すまんな、俺は教員しかした事ねぇから他は何も言えん」


 俺は首を振る。

そんな事はない、俺にも大事だと思う事を教えてもらった気がする。


「ありがとうございました。勉強、頑張ります」


「はいお疲れさん。ああ、残りの菓子持ってっていいぞ」


 それじゃ遠慮なく、と四枚ほど貰って指導室の扉を開けた時、先生は最後にこう言った。


「──クサカ」


「はい?」


「大丈夫だ。お前はもう歩いてる」


 楽しみだな、とオオツキ先生はやっぱり笑った。

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