第77話.微笑む少女

 


「カリラン公爵家の娘であるシャロンが、あなたに会いたいって訪ねてきてるの」



 前を歩くエリオットにそんな言葉を投げかけられ、ルイゼは首を傾げた。


 ルイゼにはそう知り合いは多くない。

 客人が訪ねてきていると聞いたときはいったい誰だろうと思ったが、名前を聞いてますます不思議な思いがした。


 なぜならそれが、まったく聞き覚えのない令嬢の名だったからである。


(カリラン公爵は……先ほど、壇上で挨拶をされていた方よね)


 シャロン・カリランは、研究所の入り口付近にある待合室でルイゼのことを待っているらしい。

 というのも、父親と異なり彼女自身は許可証を持っていない。つまり受付を通る許可が与えられなかったのだ。


「いつもこういう我が儘を言い出す子じゃないのよ。でも……あの子、最近は不安定というか」

「エニマ様とカリラン様はご友人同士なんですか?」

「……まぁね」


 無愛想な返事だったが、エリオットがシャロンという少女について語る言葉には親しみが感じられた。

 カリラン公爵もエリオットに笑みを向けていたので、家族ぐるみでの付き合いがあるのだろうか。


(でもマシュー様に聞いた限りは……エニマ様は、家の中で不遇の扱いを受けていた)


 家は関わりなく、エリオットが個人的にカリラン公爵家と繋がりを持っているだけなのかもしれない。

 少し気に掛かったが、それをエリオットに問うことはできずにいると。


 待合室の手前まで着いたところで、ふとエリオットが振り返った。


「大丈夫だとは思うけど、もしシャロンに何か言われたらあたしに言って」

「え?」

「……それと魔道具祭の件だけど。一律調整課が中心になって動くから、そのつもりで」


 意外な言葉を二つ重ねられて――ルイゼは驚いて、しばらく何も反応が出来なかった。

 エリオットが小さく咳払いをする。


「あたしがイベントの責任者を務めるから、そのついでにあなたたちにも働いてもらうわ。……何よ。不満?」

「不満だなんて! 私、嬉しいです!」


 そう、とエリオットが素っ気なく頷く。

 ルイゼは嬉しさのあまり表情を緩めた。


(たぶん、あまり関わることはできないと思っていたから……)


 一律調整課の業務内容は、魔道具研究所の本格的な業務から遠ざかったところにある。

 だからエリオットの言葉は本当にルイゼにとっては思いがけないものだった。


 しかし、気になることもあって。


「あの……エニマ様は大丈夫ですか?」

「は? どういう意味?」

「魔道具がお嫌いだと、前に仰っていたので……」


 そんなエリオットにとって、魔道具祭の責任者を任されるのは苦痛なのではないだろうか。

 ルイゼが訊くと、エリオットは憮然とした面持ちで答えた。


「……そんなこと、あなたに気にされる筋合いはないわ」


 不機嫌そうに言われてしまい、ルイゼは思わず縮こまる。

 やはり余計なことだっただろうか。そう後悔しかけるが、続くエリオットの声には怒りは感じられなかった。


「準備期間は一ヶ月しか無いから、かなり忙しくなると思うけどそのつもりで」

「はい、分かりました」

「……それじゃ、あたしは行くわ。カリラン公爵を魔法省に案内しないとだから」


 そうしてエリオットは、再び元来た道へと慌ただしく去って行く。

 忙しい中、どうにか時間に都合をつけてここまでついてきてくれたのだろう。


(エニマ様は……どんな方なんだろう)


 知り合って数日が経った今も、未だに彼女がどんな人間なのかルイゼには判断がつかずにいる。

 一見すると冷たく無愛想で、ルイゼやルキウスに対して敵意を抱いているようで。

 それでも、どこかルイゼを案じてくれているような振る舞いも見せる。


(って、今はそれよりも――目の前のこと!)


 ルイゼは気を引き締めた。この先に、見知らぬ客人が待っているのだ。


 研究所の中では数少ないが、待合室の自動開閉扉には認証装置がついていない。

 そのため、扉のノックは出来ない。ルイゼは軽く深呼吸してから、扉の前に立った。


「失礼致します」


 開閉音のあとにそう言って、こぢんまりとした部屋へと入室する。

 向かい合う形で置かれた革製のソファ以外は、何も置かれていない簡素な室内には二人の人物が居た。



「――あなたが、ルイゼさん?」



 立ち上がった少女を、ルイゼは見つめた。


(……とても、可愛らしい方)


 甘く蕩けるような蜂蜜色の大きな瞳に、まったく焼けていない雪のように白い肌。

 内巻きにパーマがかったボブヘアーの髪は、淡く桃色に色づいている。

 繊細なレースが縫いつけられたドレスの裾から覗く腕は細く、力を込めれば折れてしまうのではないかと不安になるほどだ。


 一瞬、金縛りに遭ったように見入ってしまったルイゼだったが……。

 気を取り直し、そんな彼女に頭を下げた。


「初めてお目にかかります、ルイゼ・レコットと申します」

「わたしは、シャロン・カリランと言います」


 どうぞ、と向かいの席を勧められ、ルイゼは言われるがままにそこに落ち着いた。

 穏やかな笑みを浮かべたシャロンの背後には、鋭い目つきの侍女が控えている。目が合ったが、すぐに背けられた。


「突然お呼び立てして、ごめんなさい。お父様が魔道具研究所に行くというから、無理を言ってついてきたの」


 そう言って舌を出すシャロンは、同性の目から見ても愛らしかった。


「どうしてもルイゼさんに会って、訊きたいことがあって」

「私に訊きたいこと、ですか?」


 ええ、とシャロンが頷く。



「ルイゼさんは、ルキウス殿下と親しいの?」



 出し抜けの問いに、ルイゼは息を呑んだ。


(どうして、そんなことを?)


 意図を読もうと不躾でない程度に見つめるが、シャロンは微笑んでいるばかりで、その心の底は見えない。

 ルキウスに懸想する令嬢が星の数ほど居ることは、ルイゼだってよく知っている。しかし正面切って誰かからそんな風に問われたことはなかった。


「とても良くしていただいています」


 その返答に対しては何も言わず、シャロンは問いを重ねた。


「ルイゼさんとルキウス殿下は、どういうご関係なの?」


 ルイゼは静かに言葉に詰まった。


 ルイゼはルキウスの妻でなければ、婚約者でもなく……まして恋人同士でもない。

 それがルイゼの選んだ道だ。彼の差し出した手を取らず、困難な道に進むと決めた。


 だが、それを――言葉にして誰かに説明することは出来ない。

 そうするには必ず、家族の……ガーゴインやリーナの秘密に触れなければならないからだ。


(それに私は……


 君の夢が叶ったら、結婚しようと。

 そう囁いた彼の、優しい目尻や、指先の感覚や、日だまりの中に居るようなあの日の思い出は、ただ二人だけのものだから。


 そんな思いがルイゼの口を噤ませた。

 するとシャロンは、まるでルイゼの胸中すら見透かすように言い放った。



「わたし、ルキウス殿下の婚約者なのよ」



(――――え?)


 ひやりと。

 背筋を冷たい戦慄が走り抜ける。


 だがその感覚は、すぐに過ぎ去り……ルイゼは恐る恐ると口を開いた。


「ルキウス様には……婚約者様は、いらっしゃいませんよね?」


 シャロンはおかしそうに微笑んだ。


「ルキウス様、だなんて……随分と親しげに、あの方のことを呼ばれるのね?」

「…………」

「言葉にできるほどの関係でもないのに」


(……カリラン様の仰ることを、鵜呑みにする必要なんてない)


 シャロンとルキウス。

 どちらを信じるかと問われれば、ルイゼの答えは決まっている。

 それなのにシャロンが告げた言葉を前にして、うまく頭が回らない。


 言い返さないルイゼを勝ち誇ったように見つめ、シャロンが愛らしく手を合わせた。


「今日は、ひとつだけお願いがあってあなたに会いに来たの。――ルキウス殿下と親しくするのは、やめてちょうだい」

「……どうして、ですか?」


 苦しく問い返すルイゼに、シャロンが首を傾げる。


「婚約者だから、だけど。……分からない?」

「…………」

「わたし、ルキウス殿下がこの国を離れている間の十年間も、ずっと親しくしていたの」


 蜂蜜色の瞳を細めて、シャロンが愛おしげにルキウスの名を呼ぶ。


「わたしの家は魔道具研究所とも古くから親交があって、小さい頃からルキウス殿下とはよくお話したわ。わたしの持っている【通信鏡】も、殿下がプレゼントしてくれたものなのよ」


 恋を語るシャロンの口調に嫌味はない。

 だがそれ故に、ルイゼの目の前の景色は次第に歪んでいくようだった。


「……お約束できません」


(胸が、痛い。……苦しい)


 詰まりそうになる喉からどうにか絞り出したその答えを、聞いたのか聞いていないのか。

 シャロンは立ち上がると、ドレスの裾をつまんで優雅に礼をした。


「それでは、ごきげんよう。またね、ルイゼさん?」


 シャロンが侍女を連れて部屋を出て行ってからも、ルイゼはしばらく立ち上がることができなかった。

 やんわりと突きつけられた毒のような、シャロンの言葉そのものではなく。



(…………何も、言えなかった)



 自身が何も――意味のある言葉を返せなかったことこそが、悔しくて仕方がなかった。



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