第264話 いちご牛乳(後編)
ホームルームが終わった放課後の教室は、さっきまでの喧騒の響きを黒板に残したまま、いつも通り、俺と女子の二人になった。
女子は一番前の自分の席に座っていて、俺は教卓を後ろに肘を置いて寄り掛かり立っている。
黒板には五つのグループメンバー、つまりクラスメイト全員の名前──ほぼあだ名で黒板に書かれている。
あと変な落書きもある。
「──あ、めっちゃ飲んでた」
気づけばいちご牛乳は軽くなっていた。
「いいよー、半分このつもりだったもの」
コンビニの期間限定で朝なのに一つしかなかったから、と女子は携帯電話から目を離して俺に微笑む。
こういう、ね。
俺ありきで考えてくれるとか、そういう、ちょっとした事なんですけれどね。
「……ってか、さっきから何見てんの?」
俺は教卓から女子を覗き込んだ。
この位置は割と新鮮だ。
教団の上から、しかも立っている。
教師ってのはこうやって俺ら生徒を見てんだなぁ……。
「ちょっと下調べよ」
「ああ、旅行先の?」
「うん。行った事ある? 長崎」
携帯電話の画面を見せてくる女子に俺は教卓に頬杖をついて答えた。
「なーい」
「あは、私も」
「先に見ちゃったら楽しみ的なの半減するんじゃ?」
「ううん、倍増してる。画面の事がこれから本物になるんだもの。何より味がわかるー」
さっきから画面に映し出されているのは食いもんばっかで俺は苦笑いする。
けれど確かに美味そうだ。
「楽しみだなぁ。これとこれとこれ、絶対食べるー」
「ちょっとずつな。飯だってあんだから」
「わかってまーす。ふふっ、中学の時より楽しみ」
「あー……」
女子は中学の時──色々あった、って聞いた。
今のクラスメイト達のように友人関係も良くなかったと聞いている。
それが理由か、と聞きたかったけれど押し黙ってしまう俺がいて、そんな俺に気づいた女子は上目で見ていた。
「いいの。歩み寄らなかった私が悪い」
誰かが何とかしてくれようとしているのも跳ねのけて、自分でも何とかしようとしなかったと女子は言った。
「んふ、クサカ君と同じグループで嬉しいな。遠出のお出かけ、初めてね」
「……はしゃぎ過ぎー」
俺は女子の頭を撫でてやる。
さらさらの紙をくしゃくしゃにしてやっているのに、それでも女子は微笑んでいる。
三泊四日の旅行は俺も楽しみでしょうがない。
これから──もうやってる奴もいるけれど、勉強漬けの日々になるのかと思うと最後の大きなイベントかもしれない。
なんて、他にも学校行事はいっぱいあるか。
俺は女子から手を離して黒板に向いた。
黒板けしは、と端っこにあるのを取りに行く。
「私も消す」
「おー。あ、旅行バッグ買いに行かにゃーだった」
この前親父に貸したら持ち手の紐が千切れたとかで、壊れたままだったのを思い出した。
その他にも旅行グッズが欲しいところだし──と、反対側から黒板の文字を消していく少し爪先立ちの女子と目が合った。
──あ。
「……買い物、一緒行く?」
「その言葉待ってたわ。いひ」
いひ、の口のまま女子が微笑む。
計らずも、デート、ゲットぉ。
半分消し終えた俺はその場にしゃがんだ。
頭を抱えて、鼻の先を指の背で擦る。
──この前、凄く大胆な事を、した。
こいつの、うなじのとこ、口、つけた。
「どうしたの?」
女子も一緒になってしゃがんできた。
少し残っていたいちご牛乳のストローを咥えて、ずごごご、と最後まで飲み干している。
こいつも、首んとこ、噛んできた。
「ん?」
顔、熱くなってきた。
目、首んとこ、目、行く──。
「──シウちゃん」
「なあに?」
はっ、と気づいて一度勢いよく起立して、俺はまたしゃがんだ。
教室には誰もいない。
扉も窓も閉まっている。
黒板と教卓の間に俺達は、いる。
死角に、いる。
「……ちゅー、していい?」
「えっ、あの、えと……」
いちご牛乳のパックで顔を隠されてしまった。
こうやって宣言してからのちゅーは初めてだ。
けれど女子は俺の手に、そっ、と触れてきて──。
「……うん」
──と、小さく呟いてくれた。
触れられた手を柔く握り返して、俺は顔を寄せていく。
前髪同士が触れて、何となくおでこも合わせて、にらめっこする。
恥ずかしさから女子が少し笑って、俺も笑って──一回、二回。
ついばむようなちゅーから、俺は小さく、こう言った。
「……ちょっと口、開けて」
「えっ、あ──」
隠れた俺達。
繋いだ片手。
教卓の影。
床に、いちご牛乳。
……あーあ、やっちゃった。
我慢しまくりだった俺の理性、今だけ許して。
離れた俺達はまたおでこを合わせたまま見合った。
おれはたいへんよかったのですが、しうちゃんはどうだったでしょう、か。
どきまぎ、と待っていると女子は口を指で押さえて、いひ、と笑った。
「……いちご味って、気持ちいいのね」
そんな事言うもんだから俺も、いひ、と照れたのだった。
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