第15話 メープルクッキー(前編)

 ──思いもよらない事は、いつも突然で驚かせる。


 放課後の教室の窓際、一番後ろの俺の席の一つ前の席に女子が座っている。

壁に背をつけて、丁度教室の後ろの扉を向くように。

もう慣れたその光景を俺は少しの間見ていた。


「──あら、おかえりなさい。今日は用があるって言っていたのに」


 やっとで気づいた女子が俺がいる教室の後ろの扉へ顔を上げた。

いつもの変わらない表情で驚いた風に。


「どうしたの?」


「……いや、何でもない。ただいま」


「用って部活?」


「……そんなとこ」


 そう答えて肩からバッグを下ろして自分の席に座る。

すると女子が食べていたお菓子を俺の机の上に移して、二本のジュース缶を見せてきた。


「飲む?」


「……ふっ、何で二つあんだよ」


「どっちにしようか決まらなくて」


 女子の手には無糖の珈琲と微糖の珈琲がある。

俺は迷わず微糖の珈琲缶に指を差した。


「だと思った」


 缶を受け取ると、周りについた水滴が俺の指を濡らした。

かつん、とプルタブを開けて、ずずっ、と一口。

微妙な甘さが冷たい。

女子は読んでいた本を膝の上で広げていて、今日は手でお菓子を食べていた。


「何クッキー?」


 一応、食べていい? と聞くと、どうぞ、と返ってきたので長方形のそれをつまむ。


「メープルクッキー」


 ふぅん、と呟いた俺は、ざくっ、と食べた。

しっかりした歯応えが楽しくて、そしてやっぱり甘くて美味い。

薄い水色のリボンテープと透明な袋を見ると、買ってきた物か、と察す。

また一口、微妙な甘さの珈琲を啜って、机に置いておいた漫画本を取り出した。


 いつもの感じだ。

いつもの、何を話すでもなく過ぎていく放課後。

夕陽がまだ出ようとしない空と、女子と二人の教室。


 ……なんか、静かだな──。


「──静かね」


 同じ事が女子の口から出てきた。

今、声に出してたっけ、と少し焦る。


「お互い本読んでたらな」


「そうだけれど、今日は特に」


「そ?」


 いつものように言ったつもりだけれど、女子は顔を上げて横目で見てきた。

そんな俺も遅れて横目を送る。


「何かあった?」


 どきり、と胸が鳴った。

瞬間、動揺する。

どうしてそうなったかは謎。

多分言い当てられたからだと思う。


「──いや?」


「そう。私の勘違いならそれでいいの。変な事言ったわね」


 ……違ってねぇよ。


 女子はそれで引っ込み、クッキーを噛まずに口に咥えて、無糖の缶珈琲のプルタブを開けた。

そして開けたと同時に空いた手でクッキーを掴むと、ざくっ、と食べた。

ざくざくざく、と音を楽しんでいるように咀嚼しているようで、俺は思わず笑ってしまった。


「ふはっ、珍し」


 ん? と女子は、ぺろり、と唇を舐めつつ俺を正面に捉える。


「お前、これ気に入ってるだろ」


「どうして?」


「顔」


 何度も一緒にお菓子を食べているけれど、あからさまに楽し気、美味しそう、という顔をしていたのだ。

割りと無表情、というか、表情を崩さない方だからそう思ったのだ。


「当たり。あなた、私の事よく見てるのね」


 女子は本を机の上に置いた。

見えたページにもお菓子の絵が載っている。


「絵本──って、英語じゃん」


「ええ。このくらいの英語なら余裕」


 今度はドヤ顔か、と微妙な変化に気づいた俺は苦笑いする。

ところどころの単語はわかる。

どうやらこれはハロウィンの絵本らしいけれど、今は七月。

季節外れではないだろうか。


「本はいつ読んでも楽しいのよ?」


「まーな」


「あなたといつ話をしても楽しいようにね」


 うん、そう思う。

だから──


「──やっぱり変」


 俺も顔を見られたか、当てられた。


「……ごめん」


「悪戯もしていないのに謝られるのも変」


 すると女子は長方形のクッキーを俺の目の前に掲げて、微笑んだ。


「お菓子をあげるから話してみなさい」


 まるで、トリックオアトリート、のように女子は言うのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る