第99話 シナモンロール(前編)
日曜日の学校は部活動で来ている人も多くて、今日は私もその一人。
「……出来た」
実習棟の二階、書道部の部室の真ん中で、椅子の上に立っている私は、床に並べた紙達を見下ろしたまま呟いた。
今まで書いた──書こうとしていた中で、一番緊張した。
色んな事が重なったからかもしれないけれど、それは全て、ここにある。
我ながら、良く書けた。
なんて、書き終わっての高揚感でもう結果が出たみたいになっているのは良くないわね、とまだ椅子の上に立ったまま、背伸びをする。
すると──。
「──お疲れさん」
後ろから男子の声がして、背伸びをしていた腕を上げたまま、ゆっくりと、ぐりん、と振り向いた。
「……びっくりした。いつの間に忍者になったの?」
「ははっ、なってねーよ。ノックもしたし声も掛けたんだけどお前、超集中してたからさ。大人しく待ってた」
「いつから?」
「まだ座って書いてる時から」
男子は前に来た時と同じ席、同じ場所に座っている。
組んでいた足を解いて、立ち上がって、そして私の隣に並んだ。
「ふーん、ひらがなか」
「ええ。説明のところは漢字もあるけれど、レトロチックにしたくて」
アイスクリームは、あいすくりぃむ。
こんな感じ。
それにしても男子よりも背が高い今の視線がとても新鮮だ。
「んぁ? 何だよ」
男子が見上げる。
「ふふっ、何でもない」
「笑ってんじゃん。っつーか、昼食った?」
「いいえ?」
「そんなこったろうと思った。もう一時半だぞ」
「わお」
そうリアクションを取ったと同時に、ぐぅ、とお腹が鳴ってしまった。
しかも三連発、さすがに恥ずかしくて口を尖らせる。
「ははっ!」
男子が歯を見せて笑った。
仕方ないじゃない、きっと緊張的なものが解放されて気が緩んだのよ。
お腹の虫もきっとそれだわ。
「購買部は休みだし、近くに買い物に行かないと──」
「──持ってきた」
「え?」
「昼ごパン」
そう言った男子は手を差し出した。
どうやら椅子から降りるのに手を貸してくれようとしているのだけれど、これくらいいいのに、と私は少し戸惑う。
それに何だか、ダンスのお誘いみたいにも思った。
こういう、ちょいちょいジェントルな感じ、嫌いじゃないけれど……恥ずかしいなぁ……。
「ん?」
……あら?
男子は私の方を見ていなくて、少し頬が赤くなっていた。
……なぁんだ、私だけじゃなかったのね。
「んふっ、パンなの?」
私は男子の手に、手を乗せた。
軽く、指が添えられる。
「お菓子のような、パンのような──」
「──シナモンロール?」
「なぁんでわかんだよ。エスパー再び」
「名推理と言って。なんて、なんとなくよ」
微笑みながら椅子を降りて、自然に手を離そうとしたら、まだ男子は私の手を握っていた。
沿えていた指はいつの間にか私の手を包んでいる。
「──ちゃんと言っておく」
男子はいつも唐突だ。
言うって何を? と私は見下ろしていた目を今度は見上げる。
もう、いつもの目線だ。
「……ごめんな」
それはいらないって言ったのに、どうしてまだ言うのだろう。
「ごめんな。その時良いと思ってたけど、全然、良くなかった。もうしない」
それは──。
「──いいの」
「え?」
「あなたは馬鹿だもの。今更よ」
あ、男子の目が少し怒った。
「それは、なくねぇか?」
「ありよ、大ありよ。本当に馬鹿ね──私を喜ばせてばかり」
「ん? ……ん? え?」
気づいていない男子の手を両手で握る。
大きな手が、さっきの私とは逆に、おどおど、している。
「優しいところがクサカ君の良いところで悪いところね」
私だけじゃなくて、皆に優しい。
けれどそれは時に、傷つける。
きっと、私も知らずにそうしている。
ぐぅ。
「……そんな事より昼ごパン食いてぇってか」
「ふふっ、お腹空いたわ」
私と男子は、席に着いた。
その席まで何歩の距離だったけれど、手を繋いで。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます