第36話『プールデート』

 1分ほどで、氷織が更衣室から戻ってきた。これからプールに入るからか、いつも付けている雪の結晶の髪留めは外されている。

 俺達は手を繋いで屋内プールへ。

 屋内プールの中はとても広く、流れるプールを中心に大きなレジャープール、小さな子も安心な浅いプール、小中学校にもあるコース付きの25mプールといった様々なプールがある。流れるプールやレジャープールは特に賑わっている。

 また、前方にはウォータースライダーのコースがある。……あっ、ゴール地点から2人の女性が浮き輪に乗った状態で姿を現した。2人で一緒に楽しめるのはいいな。


「凄く立派な屋内プールだな。さすがは『多摩地域で一番大きな屋内プール施設』だ」

「公式サイトを見たんですね」

「ああ。施設内の写真も見たけど、実際に見ると凄いなって思うよ」

「私も去年初めて来たときにそう思いましたね。今日は1年ぶりですから、懐かしい気持ちの方が強いです」

「そうなんだ。この光景を見ただけだけど、氷織が屋内プールでオススメしてくれたのも納得できるよ」

「ふふっ、そうですか。去年は沙綾さん達と色々なプールで遊んだり、ウォータースライダーを滑ったり、あちらにあるサマーベッドで休んだりして過ごしました」


 氷織が指さす方向を見てみると、サマーベッドがたくさん並べられている。施設内に休憩できる場所が広く設けられているのはいいな。きっと、俺達もサマーベッドにお世話になることだろう。


「あの黒いビキニの銀髪の女の子、凄く綺麗だな……」

「スタイルも抜群だよなぁ。彼氏っぽいあの茶髪の男が羨ましいぜ。くそっ」


「銀髪の子、芸能人かな。他の女子と持っている雰囲気が違う」

「ヤベーよな。手を繋ぐような男と一緒じゃなかったら声掛けたかったぜ」

「お近づきになりたかったよな~」


「あの子、本当に美人だよね」

「その隣にいるのは彼氏かな? イケメンだね。美男美女カップルだよ」


 男性中心に周りからそんな話し声が聞こえてくる。さすがは氷織といったところか。「男が釣り合ってない」とか「何なんだあの男」などという俺への怨嗟の声があまり聞こえないのは幸いだ。心中ではどうなのかは分からないけど。

 周囲を見てみると、俺達の方に視線を向ける人が結構多い。話し声に比例して男性が多い。ただ、気づかれたと思ったのか、視線を逸らす人もそれなりにいる。


「氷織。ここでは俺と一緒にいる時間がほとんどだと思う。ただ、人がたくさんいるし、氷織に言い寄ってきたり、何かしてきたりする人がいるかもしれない。何かあったらいつでも俺に言って。すぐに氷織のことを助けるから」


 ただでさえ、氷織は注目が集まりやすい美少女。それに加えて、今は黒いビキニを着ていて肌の露出が多い状態。俺が一緒でも、氷織に何かしてくる人がいるかもしれない。


「ありがとうございます、明斗さん」


 嬉しそうな笑顔でそう言うと、氷織は俺の手を離して、腕を軽く絡ませてきた。そのことで氷織の柔らかな胸が俺の右腕に触れる。その瞬間、俺の体がビクッとなって、段々と熱を帯びていく。


「ひ、氷織さん?」

「腕を組んだ方が、周囲の人により恋人らしさをアピールできるかと思いまして。嫌……でしたか?」


 上目遣いで俺を見つめ、ほんの少し首を傾げる氷織。水着姿なのもあって反則級に可愛い。


「ううん、そんなことないよ。ただ、その……腕に胸が直接当たったからさ。ちょっとビックリして」

「そうですか。……だから、腕を組んだときに明斗さんの体がピクッてなったんですね。可愛いです」


 ほんのりと頬を赤らめ、ふふっ、と上品に笑う氷織。腕に氷織の胸が当たっているから、その笑みが艶やかに感じられる。


「明斗さんは大好きな恋人ですもの。こういう形で胸が触れるのはかまわないと思っています。ドキドキはしますけどね」


 そう言うと、氷織は笑顔でより腕を絡ませてきて。そのことで、氷織の温もりや胸の柔らかさをよりはっきりと感じる。俺の体もさらに熱くなり、興奮してくる。


「そ、そうか。さてと、そろそろプールに入ろうか。色々なプールがあるけど、どこのプールから入ってみたい?」

「そうですね……まずは普通のプールに入りたいです。ここは快適ですけど、外は蒸し暑かったですから。プールの水の冷たさを感じたいです」

「うん、そうしよう」


 俺達は普通のプールへ行く。

 プールには多くの人が入っていて、俺達のようなカップルはもちろんのこと、親子連れや数人の学生グループなど様々だ。賑わっているし、このプールがこの施設のメインプールと言えそうだ。

 ゆっくりとプールに入る。深さは標準的で、俺はお腹の辺り、氷織は胸の辺りまで浸かる形に。


「水が冷たくて気持ちいいですね」

「そうだね」


 プールの水はちゃんと冷たさを感じられ、気持ちいいと思える温度だ。氷織の水着姿を見たり、腕を絡まれて胸が触れたりしたことで熱くなっていた体が冷やされていく。

 冷たくて気持ちいい、と言うだけあって氷織はまったりした笑みを見せる。そんな氷織を見ると俺も癒されていく。


「今の氷織を見ていると、プールデートに来たんだって実感するよ」

「私もですよ、明斗さん。ただ、デートに来たなら、こういうこともしないと。それっ」


 可愛らしい声でそう言うと、氷織は俺に向かってプールの水をかける。その水が顔から胸元にかかって冷たい。


「おおっ、冷たい! 気持ちいいな。じゃあ、俺も。それっ」


 お返しに、氷織へプールの水をちょっとかける。

 顔中心に水がかかると、氷織は「きゃっ」と可愛らしい声を上げ、とても楽しそうな笑顔を見せる。凄く可愛い。俺と同じことを思っているのか、男性中心に氷織に好奇な視線を向けている。


「冷たくて気持ちいいです。去年、沙綾さん達と来たときも、こうして水をかけあって遊びましたが、そのとき以上に気持ちいいですね」

「ははっ、そうか。嬉しいお言葉だ。じゃあ、もうちょっとかけ合おう」

「はいっ」


 それからも、俺は氷織とプールの水をかけ合う。

 俺のかけた水が顔にかかったときを中心に、氷織はとっても楽しそうで。そんな氷織を見ていると「あぁ、俺、氷織とのプールデートを満喫しているな」と思える。漫画やアニメ、ラノベの水着回や夏のデート回でこういうシーンを目にする。それを恋人の氷織と実際に体験できて、楽しめていることが本当に嬉しい。

 氷織との水かけが楽しくて夢中になっていた。だから、


「オーライ」

「……あっ、氷織、危ない!」


 氷織の後ろに、ビーチボールを使って遊んでいる金髪のお姉さんがいることを、ぶつかる直前まで気づけなかった。


「うわっ!」

「きゃっ」


 氷織は後ろから金髪のお姉さんとぶつかり、驚いた表情で前方に倒れそうになる。

 俺は反射的に体が動いて、氷織がプールに倒れてしまう前に正面から彼女のことを抱き留めた。


「大丈夫? 氷織」

「は、はい。大丈夫です。ありがとうございます」


 氷織はそう言うと、嬉しそうな様子で俺のことを見上げてくる。そんな彼女を見てほっとした。


「ごめんなさい、大丈夫でしたか?」


 氷織とぶつかった金髪のお姉さんは、心配そうな様子で俺達のことを見てくる。


「大丈夫ですよ。こちらも気づかずにすみませんでした」


 氷織は金髪のお姉さんの方を向いてそう言う。

 すると、金髪のお姉さんは安心した様子で胸を撫で下ろす。いえいえ、と言うと俺達に向かって軽く頭を下げ、ビーチボールを持って友人らしき黒髪の女性と一緒にこの場を離れていった。


「ごめんね、氷織。水をかけていたことに夢中になって、ぶつかる寸前まで気づけなくて」

「いえいえ、いいんですよ。むしろ、あの女性がぶつかったことにちょっと感謝しているくらいです。明斗さんが抱き留めてくれて、触れ合えていますから」


 そう言うと、氷織は柔和な笑みを浮かべる。ただ、その笑顔には赤みが帯びていて。

 そういえば、俺……お互いに水着姿の状態で氷織のことを抱きしめているんだ。緊急事態だったから今まで何とも思わなかったけど、急にドキドキしてきたぞ。これまで氷織のことは何度も抱きしめてきたけど、水着姿だから抱いた感覚が全然違う。氷織の肌はスベスベで、胸は本当に柔らかくて。


「明斗さんの体、温かくなってきましたね。心音がはっきり聞こえて、鼓動も伝わってきます」

「……氷織がそうさせているんだよ」

「ふふっ」


 俺の体の熱が氷織に伝わったのか。それとも、氷織自身が生んでいるのか。彼女の体も段々と温かくなっていった。


「さっきは抱き留めてくれてありがとうございました」


 そんなお礼を言うと、氷織は俺にキスをしてきた。唇が触れたのはほんの一瞬だったけど、プールの水で湿った氷織の唇の柔らかさがはっきり感じられた。周りに人がいる中でのキスはちょっと恥ずかしいけど、俺達が恋人なんだと分かってもらえそうだからいいか。


「プールの水には慣れてきましたし、そろそろ他のプールに行ってみます?」

「そうだね。俺は流れるプールが気になってる」

「流れるプールいいですね。行ってみましょう。浮き輪に体を通したり、座ったり、掴まったりすると楽しいですよ。去年遊びに来たときは浮き輪に座って、流れるプールでの時間を過ごしました。ちなみに、浮き輪は無料でレンタルできるんです」

「そうなんだ。じゃあ、俺は氷織の座る浮き輪に捕まろうかな」

「分かりました」


 プールから上がり、流れるプールの方を見ると、氷織の言うように浮き輪に体を通したり、座ったり、掴まったりして楽しんでいる人が結構多い。あとは、仰向けに浮かんで流れに身を任せる人も。

 出入口の近くにある遊具レンタルのコーナーで浮き輪を一つ借りる。また、このコーナーでは浮き輪の他にも、ビーチボールやビート板、アームリングも無料で借りられるそうだ。サービスが充実しているなぁ。これも利用者が多い理由の一つなのかも。

 レンタルした浮き輪を持って、俺達は流れるプールに向かう。

 周りにあまり人がいないことを確認して、俺は浮き輪をプールに置く。その際、浮き輪が流れてしまわないように掴んでおく。流れがそれなりにあるのでしっかりと。


「さあ、氷織。浮き輪に座って」

「ありがとうございます。では、失礼します」


 氷織は浮き輪の上に乗って、穴の部分に腰を落とす。その際、両腕と両脚を浮き輪の上に乗せる。そのことで、彼女の腕と脚の美しさが強調される。


「座れました。手を離しても大丈夫ですよ」

「分かった」


 俺が手を離すと、浮き輪に座る氷織は水の流れに乗る。去年来たときにも浮き輪に座っていただけあって、氷織の体勢は安定している。座るのは余裕なのか、氷織は笑顔になって俺に手を振っている。

 俺も流れるプールに入る。普通のプールよりも少し浅めだ。氷織が座っている浮き輪に両手で掴まる。すぐ近くから見ると……本当に氷織は綺麗だなぁ。


「掴みましたね。それで、両脚をあげて体を水面に浮かせれば、楽に流れに乗れますよ」

「うん」


 氷織の言う通りに、両脚をあげて体を水面に浮かせる。そのことで、浮き輪を掴んでいるだけで、体が流れに乗って前へ進んでいく。


「あぁ、気持ちいい。あと、浮き輪を掴んでいるだけで体が進むのが不思議な感じ」

「この流れるプールは速さがそれなりにありますからね。実は沙綾さんが今の明斗さんのように私の浮き輪に掴まっていまして。たまに、バタ足をしていましたね」

「そうなんだ。俺もやってみようかな」


 周りにあまり人がいないことを確認して、軽くバタ足をしてみる。そのことで前進する速さが若干上がった気がした。


「水の流れがあるからなのは分かっているけど、バタ足をして前にすーっ、と体が進んでいく感覚……いいなぁ。実は俺、あまり泳げないからさ。バタ足でちょっと泳いだり、仰向けに浮けたりするくらいで」

「そうなんですね」


 氷織は優しい目つきで俺を見て、微笑みながらそう言ってくれる。とりあえず、幻滅していてはいなさそうだ。


「氷織は泳げる?」

「泳げますよ。中学3年生の頃はクロールを50m、平泳ぎと背泳ぎ、バタフライは25m泳げました」

「おぉ、それは凄い。尊敬するなぁ」


 中3のときのクラスメイトの男子でも、そこまで泳げる奴は全然いなかった気がする。

 氷織は陸だけじゃなくて、水中でも運動神経がいいんだな。今の話を聞くと、氷織の泳いでいる姿を見たくなる。25mプールもあるし、あとでお願いしてみようかな。


「もしかして、笠ヶ谷高校を志望した理由の一つは、水泳の授業がないからというのもありますか?」

「そうだな。それも志望理由の一つだよ。それよりも、学力のレベルが合っていて、家から近いのが大きな理由だけど。あと、姉貴の母校なのもあるかな」

「なるほどです」

「……俺は泳げないけど、こうしてプールや海で遊ぶのは好きだよ。今も楽しんでる」

「……それはこの屋内プールに来てからの明斗さんを見れば、十分に伝わってきますよ。明斗さんとプールデートできて私も楽しいです」


 今の言葉が本心からのものであると示すかのように、氷織は楽しそうな笑みを浮かべる。そして、左手で俺の頭を優しく撫でてくれる。そのことで感じる氷織の温もりはとても優しかった。

 それから少しの間、このままの体勢で体を水の流れに任せ、氷織と話すことを楽しむのであった。

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