第91話 パルミエ(前編)

「──あの人がカトーが言ってたクラキ先輩?」


「うん……」


 実習棟の二階、真ん中の書道部の部室の扉を数センチだけ開けたそこから、俺と俺の彼女──田中麦たなかむぎは並んで、しゃがんで、覗いている。


「きりっとした大人っぽい人だね」


「うん……」


 書いてるさまはそうなんだけれど。


「で、さっきからがむしゃらに書いてんね」


「うん……」


 書きまくっているようで昨日よりも紙が散らかりまくっている。

俺は横目でムギを見た。

ゆるゆるふわふわ、っとしたツインテールはいつもの髪型で、見た目からもゆるふわな雰囲気の感じに見えるんだけれど、言う事はきっぱりはっきりしている。


「結構重症っぽいね。カトーのせいで。やーい」


 ド真ん中のストライクを剛速球で投げてくるので、今の俺にはきっつい。

わかってんすよ、わかってんすよ俺のせいだって事は。


「……どうしよ」


 昨日のあれは、どう考えても俺のせいのような気がする。

そしたら今、案の定な状況だ。

考え込んでた俺の変化に気づいたムギに軽く話したら、こうやってついてきてくれた。


 俺はムギのツインテールの髪の先っちょを引っ張らないようにつまんで、揺らす。


「……カトー的にさ、この状況って美味しいんじゃないの?」


「んー……んー……」


 軽く抱えた膝に顎を乗せて、目を瞑る。

ムギが言っているのは、ものくろ屋の字の勝負中なわけなので、勝機を考えれば、というやつだ。

そうだけれど──もやっ、とするものが、ある。


「──いや、これは駄目だろ。卑怯だろ、どう考えも。計ってやったわけじゃねぇけど、気持ち悪ぃ」


 クラキ先輩も言っていた。

その言葉を借りるなら。



 するとムギは、にっ、と笑って俺の背中を撫でてきた。


「うんっ、そう言うと思ったっ」」


 あー……自分で何とかしたかったのに、弱ぇなぁ、俺。

そんでムギに見抜かれてんだもんなぁ……敵わん。


「……あ、ありがとな」


「にっひっひ。いーよ、どうにかしよ」


 そう言ったムギはバッグから何やら取り出して、一つ俺に渡してきた。

ハート型のパイクッキーで、多分手作りだ。

この透明の袋とビニタイは前に見た事がある。


「作戦会議にお菓子は必要だべねー」


「作戦会議って……まずは真相を知るとこから、とか?」


 さくっ、とひと齧り。

美味い。

するとムギは廊下に座り込んで食べ出した。

足がきつくなったからだろうけれど、スカートであぐらを掻くのは俺の前以外ではやめていただきたい。


「真相って、見たんでしょ?」


「二人ってのは後ろ姿だけ。でも勘違い野郎──」


「──こら」


「……クサカ? 先輩って方は横顔も完全に見た」


 女の方はクラキ先輩と髪型が似ていて、背格好も似てる。

同じセーラー服だしそう変化はないんだけれど。

あとバッグに──。


「──


「熊? がおー」


 ムギは両手を上げて襲ってくる熊の真似をした。


「違う。バッグに毛がもさぁってしたクマのぬいぐるみついてた」


 女はよくそういうのつけてるからヒントにならないかもしれないけれど──。


「──それ、同じクラスの子かも。もみじちゃんじゃない?」


「うぇ? マジ?」


 俺とムギは同じクラス、って事はその女も同じクラス。

まさか先輩の後輩、俺と同学年とは。


「……うん、似てる。天文部でさ、ちょっと前に彼氏出来たかもー、ってはしゃいでるとこ見た」


 鈴木椛すずきもみじ──やべ、ムギ以外の女、全然興味ないから名前聞いても顔出てこない。

それに天文部って──。


「──クサカ先輩も天文部だったはず」


 俺はムギと目を合わせた。

お互い眉間に皺を寄せて苦い顔をする。


「カトー、どうすっぺ」


「どうすっぺって……どうすっぺ」


 そう言い合っている時、見てしまった。

ムギも見たと思う。

そして、目が離せなかった。


 クラキ先輩が、静かに泣いていたのを。


 ……あー、くそっ。

俺の馬鹿野郎。


 俺は小さく舌打ちした、自分自身に。


「俺、余計な事言ったよな?」


「そーだね」


 もう一枚、ハート型のパイを袋から出して眺める。

それはど真ん中で、さくん、と割れてしまうやつ。


 何かそれが、嫌で。


「別に先輩のためとかじゃねぇけど──確かめに行く」


「よしきたっ!」


 また、にっひっひ、と笑うムギを見ながら俺は一口で全部、食べたのだった。

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