遅刻

人々が時間に追われ出したのは一体いつからなんだろうか。

時間を管理しているつもりが、時間に管理され、忙しなく生きる人々。

でもそんな人生って虚しくはないだろうか。

人として大切な物をどこかに置き忘れてきてしまったのではないだろうか。

誰が言ったか忘れたが、人は物的豊かさを手に入れた代わりに、精神的豊かさを失ってしまったのだと。


確かに現代社会は昔と比べて便利になっただろう。

火を起こすのに石を打ちつけたり、気を擦り合わせたりする必要はなく、スイッチ一つで事足りるようになった。

夜になっても明かりは充実し、街は煌々と照らされている。

確かに便利だ。そこに関しては異論を挟む余地は無いだろう。


しかし、それは時間に縛られるようになった対価なのだろうか。

時として人は時間と言う鎖から解き放たれ、自由になっても良いと思うんだ。

だから、






「遅刻とは即ち悪なのでしょうか?」

「校則と言うルールを破っているので問題ですね。」


時間に縛られているから遅刻と言う概念がある訳で、自由を得たのであれば遅刻は存在しないと思う。


「何でもかんでも校則で拘束しようとするんですか!」

「………ルールを守ることは社会で生きる上で大切な事ですからね。あと空気を読むことも大切ですよ。」

「すいません、今の一言は忘れて下さい。」


一瞬、私の脳内に丹野が宿ったのか、とても寒い事を言ってしまった。

保木先生も少し言葉を失っていたぞ。絶対傷つけないように言葉を選んでたぞ。


「でも遅刻をしようと思ってした訳じゃないんですよ。」

「そうですね。普通、自ら進んで遅刻しようとするような人なんていないですからね。」

「ただちょっといい天気だったんで、いつもとは違うルートで登校しようと思って。」

「それで遅刻したと?でしたら普通に叱りますよ。散歩でしたら休みの日も出来るので。」

「それだけじゃないんですよ。ここから先の出来事を聞けば驚きますよ。山よりも高く谷よりも深い事情があるので。」

「聞きましょう。」


よし、とりあえず言い訳を聞いてもらえる段階までは漕ぎ着けた。

ここからが私の言い訳術の見せ所だ。

それに実際、遅刻しても仕方がない理由もあるし。


「いつもと違う道を歩いていると目の前には困ってそうなお婆ちゃんが居たんです。見て見ぬふりをするという選択肢こそありましたが、私にはそのお婆ちゃんを見捨てるなんて出来なかったんです。」

「つまり道中で困っている人を助けていたから遅刻したと?」

「そうなんですよ。今時、紙の地図を持ってる人初めて見ました。なんだが迷ってそうだったんで声を掛けたんですけど、そもそもこの街の地図じゃなかったんで駅まで送って駅員さんに事情を説明してから来たから遅刻したんです。」


スマホとかも持っていないし、口頭で説明してもその後に駅まで辿り着けるか心配だったし、流石に見て見ぬふりは心が痛む。

なので直接駅まで案内するのが一番良い方法だと思ったのだ。

流石に目的地までは案内出来ないから駅員さんにお願いしたけど。


「まぁ、そう言う事なら仕方がありませんね。今回の遅刻に関しては不問とします。」

「やった!」

「ただし、そういう事情があったのなら学校に連絡するように。何も連絡が無かったら普通の遅刻と同じように扱いますからね。」

「はい。」


良かった。信じてもらえた。

正直、困ってる人を助けて遅刻なんて言い訳の定番で嘘をついていると疑われるんじゃないかと思っていたぞ。


「でも先生、私が嘘をついて言い訳してるとか思わなかったんですか?」

「思いませんでしたよ。確かに安達くんはふざける事が多いですけど、言い訳する時は嘘をつかずに変な理屈を展開しますからね。」

「日頃の行いのお陰って事ですね!」

「そもそも言い訳をする必要がある事をしないでほしいんですけどね。それに私は先生ですよ。生徒の言う事を信じなくてどうするんですか。」


せ、先生………!

優しい微笑みでそう言ってくれる先生の姿はまさに『教師』という感じだ。


「私、保木先生の生徒で良かったって心の底から思ってます!」

「ふふふ、おだてても何も出ませんよ。」

「いよっ!名教師!教師の鑑!教師になるべくしてなった存在!実のところ家を出た時間は遅刻確定の時間だったけど許してくれるんですね。」

「ふふふ、え?最後の話は聞いてないのですけど。」

「あ。」


しまった。調子に乗って余計な事を言ってしまったかも知れない。

このまま良い話で終わらせる事が出来たはずなのに、雲行きが怪しくなってきたぞ。


「安達くん、困っている人を助ける事は良い事です。」

「はい。」

「その点については君が善い人間であった事に喜びを感じます。」

「はい。」

「でも時間の管理はしっかりしましょう。遅刻を避けられないからと言って現実逃避して街中をフラフラとしないように。」

「はい。」

「今回はその時間だったから困っているお婆さんと巡り会えて助ける事が出来たと考えて許しますが、時間の管理はしっかりするように。」

「はい。」




結局、お説教されてしまった。

次回から遅刻が確定した時は街中で困ってそうな人が居ないか探そうと思ったが、この手は通じそうにないな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る