第31話 伯爵家の闇



「お願いです。体を大事にしてください。お姉様だけの体でないのでしょう?」

「……私だって大事にしたいわよ。守ろうとしているわよ。だから黙っているのよっ!」


 お姉様は私の手を振り払い、近付きすぎていた私を押しのけました。


「お父様はこれ以上の変更を望まないわ。ロエルとの結婚を決めた時、言われたわよ。変更が生じれば、その原因を処分すると。だからお父様に知られたら、何もなかったことにされてしまうでしょうね」


 すっと落ち着いたお姉様の声は、とても平坦でした。

 前より痩せた顔に微笑みが浮かびましたが、目は異常に輝いていて、ゾッとするような表情になっていました。


「わかるでしょう? お父様には絶対に知られてはいけないのよ。……ロエルはそう言うお父様のことを知っているから、無理をしてしまうでしょうね。だから絶対に教えないつもりよ」


「で、では、せめてお母様にだけは……!」


「お母様? 無理ね。あの人はもっと体面を気にするわ。私の乗った馬車が不自然に壊れる事故が起こるだけよ。もしかしたら、運悪く盗賊にも襲われるかもしれないわね」



 お姉様の声は冷たく、語った内容は予想もできないものでした。

 それは……事故に見せかけて殺される、と?

 お母様がそんな事をすると考えているのですか? いつも無関心で、でもいつも笑顔で穏やかな人なのに。


「……まさか、そんな」

「エレナは気に入られているから、安心しなさいよ。……あの人、私が嫌いだから」


 お姉様は、自嘲するようにつぶやきました。



 ……アルチーナ姉様は、少し興奮しているのかもしれません。

 そうでなければ、こんなことを私に話すわけがありません。


 落ち着かなければ。

 私が落ち着いて、お姉様に心穏やかになってもらわなければいけません。


 今はまだ秘密にできても、そのうち必ずメイドたちが気付きます。体型も変わってくるでしょう。

 お父様やお母様が把握する前に婚約披露パーティーを乗り切ってしまえば、そして結婚式が終われば、お姉様の勝ちになるのです。

 そのために必要なことは。

 私だけでは何もできませんから、味方を作ることが第一でしょう。

 ゆっくり深呼吸をして、頭の中を整理して、もう一度深呼吸をしてから口を開きました。


「アルチーナ姉様。私だけではお姉様をお守りできません。だから、誰かに相談させてください」

「無理よ。一応言っておくけれど、私のメイドたちは全員ダメよ。全員、お母様かお父様に筒抜けだから」

「えっと、では、セアラさんは? 一番長くお姉様のおそばにいますよね?」


 私にとってのネイラのような人。それがセアラさんです。

 だから名前を出したのですが、お姉様はますます不機嫌になりました。


「あのね、セアラはお母様には絶対に逆らえない人よ。そんなことも気付いていなかったの?」


 ……うっ。

 ご、ごめんなさい。全然気付いていませんでした。



 となると。

 急激に選択肢が狭まってしまいました。

 まだ社交界に出ていない私の知り合いは少なくて、屋敷の中で世界は収束しています。でも屋敷の中の人は、諦めた方が良さそうです。

 ネイラは大丈夫かもしれませんが……少しばかり口が軽いから、まだやめておきましょう。

 まずはお父様の動きを止められるような人を探して、その後でネイラを頼ることにして……でもそういう後ろ盾になってくれるような人は……。



 一生懸命に考えて、たった一人、絶対的に信頼できる人を思い出しました。

 私はお姉様の椅子の前に膝を突き、そっと見上げました。


「アルチーナ姉様。グロイン侯爵様はどうですか?」

「……は? 何を言っているの?」


 お姉様は呆れ顔を隠しませんでした。

 でも私は、気にせず続けました。


「あの方はお父様とは権力の系統が違います。周囲に高位貴族出身の方もいます。立派なお屋敷もありますから、落ち着くまでそちらで過ごすこともできますよ」

「……馬鹿ね。私はあの男に恥をかかせたのよ?」

「では、私が絶対にお姉様と一緒にいたいとわがままを言います。お姉様を守ってくれないなら離婚すると言います! あの方は、それだけは困るはずですから」

「無謀なことを言わないでよ。絶対に無理なんだから」

「やってみなければわかりません。だから、侯爵様に相談してもいいですよね?」



 私はお姉様の返事を待ちました。

 ……本当は、何と言われても侯爵様に相談しようと決めていました。他に手はありませんから。

 アルチーナ姉様は私を見つめていましたが、やがてぷいと顔を逸らしました。


「勝手にすればいいわ。でも、絶対に無理なんだから、そのつもりでいなさいよ」

「はい!」


 私はほっとしました。

 そして、恐る恐るお姉様に抱きついてみました。ネイラ以外にこんなことをするのは初めてです。緊張しましたが、お姉様は黙って受け入れてくれました。

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