第126話.替え玉の花嫁

 


 ムシュア宮の一室である。

 ベッドに腰かけたルイゼは、つい数時間前のことを思い返していた。


「――遠路はるばるよく来たな、シャロン」


 唐突なフィアンマの言葉に、ルイゼは硬直した。


(フィアンマ大公は、私とカリラン様を間違えている?)


 どうしてと不思議に思っていると、フィアンマがひらひらと紙を手に揺らしている。

 小さく折りたたまれたその紙はなんなのかと、きょとんと見ていると。


「これはさっきルキウスから届いた」

「ルキウス様からっ?」


 声を上げてしまったルイゼは、慌てて口元を覆う。

 そんな反応をおもしろげに見やりつつ、フィアンマがナイアグに指示する。


「内容を教えてやれ」

「ルキウス・アルヴェイン殿下より、シャロン・カリラン公爵令嬢が家出して船に飛び乗ったため、大公に保護を願うとありましたね」


(家出……!?)


 詳細を伏せて、ルキウスはそんな設定を考えたらしい。


「そうとは知らず助けただけだったんだが、まさかアンタがシャロン・カリランだったとは驚いた」

「でも、どうして私がシャロンだと……?」


 ルイゼ以外にも、アルヴェイン王国からの観光客は大勢居た。

 シャロンの顔も知らない様子のフィアンマは、なぜルイゼがシャロンだと判断したのか。


「アンタの着てた服から【通信鏡】が出てきてな。それを開けたら、一瞬だけ名前が表示されたんだ」


 ルイゼが唖然とした理由を、フィアンマは別の意味で捉えたらしい。


「オレがまさぐったわけじゃない、侍女が見つけたんだ。いや、オレが触っても良かったんだが」

「だからセクハラだぞ! さっきっからアンタは!」


 ぎゃいぎゃいと言い合うフィアンマとナイアグの声を聞きつつ、ルイゼは思い返す。


(あのとき、カリラン様が私の服に入れたのは……)


 意識を失う直前、シャロンはルイゼの服に何かを入れていたようだった。

 あのとき、彼女は自分の【通信鏡】をルイゼに預けてくれたのだ。

 見知らぬ国で、ルイゼの身に危険が及ぶ可能性を考慮したのだろう。通信能力自体は失われても、高価な【通信鏡】を所持していれば、やんごとない身分の人間だと証明できると考えたのだ。


(でも、名前が表示されたなら!)


「あの、まだ【通信鏡】は使えますか?」


 公国の気候でも、まだ【通信鏡】が生きているのならば。

 そう期待して訊いてみるも、フィアンマは手をぷらぷらと振った。


「いーや。残念だが、うんともすんとも言わなくなったぞ」

「そうですか……」


 エリオットと連絡が取れればと思ったが、そううまくはいかないようだ。


「しかし家出してきて、見ず知らずのオレを頼るとは。可愛い女だな」

「はぁ……」

「もしかして婚約話を本気にしてたのか?」


 ナイアグがあっはっはと声を上げて笑う。


「違いますよね。本気で嫌だったから断りに来たんですよね」

「アホかナイアグ。オレのハレムに入りたい女がどれだけ居ると思ってる?」

「アルヴェインには数えるくらいしか居ないですよ」

「五万ほどか?」

「うーん、何言っても通じないなー」


 そういえば、とルイゼは思い出す。

 アルヴェイン王国と異なり、エ・ラグナ公国では庶民に至るまで一夫多妻が一般的である。

 王族に至っては十人以上の妃を娶るという。ルイゼには想像もつかない世界だが。


 ふと、フィアンマが名案を思いついたというように手を叩く。


「そうだ。シャロン、オレのハレムに来るといい」


(ハレム!)


 魅力的な誘いに、ルイゼは目を輝かせた。

 大公の生活するムシュア宮以上に、彼の妃たちが住む後宮は広く、絢爛豪華だという。

 学術的興味をそそられるのは当然のこと。というわけで、こくこくと頷いていた。


「ぜひ今度お伺いしたいです」

「……ほう? いいだろう、歓迎しよう」


 フィアンマがルイゼを見下ろし、楽しげに口端を上げる。


 ナイアグがあわわという顔で、そんなフィアンマとルイゼを交互に見る。

 明らかに二人の言葉の意味合いがズレているので、ルイゼの身を心配したのであったが……そんなことには気がつかないルイゼは、うきうきと胸を弾ませていたのであった……。


 ――というのが数時間前のこと。


 忙しいらしいフィアンマは宮殿を出て行き、ルイゼはひとり客室で静かにしている。

 返却してもらった【通信鏡】は、やはりどこを押しても反応しなかった。次に会った際、シャロンに謝罪しなくては。


(カリラン様といえば……)


 彼女に持ち上がっていたという、フィアンマとの婚約話。

 しかしフィアンマは、シャロンの釣書すら見ている様子がない。どうやら考えていたよりも、国を隔てた二人の婚約というのは可能性の薄い話だったらしい。


(少し話題に上ったのを、カリラン公が気にしてしまったとか?)


 トゥーロは一人娘を溺愛している様子だったので、シャロンをハレムの一員に……という話を聞きかじってショックを受けたのかもしれない。


(あと二日)


 そして航海に支障がなければ、ルキウスはあと二日で公国に到着するそうだ。

 無論、その理由はシャロンを迎えに行く――ということではなく、表向きは新開発された魔道具を公国に献上するためとなっているらしい。


 ――二日。

 考えていたよりもずっと短い。それに多忙なルキウスが自ら迎えに来てくれるのは、ルイゼの身を案じてのことだろう。

 しかしこうなった以上、路銀を得て自力で王国に戻るという手段は取らないほうがいい。入れ違いになったほうが、よっぽど迷惑をかけてしまう。


(私にも、何かできることがあればいいのに……)


 項垂れていたルイゼは、ひとつのことを思いつく。


「そうだわ! ジェーンさんにお手紙……!」


 今後も手紙のやり取りをしようと約束していたので、彼女の新しい住所は聞いている。

 この国がルイゼにとって、知らない土地であるのは変わらない。フィアンマやナイアグは親切にしてくれるが、味方は多ければ多いほど状況は有利に運ぶだろう。


 紙とペンを用意してもらったルイゼは、一連の事件については伏せ、公国のムシュア宮に客人として招かれていることを書いていく。

 ジェーンに会いたいこと。それとできれば、ちょっとだけ路銀をお借りしたい、という旨も。

 季節柄、海が荒れるとは考えにくいし、ルキウスが無事に到着しない可能性を考慮したくはないが……念には念を入れてだ。


 差出人の名前は書かなかった。

 ジェーン本人の目に入れば、宛名を書いた文字がルイゼの物だと気がつくはずだ。


 手紙は書き終わったが、侍女の姿が見当たらない。

 部屋を出てきょろきょろしていると、ちょうど廊下をナイアグが通りかかった。


「おや、どうされましたシャロン様」


 彼はとても丁寧な態度で接してくれる。

 友好国の公爵令嬢だからというよりも、ナイアグ本人が困っている人を放っておけない性質なのだろう。


「実はわたしの友人がこちらの国に嫁いだばかりで、お手紙を出したくて」

「ああ、分かりました。お送りしておきますよ」


 料金を渡そうとしたルイゼの手を、ナイアグが制する。

 彼は両手で手紙を受け取ってくれると、にこりと微笑んだ。


「お客人からお金はもらえませんって。お任せください」

「あ、ありがとうございます」

「いえいえ。……あ、そうだ。これから寄るところだったんですが、お暇であれば魔法具の技術開発局でも行ってみます?」


 思わずといった様子で口にしたナイアグが、顔を赤らめる。


「って、すみません余計なことを。公爵家のご令嬢が、そんなものに興味あるわけ――」

「行きます!」


 ルイゼは食い気味にそう答えたのであった。



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