サイン

ある日、親方の家にて。


「そう言えば前々から気になってた事があるんだけどさ。」

「何が気になるってんだぁ?」

「親方の店にサインが飾ってあるじゃん。」

「あぁ、あれかぁ。」

「私はよく知らないんだけど、あれって本物なのか?実際に店に来た芸能人がサインしてってくれるのか?」


店の壁に飾ってあるサインは見たことがあっても、実際にサインをしているところを見た事は1度も無い。

実はサイン販売的な何かがあって、そこから購入しているのではないだろうか。

もしくは飲食店に飾る用のサインとしてレプリカとか量産品が売られていると言う可能性もある。


「あぁ、あれぁ本物だぜぇ。」

「マジか。結構飾ってあるけど全部本物なのか?」

「おぅ。うちの近所にでっけぇ和風屋敷があるだろぉ?」

「あー、あのちょっと近寄りがたい所か。」

「いや住んでる人らはヤクザ者なんかじゃねぇぞぉ。まっとうな人たちだよぉ。」


でも雰囲気的に怖いんだよ。

実際にどんな人が住んでいるかは知らないけど、前に黒いスーツを着た厳つい大人が入っていったのを見た時点で、偏見だろうと恐怖を抱かざるを得ないぞ。


「とにかく、その人たちが結構芸能界と伝手があるらしくてなぁ。その繋がりでうちの店もそっちの業界の人らに贔屓にしてもらってるってぇ訳よぉ。」

「でもたまに遊びに来るけど、そういう芸能人っぽい人たちが来てるとこなんて見たことないぞ。」

「そりゃ昼間にはあんまり来ねぇからなぁ。来るとしたら夜だよ、夜。」

「へぇ。」


それなら芸能人っぽいお客さんを見たことが無いのも納得できる。

親方の家に遊びに来るのは基本的に日中だし、夕方くらいには家業の蕎麦屋の蕎麦を食べて帰る事がほとんどだ。


「じゃあさ、気になる事がもう1つあるんだけど。」

「おぅ、次はなんだぁ?」

「梅嶋牛雄ってサインも、芸能人のサインなのか?親方の名前と全く同じだけど、すごい偶然もあるもんだな。」

「……………。」

「親方?」


私の問いかけを聞いた親方は目を逸らして沈黙する。

私が再度、親方を呼ぶとこちらを見ないで返事をする。


「お、おぅ。す、すげぇ偶然もあるもんだなぁ。ははははは…………。」

「まさか親方が親父さんに頼まれてサインしたとか、そんな訳ないよなー。」

「そそっそそそんな訳ねぇってぇの!」


1つの可能性を提示すると目に見えて動揺する親方。

見ていて面白い。

もう少し突っついてみよう。


「でも梅嶋牛雄なんて芸能人、聞いた事無いんだよ。」

「そりゃあ芸能界も広いからよぉ、知らねぇ芸能人がいたっておかしかぁねぇだろぉ。」


そうだな。

芸能界は広いから、私が知っている芸能人なんて全体の中では僅かなんだろう。

しかしまだ突っつける点は残っている。


「あとさ、筆跡が親方の文字とめっちゃ似てるんだよな。」

「いやぁ、本当にすげぇ偶然もあったもんだなぁ!」


親方は偶然だと語り、勢いで押し通そうとする。

このまま慌てふためく姿を眺めているのも面白そうだが、そろそろネタばらしをしよう。


「まぁ本当は親方が書いたって伊江に聞いたんだけど。」

「いや知ってたのかよ!あの野郎!」


親方のサインが店に飾ってある。

伊江からその話を聞いた瞬間に、今度親方の家に遊びに行ったら弄ろうと考えていたのだ。

その話を聞いた親方は拳を握り締め、伊江に対して怒りを顕わにする。


「あー、面白かった。」

「おめぇ最初っから分かってて弄ってたなぁ、この野郎ぉ………!」

「待て、落ち着け、落ち着くんだ親方。」


あ、ヤバい。

伊江の方に向いていた怒りが私の方に向いた。

何とかして宥めないと私の身が危うい。


「いやー、それにしても良いサインだ!私にも書いてくれないか!」

「ほぉ?」


食い付いた!

これで詰めを誤らなければ生き残れる!

もう一押しで怒りを逸らせるぞ!


「竹塚とか伊江とか、皆に自慢するから!」

「それでまたサインをネタに弄ろうって寸法だろぉ!」


しまった!詰めを誤った!

他の言い訳をしようと口を開こうとするが、その時には既に眼前に親方のチョップが迫っているのであった。

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