第78話.シャロンの思惑

 


 その日の夜。

 薄青色のネグリジェを纏ったシャロンは、ベッドの上で膝を抱えていた。


 天蓋付きのベッドのカーテンは、一部分だけがそっと開けられている。

 そこから顔を覗かせるエリオットは、シャロンのことを心配そうに見つめていた。


「今日……あの子と話したのよね。どうだったの?」


 エリオットの問いかけに。

 シャロンは唇を噛んでから、そっと訊いた。


「……ルイゼさんは、何か言ってた?」

「いいえ。何も言わなかったけど」


 そう、と小さく呟いて。

 シャロンは大きな両の瞳から、涙をぽろぽろと零した。


「! シャロン……」

「……ご、ごめんなさい。もういいの、おやすみなさい」


 そう言ってベッドの奥に横たわろうとするシャロンのことを、エリオットが引き留める。


「そういうわけにはいかないじゃない! 何か言われたんじゃないの?」

「……それは……」

「お願いよシャロン。あたしには何でも話してよ」


 お願い、と切実に繰り返すエリオットのことを、シャロンは涙に濡れた眼差しで見つめる。

 それから、ほんの小さな震える声で囁いた。


「あのね。ルイゼさんに、ルキウス様とあまり親しくしないでって、お願いしたの」

「……ええ」

「でもね。あの子……『なんであなたに従わなくちゃいけないんですか?』って、わたしのことをうざったそうに撥ねつけたわ」

「えっ……!」


 エリオットが大きく目を見開く。


「十年もあの方に放っておかれた惨めな女だって、言いたかったんでしょうね。でも違うわ。わたしは【通信鏡】でルキウス様と連絡だって取り合ってたっ。ルキウス様は、わたしのことを想ってくれているのよ」


 それなのに何故、唐突に現れた"無能令嬢"に大切な彼を奪われなければならないのか。


 そんなことを訥々とシャロンは語り続けた。

 ベッドの脇に置いた、歌う小鳥を象った特注の【光の洋燈】の明かりは揺れ動き、シャロンとエリオットの表情に暗い影を何度も生み出した。


 やがて――シャロンは弱々しく掠れた声でエリオットに確認した。


「ねぇ。エリちゃんは、ちゃんと言ってくれたのよね? ルキウス様と馴れ馴れしくしないでって、あの子に」

「あたしは……」


 一瞬、戸惑った様子を見せたエリオットの腕を掴み、シャロンは畳みかけるように言い放つ。


「エリちゃんはあたしだけの味方なのよね? そうなのよね? だって――そういうじゃない」


 約束。

 むしろ、エリオットにとってはとでも呼ぶのが最も正しいのだろうか。


 それに掛かっているエリオットは、きつく眉を寄せ……ゆっくりと頷く。


「……ええ。あたしはシャロンの味方よ」

「エリちゃん……」

「シャロンはルキウス殿下の婚約者なんだものね」


 微笑んだ。

 洋燈の光が、エリオットのワインレッドの瞳を不気味に照らし出す。


(ああ……)


 その美しく妖しい輝きを見つめながら、シャロンは心底思う。


(……本当に)


 掴んだ腕にうっとりと頬擦りしたいほどの心地になりながらも。


(本当に――エリちゃんったらお馬鹿さん)


 笑いをかみ殺すのに必死になりながら、心の中で嘲笑った。







 もしも本当に。

 シャロン・カリランがルキウス・アルヴェインの婚約者であるならば――。


 彼の帰国を記念して開かれたパーティーで、婚約者以外の女がルキウスにエスコートされるなんて事態はそもそもあり得ないのだ。

 第二王子であるフレッドと違い、ルキウスは稀代の天才と謳われるほどの人物だ。

 彼自身がそんなリスクは犯さないし、周囲もそれを許さないだろう。


 少し考えれば、シャロンの言っていることこそが明らかにおかしいと分かるだろうに。


(それなのに、そんな世迷い言を……わたしの言い分なんかを信じちゃうだなんて)


 わたしがルキウス殿下の婚約者なのに、と泣くシャロンのことを、エリオットは心配そうに見つめては何度も抱きしめ、『あたしはシャロンの味方だから』と囁いた。

 そんな日々を繰り返すうちに、なんて素晴らしい友人に恵まれたのだろうと、シャロンはますますエリオットのことが好きになってしまいそうだった。


 両親も、家の使用人の多くも、シャロンの機嫌を損ねるのを嫌って表向きは話を合わせているが……。

 エリオットの場合は違う。シャロンのことを頭から信じきり、絶対に疑わないのだ。


(――何でこんなに、エリちゃんってバカなのかしら?)


 心の中だけで、くすりとシャロンは笑みをこぼす。


 どうしてエリオットという少女が、ここまで自分に甘いのか。


 その理由は分かりきっている。考えるまでもないことだ。

 分かりきっているからこそ、エリオットのことが哀れで仕方がなくて……笑いを堪えるのに必死だった。


 だが、そんなシャロンの計算は、現在のところはほんの少し外れていた。

 計画に支障が出たというほどの狂いではない。しかし、このまま放置することもできない。


 そのためにシャロンは、次の布石を打っていた。


「それでね、エリちゃん。まだ言ってなかったんだけど……わたし、お父様からこれをもらったの」

「え? それ……」


 シャロンが取り出したそれを見て、エリオットが驚いた表情をする。

 シャロンはわざと嬉しそうに顔を綻ばせてみせた。


「だってこれがあれば――自由にルキウス様に会えるもの、ね」


(待っててね、ルイゼさん)


 それを大切に胸元にぎゅっと抱きしめてみせて。

 エリオットからは口元を隠して、シャロンは不敵に微笑んだ。



(わたしがあなたのこと――きれいに叩き潰してあげるから)



 自分自身と。

 ――そしてもちろん、かわいい傀儡人形を使って。



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