第237話 ナッツキャラメリゼ(前編)
ペディキュアは高校生になってからずっと塗っている。
いつも靴下で隠れてしまうけれど、わたしにとってこれは見て欲しい一つだったりする。
自室のベッドの上でペディキュアを塗り終えたわたしはマニキュアの蓋を閉めて足元に放った。
透明のラメとグラデーションは上手く塗れたと思う。
まだ完全に乾くまで時間がかかりそう、とベッドの近くにある小さなテーブルに腕を伸ばした。
携帯電話と、透明な筒に入ったナッツキャラメリゼだ。
母が気に入っている洋菓子店のナッツキャラメリゼは塩味も効いていて、キャラメルの香ばしい甘さと、ナッツのほろ苦さが美味しくて何度リピートした事か。
母はバニラアイスのトッピングにして食べるのが好きだけれど、わたしはそのまま、ぽりぽり、と食べるのが好きだ。
早速一粒──続けて二粒。
次々食べてしまいたい欲を耐えて指を舐めた。
数日後、わたしは高校の卒業を迎える。
壁にかけた制服を眺めて感傷とやらに浸ってみた。
わたしはこの制服が好きだった。
なんてことない昔からある黒いセーラー服だけれど、何でか好きだった。
袖を通して脇のファスナーを上げる時、スカートのファスナーを上げる時、白いスカーフが綺麗に結べた時、これを着て歩いた時。
この制服を着た時、オオツキに出会った。
わたしは体をずらしてベッドに寝て、天井を見上げる。
電気の紐にしている淡い水色のサンキャッチャーが静かに光った。
当時、オオツキは大人で、すでに先生で、わたしは面食らった。
もちろん拒否して反抗した。
だってオオツキは大人だ。
今もそれは変わらず、大人で先生だ。
距離は全く変わらない。
変わった事と言えば苗字から名前呼びになった事、わたしはさん付けから呼び捨てに変わった事、多少二人で話す事が多くなった事。
私服のわたしとは絶対に会わないのも変わらない。
……きっと、わたしよりオオツキの方が色々考えてる。
それは最初から考えていた。
だって大人は色々あるもの。
世間体はもちろんある、年の差だって十四もある、教師という職業もある。
関係ないよ、そんなの。
これが物語だったらどんなにいいでしょうね、とわたしは自問自答に深呼吸をする。
何度も自分に問いかけ、その度に出るこの答えに飽き飽きしていた。
関係ないだなんて、絶対にない。
それほどの衝動があれば違うのでしょうけれど、わたしにはそれがない。
オオツキがブレーキをかけるからだ。
オオツキはわたしを走らせない。
それは大人としてか、教師としてか──自分のためか。
またわたしは息を吸う。
──わたしのため。
素直になれない自分の息を止めた。
狂いそうなほどに苦しい。
どうしてわたしは出会ってしまったのだろう。
目を閉じて息を解いた。
──どうしてわたしは、オオツキに好意を持ってしまったのだろう。
わたしの想いはずっと、変わらないでいた。
認めたくなくて、認めなければならないと自分を偽って、好きにならなければならないなんて虚勢を張った。
一目で恋に落ちる、なんてよく言ったものだ。
わたしもそれにまんまと落ちるなんて。
制服のわたしと教師のオオツキ。
初対面の時、わたしはオオツキを見つめてしまっていた。
オオツキも同じようにわたしを見つめていた。
けれどオオツキはきっと違う意味だ。
驚きで動けなかっただけだと思う。
……オオツキってば、親の前だからか知らないけれど敬語なんて使っちゃって。
本当は口、悪いのよね。
ぶっきらぼうな言い方だし、わたしに対してもそうだし。
わたしは目を開けた。
──そういう、飾らないところがまた好意を増幅させたのよ。
オオツキのせい、わたしのせいじゃない、許嫁だって言葉のせい、意識したせいじゃない。
惚れた弱みのせいだなんて、言いたくない。
足で反動をつけて私は起き上がってベッドに座った。
塗ったペディキュアはもう乾いている。
淡く、薄く光るラメが光っている。
ナッツキャラメリゼをまた食べた。
ナッツのままでも好き、キャラメルがあっても好き。
そう、オオツキも言っていた。
──きっと、制服を着たわたしをオオツキは好きにならない。
好きになってくれない。
かりっ、と一粒、また二粒。
甘くて、しょっぱくて、ほろ苦い。
どうしてわたしは子供なのだろう。
子供、生徒、年下。
わたしはサンキャッチャーを揺らして、放たれた緩い光に当てられた制服をまた見た。
わたしはこの制服が好きだった。
けれど時々、嫌いだった。
それでも……好きなのよ。
わたしは部屋の灯りを消した。
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