後編

 それから数分ほど火村さんが肩揉みマッサージをしたことで、氷織の肩凝りは見事に解消された。それもあり、スッキリとしたように見える。ありがとうございます、と氷織が火村さんの頭を撫でると、火村さんはとても嬉しそうにしていた。

 マッサージが終わると、俺達は今日の学校のことを中心に談笑する。そんな中、

 ――コンコン。

 扉がノックされる音が聞こえた。今、この家には俺達以外に陽子さんしかいないので、ノックした人は陽子さんだと思うけど……何かあったのかな。


「はーい」


 と、氷織は返事をし、クッションから立ち上がって部屋の扉へ向かう。

 氷織が扉を開けると、そこには陽子さんの姿が。陽子さんはラタン製の茶色いボウルを持っている。そのボウルをよく見ると……何かを個別包装してある袋が数個入っているのが見える。

 ちなみに、扉が開いた瞬間から、火村さんが「綺麗だわぁ……」と陽子さんをうっとりとした様子で見つめている。


「氷織の部屋から賑やかな話し声が聞こえたから、今は休憩中かと思って。ついさっきまで忘れていたんだけど、午前中にお母さんの学生時代の友達から、早めのお中元でパウンドケーキがたくさん届いたの」

「そうなんですか」


 ボウルに入っているのはパウンドケーキか。昼食以降は、水筒に入っている麦茶や、ここに来て氷織が淹れてくれたアイスコーヒーくらいしか口にしていないのでお腹が空いていた。それに、パウンドケーキは好きだから嬉しいな。

 みんなも陽子さんがパウンドケーキを持ってきてくれたことが嬉しそうだ。特に火村さんと和男と清水さんは。


「1人1個ずつどうぞ」

「ありがとうございます、お母さん」

『ありがとうございます!』


 氷織に続いて、俺達5人も陽子さんにお礼を言う。事前に打ち合わせをしたわけでもないのに、ほぼ声が揃ったな。

 いえいえ、と明るく笑いながら言うと、陽子さんはパウンドケーキの入ったボウルを氷織に渡す。


「みんな期末試験のお勉強を頑張ってね」


 そう言うと、陽子さんは小さく手を振って部屋の扉を閉めた。


「では、このパウンドケーキを食べてから、勉強会を再開しましょうか」


 氷織のそんな提案に俺達5人は「はーい」と声を揃えて返事した。

 氷織はくっつけたテーブルの中央部分に、パウンドケーキの入ったボウルを置く。個別包装されたパウンドケーキが6つあるな。見た感じ、どれも同じ味のようだ。

 俺達は1つずつパウンドケーキをボウルから取る。


「では、いただきます」

『いただきまーす』


 氷織の号令により、パウンドケーキタイムがスタート。

 包装を明けると、甘い匂いとブランデーの香りもしてくる。パウンドケーキって、たまに洋酒を使っているものがあるよなぁ。

 パウンドケーキを一口食べると、


「……美味しい」


 ケーキの甘味はもちろんのこと、ブランデーの芳醇な香りが口の中に広がっていって。美味しいなぁ。……アイスコーヒーにもよく合う。

 小さい頃はお酒を使ったお菓子を食べると、すぐに体が熱くなってフラフラしちゃったな。眠くなることもあったっけ。今は体がほんのりと温まる程度で、特に気分が悪くなったり、眠くなったりすることはしない。このケーキからはブランデーの匂いがしっかりと香ってくるけど、勉強するのに支障はないだろう。


「美味えな!」

「美味しいね、和男君! ブランデーを使っているからか、ちょっと大人な感じがする」

「そうだな。こういう酒の香りがすると、いつも以上にいいスイーツを食ってる感じがするぜ!」

「倉木の言うこと分かるわ。何か高級感あるよね」

「高級感! いいこと言うなぁ、火村」


 そう言うと、和男は残り半分くらいあるパウンドケーキを全て口の中に入れた。二口で食ったんじゃないか? 一口の量が多い和男ならあり得そう。あと、和男が美味しそうに食べているのを見ているとより美味しく感じる。


「凄く美味しいッスね!」

「そうだな、葉月さん。お中元で贈られるだけあって、美味しいパウンドケーキだよな。氷織もそう思わないか?」

「……ええ。美味しいですね~」


 そう返事する氷織の声が何だかおかしい。いつもよりも甘い声色になっている。

 まさかと思い、氷織のことを見ると……氷織の頬は紅潮しており、振れ幅は小さいものの体を左右に揺らしていた。パウンドケーキが美味しいからか、顔にはとろんとした笑みを浮かべていて。


「もしかして、氷織……ブランデーで酔ってる?」

「かもしれませんねぇ。私、洋酒入りのお菓子を食べると、体がポカポカしてきて、何だかいい気分になっていくんですよぉ。今回は明斗さん達と一緒に食べてますから、いつもよりも酔っちゃうかもしれませんね~」


 えへへっ、と笑うと氷織は俺に寄り掛かってきた。俺の右の太ももを優しく擦ってきて。ブランデーの影響で、いつも以上に艶やかな雰囲気を纏っているなぁ。


「まさか、この6人の中で一番ひおりんが酔うとは。意外ッス。あたしはてっきり倉木君が酔いやすいかと」

「俺はちょっと気分が良くなるくらいだな! 今も気分いいぜ!」

「ふふっ。あたしは恭子ちゃんが一番弱いと思ってた」

「あたしは体が少し熱くなるだけよ。沙綾の言う通り意外よね。氷織ってお酒には強いタイプだと思ってた。それか、酔ってもあまり変化のないタイプ。ただ、酔っ払った氷織も凄く可愛いわ! 写真に撮らせてほしい!」

「恭子さんなら全然OKですよ~」

「ありがとう!」


 興奮した様子の火村さんはローテーブルに置いてあった自分のスマホを手に取り、氷織のことを撮影する。

 ――カシャカシャ!

 シャッター音が連続して聞こえているんですけど。連写しているのかな。まあ、高校生の今では酔っ払った氷織を写真に撮れるチャンスは滅多にないからな。


「いい写真がたくさん撮れたわ! ありがとう!」

「いえいえ~。……ねえねえ、明斗さん」


 そう言い、俺の着ている黒いベストをクイッと引っ張る。普段はあまりしない仕草なのでキュンとくる。


「うん? どうした?」

「一口食べさせてあげます。あ~んして?」


 俺を見上げながら言うと、氷織は自分のパンケーキを俺の口元まで近づけてくる。いつもの敬語と、いつもは言わないタメ口が混ざっていることにもキュンときて。火村さんの言うように、酔っ払った氷織も凄く可愛いぜ。

 俺は氷織にパウンドケーキを一口食べさせてもらう。


「美味しい?」

「凄く美味しいよ。ありがとう」

「ふふっ、良かったです。じゃあ、私にも一口食べさせて?」


 上目遣いで見つめながらおねだりし、首を少し傾げてくる。反則級の可愛らしさである。


「うん、いいよ。はい、あーん」

「あ~ん」


 甘い声を出しながら、氷織は俺のパウンドケーキを一口食べた。今までに何度も氷織に食べ物を一口食べさせてきたけど、今の氷織はトップクラスに可愛いぞ。


「……明斗さんが食べさせてくれたから特別に美味しいです」

「それは良かった」


 言う内容までかなり可愛いよ。もうキュンキュンしっぱなしだよ。

 今の俺とのやり取りを見て可愛いと思ったのだろうか。火村さんと葉月さん、清水さんも氷織にパウンドケーキを一口ずつあげた。氷織も嬉しそうに応じていて。氷織が「美味しい」とか「ありがとう」と言ったとき、女子3人は「可愛い!」盛り上がっていた。火村さんは興奮もしていた。


「ごちそうさま」


 パウンドケーキが美味しかったのはもちろんのこと、酔っ払った氷織が可愛いからとても満足だ。


「私もごちそうさまです。美味しかったぁ。じゃあ、そろそろ勉強を再開しましょうかねぇ」


 そう言って、氷織は俺から体を離す。……だがしかし、すぐにまた俺に寄り掛かる体勢になってしまう。


「ちょっとクラッとしてしまいました。ちょっと休んでからの方がいいですかね?」

「それがいいよ。今の状態じゃ、勉強した内容が頭に入りにくいと思う」

「紙透君の言う通りッスね。ひおりんは自分の分だけじゃなくて、あたし達からも一口ずつもらったッスから」

「ブランデーが抜けるまでは、紙透に寄り掛かったり、ベッドで横になったりしてゆっくりした方がいいわ」

「……みなさんの言う通りですねぇ。じゃあ、明斗さん。両脚を広げてもらえますかぁ?」

「うん、いいよ」


 俺は氷織の言う通りに両脚を広げる。

 氷織は広げた俺の両脚の間に座り、俺に寄り掛かってくる。


「あぁ、気持ちいいです。この状態でゆっくりしていてもいいですか?」

「もちろん」

「やったー!」


 えへへっ、と嬉しそうに笑い、氷織は俺の胸元に頭をスリスリしてくる。その際、「スリスリ~」と呟く。普段よりも子供っぽい言動が可愛くて。見た目の美しさや艶やかさとのギャップがたまらなくて。こんな姿、親しい人以外にはあまり見せたくないな。

 そんな氷織の体をそっと抱きしめ、右手で頭を優しく撫でる。


「あぁ……明斗さんの匂いを感じます。本当に好きです。抱きしめられているから温もりも感じて。本当に幸せです~」

「嬉しい言葉だなぁ。氷織からそう言ってもらえて俺も幸せだよ。俺も氷織の温もりと匂いが大好きだよ」

「……その言葉を聞いてより幸せです」


 柔和な笑顔でそう言うと、氷織は俺にキスしてきた。唇が触れた瞬間にパウンドケーキとブランデーの匂いが香ってきて。いつもとは違う雰囲気のキスだなぁ。

 今は火村さん達がいるから、酔っ払い氷織とキスしても何とか理性を保てている。もし2人きりだったら……氷織に色々なことをしてしまっていたかもしれない。


「本当に仲のいいカップルッスねぇ」

「ええ。氷織がお泊まりしたときもこういう感じだったんじゃないかって思わせてくれるわね」

「そうだね、恭子ちゃん。紙透君と氷織ちゃんを見ていたら、あたしも真似したくなってきたよ。和男君、脚開いて!」

「おう!」


 清水さんは和男の脚の間に体育座りして、後ろから和男に抱きしめられる。2人とも楽しそうにしているから、見ていると微笑ましい気分になる。

 それからも、氷織の酔いが醒めるまで休憩することに。その間、俺はずっと氷織のことを抱きしめ続けた。氷織の体は柔らかくて、温かいから抱き心地が良くて。しかも、たまに氷織が唇や頬にキスしてくれて。今日の学校や勉強会の疲れはすっかりと取れた。

 氷織に肩をマッサージしてもらえて、酔っ払った氷織を知ることができた。だから、これまでで一番楽しい勉強会の休憩時間になったのであった。




特別編 おわり

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