第236話 ジャム(後編)

 他の先生方は部活動の指導などで出払っているのか、オオツキ先生は真ん中辺りのデスクにいた。


「おう、二人揃って何の用だー」


「俺は付き添いっす」


 早速男子はフォローに回った。

私よりも後ろに立って、私の動きを待っている。


 ふむ……なかなか緊張するわね。

なら──。


「──すみません、書道部の記録ノートを取りに来ました。記入漏れがあったなと思い出しまして」


 本当は記入漏れなんてない、嘘だ。

何か取っ掛かりをと咄嗟についてみたのだけれど、オオツキ先生は難なく信じて、はいはい、と嫌に綺麗に整頓してある引き出しから取り出して、そしてペンも渡してきた。


「ここで書いてけ。行ったり来たりは面倒だろ」


「じゃあ、はい──あ、先生もそれ飲むんですね」


?」


 ……はい、やらかしました。


 男子も気づいて明後日の方を向いている。

フォロー係を放棄されてしまった私はとりあえず続けてみましょう。


 オオツキ先生もジャムを溶かしたお湯を飲んでいたので、私はそう言ってしまった。

マーマレードのジャム瓶に、チューブの生姜がデスクの端に置いてある。


「……いえいえ、最近この飲み方を教えていただいたんです。それで──」


 するとデスクチェアーをぎぃ、と鳴らして回った先生は私と向き合った。


「──イツキだろ? これ教えたの」


 ……あーらー。


「なぁんの事だか私にはさぁっぱり?」


 私がそう誤魔化すと男子がふき出した。


 なんなのクサカ君、フォローするとかかっこいい事言っておいて笑うなんて。

先生もどうして笑ってるのかしら。

むぅん。


「これは俺が好きな飲み方っつーか食べ方でな。あいつに教えたのは俺だ。そんでまぁ……おおよそ予想はついたが、もう一度聞く。何の用だ?」


 オオツキ先生の目付きが変わった。

もう逃げられないその目に私は息を飲んで、吐いた。


「……質問をしに来ました」


「どうぞ?」


「先生はイツキ先輩をどう思っていますか?」


「ふっ、最初っからそう聞けばいいんだよ。周りくどい事しやがって──」


「──周りくどいのは先生もかと」


「……何?」


 今度は声が変わった。

重めの、先生ではない声だ。

さすがに男子が止めに入ったけれど、後ろから私の袖を引っ張る程度。

それでも私は続ける。


「余計な口出しとお節介、それを承知の上で言います。先生は答えない事がいいとしていませんか?」


 イツキ先輩にライーンで少し教えてもらっていた。

これまで、オオツキ先生から何のアクションもなく、ただ、許嫁の否定もないと聞いた。


 それを聞けないのも、答えがないからだと聞いた。


 オオツキ先生は一息つくかのようにジャムのお湯を飲んだ。

そして湯呑に口をつけたままこう言った。


「……答えたら、あいつを奪う事になるだろうが」


 男子も隣に並んで先生の話を聞く。


「家のしつこいごたごたはお互い諦めてるがな……まだ十八だ。お前らには大人っぽく見えるだろうが、俺からしたらイツキはまだガキなんだよ」


 イツキ先輩はこれからなんだ、とオオツキ先生は言った。

勉学も人間関係も恋愛も、これから多く経験していくと言った。


「俺は邪魔したくねぇのさ。わかるか?」


 それは大人の、教師の想いだった。

私達にはまだわからないとも言えるそれだった。


「……それを伝えたらいいんじゃ?」


 男子が聞く。

けれど先生はため息と笑いを混ぜた。


「あいつはわかってんよ。先生だから、生徒だからってな」


 イツキ先輩もそう言っていた。


「先生とか……ずるい言い訳だわ」


「ふっ、ずるいのが大人の特権さ」


 オオツキ先生は答えない。

けれど、私達には答えた。


 奪う事になる。


 オオツキ先生は、イツキ先輩とそうなりたいと考えている。

十八の今も、先も、先生だけの人にしたいと。


 そこまで言っているのに、想いがあるのに、先生が邪魔をする。


「……やっぱり先生ってむかつくわ」


「だな」


 男子も同意した。

このフォローは百点。

記録ノートを突き返すとオオツキ先生は、にやっ、と八重歯を見せて笑った。


「どうもお前達は生意気だな」


 もう行け、とオオツキ先生は手をしっしっ、と振る。

これ以上は、と男子がまた袖を引っ張るので従った。


 けれど悔しいのでもう一言だけ。


「生意気なのは子供の特権です──


 私は以前の会話を思い出して皮肉った。


 先生も恋やら愛には子供同然、お前らと一緒だよ。


 一緒に慣れないのが大人で先生という理由。

難しいなぁ、と私と男子は職員室を後にした。

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