第116話.ほしかったもの1

 


 ウィルク家に生まれたマシューは、怖がりな少年だった。


 その大きな要因は、二人の兄の存在だった。

 兄たちは優秀で、子どもの頃から魔法の腕前もそれなりだった。

 それにどんなことでも果敢に挑戦して、成功しても失敗しても周囲を明るい雰囲気にさせるのがうまかった。


 そんな二人と違ってマシューは魔力がなかったし、鈍感で、大事なときはいつも失敗した。

 そのたびに暗く落ち込み、部屋に引き籠る少年だった。周りがそんな末っ子には期待しなくなっていったのは、当然のことだった。


 父親のデイヴィッド・ウィルクは厳しい人だったが、マシューの教育に関しては、ある時期を境にほとんど口出しせずに妻に任せるようになった。

 魔道具研究所の職員だったデイヴィッドは、その頃には所長に就任し男爵位を得ていた。とにかく多忙だったから、できの悪いマシューにかかずらう暇はなかったのだろう。


 ――そしてあれは、マシューが九歳の頃。

 招待された王宮の夜会で、マシューは家族とはぐれてぽつんと壁際に立っていた。


 貴族といっても、男爵位を授かったばかりのウィルク家には貴族社会にほとんどパイプがない。

 数あわせに連れてこられた男爵家の三男の顔など知る人もなく、人混みと香水の香りにやられてぐったりとしていたマシューに、たったひとりだけ声をかけてきた人物が居た。


「大丈夫? 体調が悪いのかい?」


 マシューより年下の少年ながら、明らかに場慣れしていて、この場に馴染んでいる。

 着ている服も上等で、マシューとは着せられた衣装とは比べものにならないと一目で分かった。

 それだけでマシューはその見目のいい少年のことが嫌いになったが、不躾な目線を返すマシューに対して、彼は朗らかに名乗ったのだ。


「僕はハリーソン・フォル。君は?」


 マシューはその名前を聞いてぎょっとした。

 フォル公爵家の名前はさすがに知っている。この国の要人だとデイヴィッドに教えられた一覧リストにあったからだ。


 しどろもどろに答えるばかりのマシューを、ハリーソンは大広間から繋がる小部屋へと連れて行った。

 ダンスの合間、休むためや談笑するために設けられた小部屋があるのは知っていたが、そこで待ち受けていたのはフォル公爵その人だった。


 ハリーソンの父親であるセオドリクは、公爵という肩書きを持ちながらも話しやすい人で――マシューもなんとなく、素直に自分の気持ちをぽつりぽつりと話していた。


「マシュー。君に魔法をあげよう」


 しばらく話をしたあと、セオドリクはそう言った。

 マシューはぽかんとした。両親や周囲への愚痴を漏らしていたら急にそんなことを言われたのだから、驚くのも無理はなかった。


 目の前に差しだされたのは、なんの変哲もない首飾りだった。

 中央に垂れ下がる黒ずんだ水晶が、不思議と不安を煽る。緊張して固まるマシューに、言い聞かせるように頭上からセオドリクが言う。


「これはね。誰かひとりの心を、思うままに操れる魔法の道具だよ」


(誰かひとりの心……)


「父親に認められたいんだろう?」


 正直、ほとんど意味は分からなかった。

 だがその言葉に、マシューは反発していた。


「……認められたいけど、意味ない」

「うん?」

「こんなものがあっても無意味だ」


 マシューはそう吐き捨てる。

 ハリーソンが苛立たしげに口元を歪めていたが、マシューは気づかずに俯きがちに続けた。


「僕は馬鹿で、才能がない。父さんも母さんも、兄さんたちもよく知ってる。名前も覚えてない親戚や、近所に住む誰かだって。それなのに誰かひとり操ったって、虚しいだけだ」

「そうか。君は私が思うよりずっと強欲な子だったみたいだな」

「……だからこれはいりません」


 慌てて敬語で付け足せば、セオドリクは目を細めた。

 笑っているように見えた。口元も三日月の形に歪んでいたから、そのはずだ。

 それなのにその表情は、人のものとは思えないほど異様に不気味で――マシューは背筋がぞくりとして、思わず黙り込んだ。


 全身を冷たい汗が流れていく。

 自分は何か、とんでもない話を聞いてしまったのではないかと、今さらになって気がついた。


(人の心を操る、魔法なんて……)


 そんな恐ろしい魔法が実在するなんて、今まで聞いたことがない。

 口封じに殺されるのではないかと恐ろしく、マシューはがたがたと震え続けていたが。


「……いいよ、君はあくまで保険だったから」


 やがて、やはり笑みを含んだ声音でセオドリクが言った。


「それは君にあげよう」

「父上」

「いいんだよハリーソン。マシューはおもしろい子だからね」


 不安そうにハリーソンが呼んだが、セオドリクは微笑んだままだ。


「それはあげるから、好きに使ってみるといい」


 このまま黙っているのもなぜか気が引けて、マシューは掠れた声で返した。


「……僕は、使いません」

「父親には、そうだろうね」


 セオドリクは、思わせぶりに笑った。


 家に帰ったマシューは、その首飾りを誰にも知られないように自室に隠した。

 突き返すつもりだったのに、結局持たされてしまったのだ。無理やり共犯にされたようで、誰かに言うこともできなかった。無論、父に明かせるはずもない。


 それなのに、捨てるのすら憚られた。

 手に取るだけでセオドリクの、何もかも見透かしたような目が脳裏に浮かぶのだ。


(いいんだ。このまま存在すら忘れて、使わなければいいだけなんだから)


 そう思っていた。今日のことは全部忘れてしまえばいいと。

 それから十年後――セオドリクの最後の言葉の意味を思い知る羽目になるとは、思ってもみなかった。




 ◇◇◇




 表面上は何事もなく、日々は過ぎ去っていった。


 十五歳になれば、多くの貴族は魔法学院へと入学する。

 そこで魔法に関しての基礎を学び、ごく一部の才能ある人間は魔法大学や魔法省、魔法警備隊など恵まれた環境への切符を手にすることになる。


 しかし魔力のないマシューは、学院に入学することすらできなかった。

 長男はいずれ家を継ぐための勉学に励み、次男は魔法省職員として就職しているというのに、マシューだけは何者にもなれず、鬱屈とした毎日を送るしかなかった。


 ――そんなときに、彼女と出会った。



「ごきげんよう、マシューさん」



 淡い桃色の髪の毛に、蜂蜜色の瞳をした同い年の少女は、驚くほど美しかった。

 名前はシャロン・カリラン。国内でも有数の上級貴族であるカリラン公爵家の長女だ。


 引き合わせたのは、お互いの父親であるデイヴィッドとトゥーロだ。

 魔道具に目がないトゥーロ・カリランは、研究所の所長であるデイヴィッドとも親しくなり、お互いに魔力のない子がいると知った。

 ぜひ良い友人同士になれればと、二人が余計な気を回したせいで。



 公爵家の長女と男爵家の三男という、本来相容れないはずの二人は対面し――シャロンとの出会いが、マシューの全てを狂わせてしまった。



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