第5話 気まずい婚儀



 ……これ、本当によくないと思います。

 絶対に悪いです。



 アルチーナ姉様用のぶかぶかのドレスを無理矢理に着ていることも、やはりサイズの合わない美しい婚約指輪をはめていることも、どちらもよくないというか、正しいことではないと思います。


 それから、頭からすっぽりとかぶっているこの薄布も。

 伝統的な花嫁の姿ではありますが、お姉様の本来のベールはもう少し薄かったし、顔が半分見えるくらいに短いものでした。

 それが、顔貌が完全にわからない薄布に変更になっているのが、隠蔽というか詐欺というか……とにかく悪意しか感じられません。

 

 親族席では、お父様が平然と座っています。

 お母様も、私のことを名前で呼ぶことはありませんでした。今日はずっと「私の愛しい娘」と呼んでいました。

 庶民の間に流行している小説には、こう言う悪人はよく出てきます。確信犯というそうですよ。



 ……現在、婚儀の真っ最中。

 信じられないことですが、花婿であるグロイン侯爵様には、まだ何も伝えていないのです。

 最悪です。お父様によると「娘の結婚に感極まって、うっかり伝えるのを忘れている」という設定だそうですが……。そんな稚拙な言い訳が通用するとは思えません。



「そ、それでは、誓いの口付けを」


 長い婚儀の祝詞が終わり、祭司様が私たち新郎新婦に告げました。

 いつもは堂々とした立派な祭司様なのですが、今日はやけに声が震えています。顔の色もよろしくありません。

 それも仕方がないかもしれません。

 祭司様はアルチーナ姉様と私の見分けはつきますから。

 私たちを知る人が見れば、明らかにおかしいことがわかるのに、誰も何も言わないのです。

 それが、全てを物語っています。


 花婿様も、この異常な空気を感じ取っているでしょう。

 でも、婚姻の儀式の前に花嫁の顔を覗き込むことは許されないことになっています。私の素顔を見れば、騙されていることが簡単に明らかになっていたはずでした。


 不幸な花婿様は、祭司様の言葉に従って私のベールを持ち上げました。

 剥き出しになった頰に、ひんやりとした空気が触れました。


 ……終わった。


 花婿である侯爵様は、きっと激怒するでしょう。

 十八歳の金髪の美女を妻にするはずだったのに、年齢より幼く見える赤毛の私にすり替わっているんですから。

 生まれはともかく、花婿様は侯爵位をお持ちの方です。地位的にはお父様より上だし、国王陛下の信頼も圧倒的。武力も権力も持った人物が怒りを示せば、この場はぐちゃぐちゃになってしまうでしょう。


 ぎゅっと目を閉じてその時を待ちました。

 でも、何も起こりません。罵声も聞こえません。もちろん、儀式の手順通りの誓いの口付けも。

 おそるおそる目を開けると、唖然としている花婿様が見えました。




 今日から夫となる人とは、直接お話ししたことはありません。でも、何度かお見かけしたことがあります。

 グロイン侯爵様。名前はオズウェル様だったと思います。


 この方は、我が国では本当に有名な人物です。

 一言で表すなら、戦争の英雄。軍人として輝かしい実績があり、特に先の戦争で大変な功績をあげました。

 生まれは南部の完全に没落した貧乏男爵家で、四男か五男だったと思います。若い頃から王国軍に所属していて、昨年には国王陛下から特別に侯爵の地位を賜りました。


 そう言う立派な実力者なのに、お父様やお姉様は、そして多くの貴族たちは「成り上がり」と見下しています。容姿も美しくないと笑っていました。


 ……こうして拝見すると、顔に傷跡があるから確かに威圧的ですね。噂では体中に傷跡があるとか。

 正直に言うと、少し怖いです。

 金色の目も金属のように冷たく見えます。

 でもよく見ると、お顔立ちはかなり整っていました。やや癖のある黒い髪も、どこか異国的で私は嫌いではありません。

 アルチーナ姉様の好みからは外れているかもしれません。優しげで美麗なロエルとは正反対ですから。


 そういう威厳があって精悍な大人の男性が、私を見たまま動きを止めていました。

 口が少し開いているのは、何かつぶやいたからでしょうか。

 私の視線に気付くと、中途半端に持ち上げたままだったベールから手を離して、祭司様を見やり、さらに先ほど署名した祭壇前の婚姻宣誓書へと目を向けました。もしかしたら、平然としているお父様の方も見たかもしれません。

 ほんの一瞬のことでしたが、再び私を見た時にはどこか諦め切った顔をしていました。



「アルチーナ殿の身代わりか?」

「あの、身代わりではなく、変更です。……アルチーナの妹の、エレナです」

「……そうか。あの署名、アルチーナ殿の公式名と言うわけでもなかったのだな」


 そう言ってため息をついています。

 どうやら、通称名と公式名を使い分ける古い習慣と誤解していたようですね。

 ごめんなさい。我がメリオス伯爵家は偉そうにしていますが、実は建国時代からの新興勢力なので、古い伝統を重んじるほど由緒正しくはないのです。 


「侯爵様。破談になさいますか?」


 覚悟を決め、私は審判を待ちます。

 足が震えていましたが、それに気付かないふりをしました。


「えー、おほん、誓いの口付けを、その、速やかにだなっ!」


 祭司様が少し早口で促してきました。

 お顔色が悪いですね。汗もずいぶんとかいているようです。

 婚儀の相手は戦争の英雄様。気性が荒い方なら血を見る展開もあり得るでしょう。

 一応、婚儀にしては過剰なほど警備を厳重にしていますが、英雄様は個人の武でも卓越しているとお聞きしています。

 覚悟は決めました。……少し怖くて、目は挙げられません。

 でも。


「俺に拒否権はない」


 ため息混じりの低いつぶやきが聞こえました。

 伏せていた目を上げると、侯爵様のお顔が近付いていました。びっくりして身を縮めて、目をぎゅっと閉じてしまいます。

 一瞬の間の後に、額にかすかに何かが触れました。


「……っ! 今ここに婚儀が成立したっ! 新たな夫婦に永遠の祝福をっっ!」


 祭司様が急に元気になり、朗々と響く声で宣言しました。

 やけに早口だし、賭け事で大当たりしたように拳を握りしめているのはどうかと思いましたが。

 侯爵様が黙っているので、私も何も言わないことにしました。

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