第11話 ラスク(前編)

「──おかえり」


 放課後の教室の窓際、一番後ろの席で俺は週刊漫画雑誌から教室の入口に顔を上げた。


「あーめんどくさい」


 おかえり、って言ったんだから、ただいま、って返せや。


 教室に入っていたのは女子で、プリントを手に戻ってきたところだ。

ため息をつきつつ俺の前の席に腰を下ろす。


「ほい、今日のです」


「あら素敵な言い方。苦しゅうない」


 クラキも素敵で憎らしい言い方です。


 飲み物担当になりつつある俺が用意した今日の飲み物はオレンジジュース。

女子は先生に呼び出されていたため、さっき自動販売機で買ってきた。

まだ冷たいのでいつものようにぬるいだとか言われないだろう。


「はい、今日のよ」


「あざーっす」


 苦しゅうない、は真似しないでおく。

何と言い返されるかわからない。


 女子はバッグから透明な袋に入ったを取り出す。


「パンの耳?」


「ラスクよ。朝作ってきたの」


 アップルパイに続き、手作り二品目。

とても有難いけれど、と俺は女子を正面に捉える。


「……まさかそれで遅刻?」


 女子は今日、遅刻した。

それで放課後の今、呼び出しを受けていたわけで。


「いいえ。いつも通りに家を出たわ。特に急ぐ事もなく」


「だったら何でだよ」


「ちょっと実験してみたの」


 実験とは。


「とりあえずお腹が空いたわ。食べましょう」


 そうだな、と俺は袋を開ける女子を待った。


「そうそう、あなたの分も持ってきたの。よかったら使って」


 何だ何だ? と見るとそれは割り箸だった。

女子は手が汚れるとかなんとかでお菓子を箸で食べる事がある。


「さんきゅ」


 こっちはシュガー、こっちはシナモン、と味の説明をしてくれたラスクは一口サイズに切ってあって、ところどころ焦げが手作り感を出している。


「いただきまー。で、実験って?」


 お、さくさく、薄ら甘くて美味い。



「はぁ?」


「漫画やアニメでよくあるじゃない。あれ」


 ああ、とオレンジジュースを飲みつつ数回頷く。

パンを咥えて走って登校するあれだ。

曲がり角なんかでぶつかってなんちゃらかんちゃらという感じの、あれ。


「それでラスク? って、トーストとトースト?」


「ラスクはトーストじゃないわよ。それに私が朝、食べてきたのはサンドイッチ」


 それはまた斬新な。


 聞けば、かりかり、のベーコンと新鮮なトマトとレタス、とろーり、半熟の目玉焼きを挟んだ豪華サンドイッチだという。


 えーっと?


「まず口だけで咥えるのは無理だったわ。両手じゃなくても片手は必要」


 そうでしょうね?


「走ると落としそうだし、まず私は走るのが嫌いだし」


 前半はすんなり納得、後半も何故か納得。


「それでも実験だからちゃんとやってみたの。一口齧って咀嚼しながら八十パーセントくらいの走りをね。そしたら喉につまって死にかけたわ。超絶むせた」


「ははっ! ──あ、やべ」


 ストローを咥えたまま女子は俺をじとり、と見ていた。

今のは俺、悪くない。

笑わせたのは女子だし笑わない方が無理だ。

というか、何してんだ、って話だ。


「そ、それで遅刻っすか」


「ええ、立ち止まって全部食べてきたからね。全く、先生も融通が利かないったらないわ」


 いやいやいやいや、おいおいおいおい。


 さくっ、とラスクを箸でつまんで食べる女子はプリントをラスクの横に置いた。


「反省文ならそのまま書いてやろうと思ったのに、まさか数学の課題になるとはね」


「ご愁傷様──」


「──で、ものは相談なのだけれど」


 あん?


「クサカ君、続きをやってみない?」


「はぁ?」


「引き受けてくれたらあなたが好むお菓子を用意してあげる。どんな高級なものでも」


 ……ほぅ?


「じゃ、明日よろしくね」


 俺の顔を読んでか、答えを言う前に女子は、さくっ、と軽快にラスクを食べるのだった。

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