第79話 ロリポップキャンディー(前編)

 実習棟の二階の真ん中の書道部の部室で、俺は書を見ている。


 やっぱ凄ぇや……。


 と、小さくノックが二回、鳴った。

いきなりの扉の開閉音では誰かが書いていた時に集中が切れてしまうかもしれないから、という理由からこの人──クラキ先輩はそうする。


 扉が、開けられた。


「──こんにちは、カトー君」


「ちわっす、クラキ先輩」


 クラキ先輩は二年の先輩で、女で、この前熱を出した人。


「他の子達は……そっか、テスト前期間中の自由参加だったわね」


 それを決めたのは先輩だってのに、と俺は軽く頷いて横目で先輩を見る。

バッグとお茶を端にある机に置いて、こっちに近づいてきた。


「先生は?」


「まだです」


「そう。何の話かは聞いてる?」


「いえ」


「何なのかしらね、私達二人だけって」


 俺と先輩は先週、顧問の先生に呼び出しを受けた。

そして先輩が熱を出したため俺だけ話を聞こうとしたのだけれど、先生は、二人一緒に、というので、今日、という事になったのだ。

書道部の先輩と後輩の俺、書に関する事だろうと予想はつくけれど、検討はつかない。


 だって俺は、まだまだ、だからだ。


 俺は文化祭の時に展示されていた先輩の書を見ている。


「……先輩って、何者ですか?」


「なーに? 変な質問ね」


 いつもと違う、機嫌が良いような──不気味さが、俺の警戒心を上げた。

すると先輩は隣にある俺の書を眺めてこう言った。


「相変わらず強い字ね」


 俺の癖はもう知られていて、その時々も先輩は見破る。

目も良く、感も良い。

きっと頭も良いのだろう。


 そして続けてこう言ってきた。


「──時に強すぎて、悪くなる」


 横目が、刺さった。

これは多分、先日の話。

突きもせずに、刺してきた。


「……この前の、っすね」


「ええ。話を聞きました。顔を知らないとはいえ、先輩に使う言葉ではなかったと思うわ」


 それは、まぁ。


「……すいません。気をつけます」


「はい。それとありがとう」


 お礼を言われた。

おかげ様ですっかり元気、との事。

それは喜ばしい事なのだけれど、機嫌が良いのはどうにもまだ不気味だ。


 聞いてみよう、とした時、タイミング悪く先生が部室に入ってきた。

書道部の顧問はいくつもの部活を兼任する先生で、目つきは俺と匹敵するくらい鋭く、オオカミ先生、というあだ名の男の教師だ。

担当は数学、本名は、大槻優牙オオツキユウガ


「お、時間通りだな」


「こんにちは」


「ちわっす。話って何すか?」


 正直、俺はそんなに頭が良くないので早く帰ってテスト勉強したい。

したくはないけれど。

すると先生は、じゃあ手短に、と封筒を一つ、俺達に見せてきた。

もう封は開けられていて、先輩が受け取って手紙を開く。

俺も体を斜めに近づけてそれを読んだ。


「……つまり、依頼、という事ですね」


「そうだ」


 オオカミ先生が、にやり、と笑う。

内容を要約するとこうだ。

文化祭の書道部の展示を見たOBが俺と先輩の書を気に入ってくれて、今度そのOBが出す店の看板、それにお品書き等の文字を頼みたい、という事らしい。


「──光栄です。ね?」


「あ……は、はい」


 上手く頭がまとまらなくてぎこちなくなってしまった。

身が震える。


「良い機会、どうする?」


 先生は俺と先輩に、選択させる言い方をした。


 俺はもう、決まっている。

先輩は、と見ると軽く手を上げていた。


「いくつか条件があります」


 条件? 何を──。


「──?」


 味?


 このお店は甘味を扱うお店、と手紙にあった。


「その辺はこっちで連絡しておく。いい部活動の一環だな」


 そして先生は重要な事を言った。


「採用する文字はどちらか一人だけだ」


 マジかよ……そんなの──。


「──はい、構いません。カトー君は?」


「えっ、あー……」


 くそ、決めたのに揺らいだ。

俺は強くなんかない。

こういう時こそ出すべき強さが、出ない。

強がりが、怖い。


 すると先生は二本、を俺と先輩に渡してきた。

赤い丸い玉がついた棒──ロリポップキャンディーをだ。

ガキくせぇ、とか思ったら──。


「──ご褒美。お前達凄ぇぞ」


 と、先生は言う。


「カトー君、あなたはどうする?」


 先輩まで聞いてきた。

決めかねているのを知った上で聞いている。

少し腹が立った。

余裕から、上から言って──。


「──私は挑戦する」


 ……挑戦。


「私達の字を見染みそめてくれたのよ? 嬉しいし、楽しいわ」


 楽しいとか……嘘だろ。


「それに開店前のお菓子もいただける」


「はぁ?」


 味わわせてくれって、雰囲気とかそういうのかと思ってたのにマジで食う気?


 なんかもう、わかった。

俺はまだ、先輩に敵わない。

敵わないけれ、ど。


 ブラックチェリー味のロリポップキャンディーの包み紙を剥がしながら俺は言った。


「──受けて立ちます」


「いいね」


 と、先生はオオカミみたいな八重歯を見せて、じゃあまた連絡する、と部室を出ていった。

また先輩と、二人。


「面白くなってきたわね」


「はい」


 そう、面白い。

こんなチャンスはそうない。


「うふふ、早くお菓子食べたいわ」


 ぺろり、と唇を舐める先輩は機嫌が良い。

俺も、その機嫌が移ったようだ。

けれど舐めてかかったりはしない、とロリポップキャンディーをかこん、と軽く噛んだ。


 俺は先輩に、挑戦する。

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