第208話 モカ(後編)

 好きな人に好きな人がいる場合、まだ恋人関係ではないから好きな人の好きな人に一言、なんて言わないでいいと思う。

好きな人の好きな人が友人で、けれど友人が好きな人にそういう好きがないのならそれも一言、言わないでいいと思う。


 レン君の場合。


 好きなシウには好きなクサカがいる。

どちらも友人で、しかもシウとクサカが好きな人同士だ。

友達の好きな人を好きになってしまって、好きな人は友達を好きでいる。

友達は好きな人を好きでいる。


 ずずっ、とモカを飲んだ私はコンビニの裏通りを眺めた。

日が暮れるのが早くて夜の空が迫っていて、薄い空気が頬を冷やしている。


 あたしの場合。


 あたしはシウに牽制した。

クサカとシウが好きな人同士なんて知っていた。

あの日喫茶店で久しぶりに会った時に、一緒に出掛けるくらいだからそうかな、と感づいていた。

クサカを好きだったから、わかった。

シウはわからなかったけれど、今がその結果だ。

あたしはクサカもシウも好きで、友人だと思っている。

シウを親友だと思っている。

クサカを──。


「──あいつ、いい奴だよね」


 クサカはいい奴だ。

そういう好きじゃなくなっても嫌いにはならない、いい奴だ。


「そうなんだよなぁ……」


 レン君は膝に肘をついて丸くなりながらそう言った。

モカのため息は腹の底から白く、長い。


「……昔話、いい?」


 飲み終わるまでになら、とあたしが言うとレン君は話し始めた。


 レン君は中学の時に実の母親を病気で亡くしたという。

これはあたしも知っていた。

同じ中学だったしそういう話は、ひそり、と出回る。

だからと言って当時のあたしは、そうなんだ、大変だね、という薄情な事しか思わなかった。

色々学んで、レン君を知った今は、辛かったね、悲しかったね、とそう思う。

けれどそれらを言葉には出来ない。

思う言葉は言っていい言葉かわからないからだ。

そして当時のレン君が荒れていたのも知っていた。


「そういう時にさ、クサカがふらっと来てさぁ」


「あっは、あるある。そういうとこ──」


 ──すぐに、口を噤んだ。

言いにくいのはそういう言葉だからだ。

するとレン君が続きを言った。

代わりに言ってくれた。


「……好きんなっちゃうよな」


「……うん。むかつくけどね」


 憎まれ口で濁す。


「それが一番の理由かもなぁ」


 憎まれ口がまた出た。


「怖気づいた理由?」


 なんて嘘、本心だ。

レン君は怖がって、怯んでいる。

だからあたしに会いに来た。

どう言って欲しいかなんて知らない。

あたしはあたしの言葉を吐く。


「どうしたいの?」


 どうなりたいか、それはレン君の中にあるはずだ。

それを吐かせる。


「……傷つけたく、ない」


 レン君は飲み終わった缶を握り潰した。


「なーんでいい奴なんだろなー」


 不毛な文句。


「なーんで同じ奴好きんなってんだろなー」


 子供みたいな愚痴。


「……いっその事、嫌な奴だったらよかったのに」


 これが本音。


 恋に動きたい、動いている。

けれど動けない、動けなくさせる。

レン君は彷徨っている。

薄いようで濃いような、見えて見えない恋の先を。


「……弱ったねぇ」


「強くねーもん」


「知ってる」


 缶を逆さにしてあたしもモカを飲み切った。

酸いた後味を舌で舐める。


「……あたしはレン君も傷ついてほしくないよ」


 横目で見ていたらレン君の驚いた目とぶつかった。


「嫌われるような事、してほしくないよ」


 きっとレン君は嫌うくらいだったら自分を嫌うように仕向ける。

そう思ったあたしは止めておく。

黄色いテープ、ここから先は禁止、別の道をどうぞ。


「……やっぱミツコ選んでよかったかも」


「あんま嬉しくないなー」


 こんな役ばっかり。

あたしもたまにはなってみたいよ──誰かの主役に。


 ベンチから腰を上げたあたしは背伸びをする。

レン君も立ち上がって空の缶をあたしの手から取った。


「シウの事、マジなんだよね?」


 話はもう終わり。

暗くなる前に帰ろう。


「うん」


 缶をゴミ箱に捨てたレン君はあたしの横に立つ。

彷徨っていた目はもうなかった。


「……フラれたら今度はあたしが奢ったげる」


「あ? まだフラれてねーし、こっからだろ。帰る。じゃあな」


 じゃ、とあたしとレン君は逆方向に歩き出した。

そしてあたしは振り返ってその後ろ姿を見た。


 ……馬鹿な真似だけはすんなよ、ばーか。

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