第107話 シュークリーム(前編)

「──負けた」


 放課後の教室に戻ってきた女子の第一声はこれだった。

けれどその顔は笑っている。


 女子は今日、先日受けていた和洋菓子店、ものくろ屋の文字の依頼の最終決定──つまり、書道部一年のカトーとの勝敗を聞くために書道部の部室に行っていた。

結構時間がかかると思って俺は漫画本を読んでいたわけだけれど、まだ三分の一も読めていない。

女子は自分の席、廊下側の一番後ろの席について、前の席の俺を正面に見たまま座った。

俺も横座りで首を女子の方に向ける。

女子は両手で頬杖をついて、まだ笑っている。


「……何で笑ってんの?」


「やっと終わったからよ」


「負けたのに?」


「負けたけれど、よ」


 女子は手を組んで背伸びをした。

採用は一人だけ、カトーが選ばれた。


「もっと悔しがって、いーっ! ってなるかと思った」


「悔しくない、とは言ってないわよ?」


 女子は腕を下ろして横向きに座り直す。


「選ばれなかったのは事実。けれどあの時の私は私の精一杯を使った。あれ以上は出なかった」


 そして結果が出ただけよ、と女子はまた微笑む。


 結果は負けだけれど……満足、って事?


「ふふっ、クサカ君の方が負けたみたいな顔してる」


 女子は自分の唇に指を差した。

俺はいつの間にか口を尖らせていたようで引っ込める。


「あー……楽しかったぁ」


 楽しかったなら、いっか。


「ん。お疲れ」


「ありがと」


「で? その袋は?」


「んふふー、覚えてる? 


 戦利品──ああ!


 女子は、いそいそ、と二つの戦利品を取り出した。

先日の校外研修のカレーの商品的なそれ──購買部のジャンボシュークリーム。


「いつの間に──って、俺、優先券貰ってなかったのってクラキが持ってたからか」


 聞くと優先券は女子がまとめて預かっていたとかで、他の皆にはもう渡したそうだ。

昼休み、俺が部活で用があって教室にいなかった時だという。

教室を出る前に女子はすでにいなかったのはこういう理由だったか。


「昼休み一番にゲットして保健室の冷蔵庫に保管してもらっていたの。きんきんに冷えてやがりますよ」


「ははっ、やがりますか」


「やっと下がり眉毛が元に戻った」


 本当なら俺が慰める? 側なのに、そうさせてくれない。

というより、必要ないみたいでどんな顔をすればいいのか迷う。


「……あ、飲みもん冷たいのがいいと思って買ってない──」


「──今日はいいわ。戦利品で祝賀会しましょ」


「お祝い?」


「やり終えて負けたお祝い──挑戦終了のお祝いよ」


 そしてまたいつかのお祝い、と女子は足して言った。

これで終わりだけれど、終わりではないって事らしい。


「はい」


 女子はジャンボシュークリームを渡す。


「わーい、めっちゃでっかい」


 嬉しそうな顔は子供みたいだ。


「どうしたの?」


 ……凄ぇな、って思って。

最後まで楽しんでるっていうか、そういうの。

もう次を考えてるとことか、後悔を見せないところ。

俺にはないとこばっかな、とこ。


「……いや、食うべ」


「はーい。いただきます」


「いただきまー」


 ウェットティッシュで手を拭いた俺達は透明の袋を破いて、片手いっぱいの大きさのシュークリームを取り出す。

すると女子はそれを掲げてきた。


 ああ、そういう事。


 やや固めのしっかりしたシュー生地をゆっくり当てる。


「──お疲れ。惜しかったな」


「ふふっ、ありがとう」


 シュークリームで乾杯とかって思ったけれど一口食べて、やっぱり乾杯で合ってるかも、と感想が出た。


 おー、カスタードクリームとっろとろ。

やべ、垂れる、吸うっていうか飲む感じ。

バニラ風味すっげ……。


「どうよ、待ちに待った味は」


 何度か頷きながらゆっくり味わう女子は、ごくん、と飲み込んで──。


「──勝利の味がするわ」


 と、言った。

また面白い言い方をする。

負けてるのに、負けてないみたいな。

そして今まで食べたシュークリームの中で、一番美味しい、とも言った。

俺もそれに同意する。

ぱりさくっ、としたシュー生地も、ゆるとろ、のクリームも、一番、と女子は二口目を食べる。

ごくん。


「…………やっぱり悔しいわ。ちぇ」


 その呟きに、だよな、と今度は俺が笑った。

女子は一番になりたいらしい。

なら──、と思いながら俺はシュークリームにまた齧りついたのだった。

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