エピローグ『起きたときから一緒』

 7月4日、日曜日。

 ゆっくりと目を覚ますと……薄暗い中で見慣れない天井が見えた。一瞬、ここはどこなのかと思ったけど、氷織の家に泊まりに来ているんだった。だから、ここは氷織の部屋なんだ。

 壁に掛かっている時計を見ると、今は……午前6時過ぎか。5時間半くらい寝たことになるのか。それでも、とてもスッキリとした目覚めだ。氷織と一緒に、彼女のベッドで寝たからだろうか。寝る前に、氷織とたくさん体を動かしたのも良かったのかもしれない。


「明斗さん……」


 氷織の甘い声が聞こえたのでそちらを向くと……昨日寝たときと同じように、俺の左腕を抱きしめて気持ち良さそうに寝ている氷織がいた。

 あと、心なしか昨晩よりも密着度が高い気がする。掛け布団をそっとめくってみると……左腕が氷織の胸の谷間に挟まっており、脚も氷織の脚に絡まっていた。それが分かった瞬間、氷織から伝わる熱が急激に強まった気がする。あと、昨日の夜に付けた左の胸元のキスマークはしっかりと残っている。

 俺の名前を呟いたってことは、夢に俺が登場しているのかな。それとも、そんなことは関係なく、本能的に呟いたのか。


「それにしても、寝顔が凄く可愛いな」


 天使のような可愛さだ。

 そういえば、氷織が泊まりに来たときの翌朝は……氷織の胸に埋もれている中で目が覚めたんだよな。あれも良かったけど、今回みたいに俺が先に起きて、氷織の寝顔を見るのもいいな。


「幸せだ」


 起きてすぐに氷織の顔を見られて。そんなことを思いながら、俺は氷織の頭をそっと撫でた。


「ふふっ」


 氷織はそんな笑い声を漏らすと、柔らかな笑みを浮かべる。頭を撫でたことで目が覚めちゃったかな……と思ったけど、氷織は引き続き可愛い寝息を立てている。笑ったってことは、何かいい夢を見られているのかな。


「おかえりなさい、明斗さん。お仕事お疲れ様です……」


 おっ、寝言だ。氷織は寝言を言うタイプなのだろうか。

 あと、今の寝言からして、氷織と俺は一緒に住んでいるのは間違いなさそう。同棲しているのかな。それとも……結婚しているのかな。


「ご飯にしますか? お風呂にしますか? それとも……私にしますか?」


 おおっ、漫画やアニメ、ドラマとかで何度も目にした問いかけ。寝言とはいえ、氷織からこの言葉を聞けるとは。嬉しい。夢の中の俺は幸せ者だな。……いつか、本当に今の問いかけをされたいものだ。

 さあ、夢の中の俺。今の問いかけにどう答える? 何を選ぶ?


「……ふふっ。お風呂の中でイチャイチャしたいなんて」


 何というハイブリッド回答! お風呂で氷織をいただくのか。……いつの日にかのために覚えておこう。


「……いいですよ、明斗さん」


 氷織は笑顔でそんな寝言を言った。

 昨晩は一緒にお風呂に入ってこの部屋でたくさん肌を重ねたから、こういう夢を見るのかもしれない。

 それから少しの間ははっきりとした寝言を言わない。ただ、とても幸せそうな笑顔は見せ、たまに俺の腕にキスしてくる。イチャイチャしているのだろうか。


「……とても幸せな時間でした。新しい家族ができるかもしれませんね……」


 嬉しそうに寝言を言う氷織。新しい家族、と言っていることからして、夢の中で俺達は結婚しているようだ。

 いつかは実際に氷織との間に新しい家族を授かる日が来るのだろうか。


「産まれました……」

「早いな」


 10秒くらいで産まれたぞ。あまりの早さに思わずツッコんでしまった。


「うんっ……」


 俺がツッコんだ直後、氷織はゆっくりと目を覚ます。俺と目が合うと、氷織はやんわりとした笑みを浮かべる。


「おはようございます、明斗さん」

「おはよう、氷織。起こしちゃったかな」

「いえ、特にそんなことは。とても気持ち良く起きられたので」

「それなら良かった」

「あと、何だかいい夢を見たような気がするんですよね。内容は覚えていないんですけど」

「ははっ、そうか。寝言を言っていたから、起きる直前に見た夢は何となく分かるぞ」

「そうなんですか?」

「ああ」


 俺は氷織の言っていた寝言について話す。

 仕事帰りの俺とお風呂でイチャイチャする……という内容だから、途中から氷織の顔はかなり赤くなって。ただ、幸せそうに俺の話を聞いていた。


「そうだったんですね。……きっと、昨日の夜に明斗さんとお風呂に入って、たくさん肌を重ねたからそんな夢を見たんでしょうね。明斗さんとずっと一緒にいたいって改めて思いましたし」

「俺もそう思ってる」

「ふふっ。いつか……正夢になるといいですよね」

「そうだな」


 その日はいつやってくるのだろうか。ただ、氷織と一緒に日々をしっかりと過ごしていくことが、その日に向かう一番の近道だと思う。


「あの、明斗さん」

「うん?」

「……おはようのキスをしてもいいですか?」

「もちろんいいさ。……おはよう、氷織」

「おはようございます、明斗さん」


 優しい笑顔で挨拶すると、氷織は俺におはようのキスをしてきた。昨日の夜もこのベッドの中で数え切れないほどにキスしたけど、彼女とキスするとドキドキして心がとても温かくなっていく。

 2、3秒ほどで氷織から唇を離す。すると、目の前には恍惚とした様子で俺を見つめる氷織がいて。


「私のベッドで、明斗さんとおはようのキスができて幸せです」

「俺も幸せだよ。この前、俺の家に泊まったとき、いつかはこのベッドでもおはようのキスがしたいって氷織が言っていたから」

「そのことも覚えていてくれたんですね。嬉しいです」


 嬉しそうに言うと、氷織は俺のことをぎゅっと抱きしめる。そのことで氷織の温もりや柔らかさをたっぷり感じられて。幸せな気持ちが膨らんでいく。


「お泊まりっていいですね。寝る直前まで、そして起きた直後から明斗さんと一緒にいられるんですもん」

「そうだな。メッセージや電話で話すのもいいけど、一緒にいるのが一番いいって思えるし」

「私もです。夏休み中に沙綾さん達とお泊まり女子会をする予定ですが、明斗さんともお泊まりしたいです」

「せっかくの夏休みだもんな。何度かお泊まりしたいな」

「ですねっ」


 氷織は楽しそうに言った。

 あと2週間ほどで夏休みが始まる。氷織という恋人もできたから、今年の夏休みは今までで最高な夏休みになるだろう。来年は受験勉強で忙しいだろうから、今年は氷織達と一緒に楽しいことをいっぱいできたらいいな。


「ところで、明斗さん。体の方は大丈夫ですか? 昨晩も結構激しく動かしているときがありましたし。あと、昨日の日中はバイトがありましたから」

「どれどれ……」


 氷織からの抱擁を解いてもらい、ベッドから降りる。軽くストレッチしたり、体を動かしたりしてみるが……特に痛みを感じる箇所はないな。


「大丈夫だよ。痛いところもないし、体がフラフラすることもないから。疲れも全然感じない」

「それなら良かったです」

「氷織は大丈夫か? 昨日は……この前のお泊まりのときよりもリードすることが多かったし、激しく体を動かしていたときがあったから」

「そうでしたね。とても気持ち良かったですから。どれどれ……」


 氷織はその場で体をゆっくり起こし、体を伸ばしたり、左右にひねったりしている。昨晩のことがあってか、そういう姿も結構艶やかに感じる。


「大丈夫です。体の痛みも疲れもありません」

「良かった」


 俺の家に泊まりに来たときよりも、氷織が体を動かしていることが多かったし。


「これなら、今日も明斗さんと一緒にいる時間を楽しめそうですね。夕方までいてくれるんですよね?」

「うん、そうだよ。一緒に楽しい時間を過ごそう」

「はいっ。じゃあ、まずはお風呂に入りましょう!」

「ああ、そうしよう」


 そういえば、この前もお泊まりでも、起きてすぐに氷織と一緒に風呂に入ったっけ。これからのお泊まりでも、朝のお風呂は恒例になるかもしれない。

 それから、俺は氷織と一緒に入浴する。昨晩と同じく、お互いの髪や背中を洗ってあげて、抱きしめながら湯船に浸かって。氷織のおかげでとても気持ち良く、癒やされた時間になった。



 一昨日まで期末試験だったのもあり、日中は最近放送されたけど一緒に観ることができていなかったアニメや、氷織が借りてきたアニメのDVDを観てゆっくり過ごした。隣同士で寄り添い、感想をしゃべり、時折笑い合いながら。

 やっぱり、氷織と一緒にアニメを観るのは楽しいな。期末試験もあって、こうして一緒に観るのは久しぶりだから強くそう思う。

 氷織と一緒にアニメをたくさん観たこともあり、夕方まではあっという間だった。


「じゃあ、これで俺は帰ります。昨日と今日、ありがとうございました。とても楽しかったです」


 午後5時過ぎ。

 氷織の家から帰るので、氷織の御両親と七海ちゃんに挨拶する。


「またいつでも泊まりに来てくださいね! 紙透さん!」

「さっそく、夏休みに泊まりに来ていいからね。お母さん大歓迎よ」

「氷織もいつも以上に楽しそうにしているからな。遠慮なく泊まりに来なさい」


 3人とも笑顔でそう言ってくださる。七海ちゃんや陽子さんだけでなく、亮さんも歓迎してくれるとは。安心したと同時に嬉しい気持ちになる。


「ありがとうございます。では、失礼します」

「近くまで送りますね」

「ありがとう」


 俺は氷織と一緒に彼女の家を後にする。氷織には、登校時にいつも待ち合わせしている高架下近くにある交差点まで送ってもらうことにした。

 蒸し暑さは感じるけど、曇っているし特に不快ではない。


「明斗さんが楽しめたようで嬉しいです」

「氷織の家では初めてのお泊まりだし、期末試験明けの解放感もあったからな。七夕祭りも楽しかったし。もちろん、一番の理由は氷織とずっと一緒にいられたからだよ」


 気持ちを素直に伝えると、氷織はとっても嬉しそうな笑顔を見せる。今は曇っているけど、氷織の笑顔が眩しく見える。


「そう言ってもらえて嬉しいです。私も昨日、明斗さんが家に来てからの時間はとても楽しかったです。思い出がたくさんできました。今朝も言いましたけど、またお泊まりしたいです」

「ああ、絶対にしような」


 俺がそう言うと、氷織は笑顔のまま頷いて、俺の頬にキスしてきた。

 昨日の七夕祭りのことや、今日一緒に観たアニメの話をしながら歩いていく。それもあって、あっという間に高架下近くの交差点に辿り着いた。


「ここまで送ってくれてありがとう。あとは自転車に乗って帰るよ」

「ええ。また明日の朝……あの交差点で待ち合わせて学校に行きましょう」

「ああ。じゃあ……さよならのキスをしていいかな」

「はいっ」


 可愛らしく返事すると、氷織は目を閉じて口を少しすぼませる。本当に可愛いキス待ち顔だ。

 俺は氷織に吸い込まれるような形で氷織にキスする。昨日の夕方からずっと一緒にいたから、ここで別れるのが寂しい。だから、昨晩のおやすみのキスや今朝のおはようのキスよりも長く氷織と唇を重ね続けた。

 しばらくして、俺から唇を離す。すると、すぐ目の前にはいつもの優しい笑顔を見せる氷織がいた。


「明斗さんが帰るのは寂しいですけど、今のキスで乗り越えられそうです」

「ははっ、そうか。俺も寂しいから長めにキスしたんだ」

「ふふっ、そうでしたか。では、また明日です」

「うん、また明日」


 氷織の頭を優しく撫でて、俺は自転車に乗って自宅へ向かい始める。

 氷織の家で初めてのお泊まりは本当に楽しかった。七夕祭りも楽しかったし、今回のことはずっと忘れないだろう。

 また、期末試験明けでのお泊まりだったから、およそ2週間後から始まる夏休みが本当に楽しみになった。氷織や和男達と一緒に楽しい夏休みを過ごして、今回のように思い出を作っていけたらいいな。

 氷織の家を出たときには蒸し暑く感じた空気が、今は少し爽やかに感じられたのであった。




特別編2 おわり

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