挙手

「手を挙げろ。」


低く小さい声が後ろから聞こえる。

背中には円柱状の冷たい物体を押し当てられる。

後ろを振り向こうとするが、


「振り向くな。早く手を挙げるんだ。」


しかしその前に牽制される。

抵抗手段もなく、非常にマズい状況だ。手を挙げるしかない。

卑怯者め、何故こんな事をするんだ、




丹野!


「お、じゃあ安達。この問題解いてみろ。」

安良川あらかわ先生。」

「どうした?」

「分からないです。」

「ならなんで挙手したんだよ。」

「違うんです!私は脅されて!」

「それじゃ他にこの問題分かる奴いるか?」


生徒の弁明を無視するのは教師のすることではないと思う。

こうなったら自棄だ。丹野の暴挙を白日の下に晒してやる!


「先生!丹野は私の背中にマジックペンを押し付けてきて『手を挙げろ』って脅迫してきたんですよ!この罪は丹野に回答させることで償わせるべきです!」

「マジックペンて。それ脅迫にはならんだろ。」

「いいえ!これは丹野が『手を挙げなければ、このマジックペンで背中に落書きしてやる』という意思表示に他なりません!」

「先生、こんな奴の言う事なんて聞く必要ないっすよ。」


丹野!この野郎、このまま授業を進行させて有耶無耶にする気だな!


「でもまぁ、今日の日付は丹野の出席番号と一緒だから、他に答える奴がいなかったら丹野に答えてもらおうと思ってたんだけどな。」

「誰か!誰かいないのか!?」


よし。天罰は下った。

どうせ丹野の事だから出席番号で指名されるのを回避するために私を挙手させたのだろうが、その企みは失敗に終わったようだな。


「竹塚、お前なら答えられるんじゃないか!?」

「………。」

「竹塚ぁ!」

「うるせぇ!授業中に叫ぶな!」

「すんません!」


はっはっは。無様。見捨てられてて笑える。

しかも怒られてやんの。


「まったく。日頃から真面目に授業を受けないからこんなことになるんだぞ。」

「安達も答え分からなかったじゃねぇか。人の事を言う前に自分の行いを省みろ。」


丹野を煽っていたら流れ弾を喰らった。

おかしい。私はちょっと授業に集中できていないだけなのに。


「先生、やっぱり集中できるような面白い授業をする必要性についても考慮するべきではないかと。」

「ほぉ、つまり俺の授業がつまらないから授業に集中できないと言いたいんだな。」


瞬間、鋭い眼光を感じる。

しまった、これはもしや余計な事を言ったか。


「そんな感じの事を丹野が言ってました!」

「はぁ!?言ってないっす!これは安達の本心であってオレはそんな事思ってないっすよ!」


緊急回避、後ろの丹野を生贄に生存の可能性を確保。

お前もさっき私の事を生贄にしようとしただろうが。お互い様だ。


「俺も鬼じゃない。生徒の意見くらい聞くぞ。それで、お前らにとって面白い授業ってのはどんな授業だ?」


おっと?これは許される感じか?

それなら忌憚ない意見を言わせてもらおう。


「やっぱり教科書的な内容ばっかりで眠くなります!脱線、じゃなくて、こぼれ話的なのがあったら楽しく授業を受けられるのではないかと!」

「カリキュラムの関係で無理だ。どうしてもってんなら授業でじゃなくて放課後とかに講習でも開くがな。」

「先生の貴重の時間を奪う訳にはいかないので遠慮しておきます!」


放課後まで授業の延長とか絶対に嫌だ。


「先生の声で眠くなるっす。先生が常時面白いギャグを披露してくれたら眠くならないと思うっす。」

「声はどうしようもないだろう。そして俺は芸人じゃない。却下。」


私の意見も丹野の意見も通らない。

結局聞くだけ聞いて反映されないじゃないか。


「先生、考慮しないなら聞く意味ないと思います!」

「考慮したうえで反映していないだけだ。だから講習の話をしただろう。」


なんて教師だ。生徒の事をもっと思いやるべきではないだろうか。


「そんなんだから彼女に振られるんだよ。」

「おい馬鹿、丹野、事実だけどそれは禁句だろ。」

「安心しろ、俺は心が広いからな。そんな授業と関係のない事を言われても、まったく怒っていない。むしろお前らみたいな生徒でも将来を心配してやるくらいに寛容だ。」


コソコソと話をするが聞かれてしまった。

しまったと思ったが、吹っ切れていたか。流石は大人。笑顔の対応だ。

このまま授業を進行してもらって有耶無耶にしよう。

後で職員室に呼ばれるかもしれないけど。


「流石、安良川先生は心が広いですね!そんな安良川先生の授業の続きを早く聞きたいです!」

「そうかそうか。勉強熱心だな。勉強熱心なお前らの為に課題を三倍にしてやるからな。しっかり勉強しろよ。」

「先生!待って下さい!彼女の話を持ち出したのは丹野だけです!」


全然寛容じゃないじゃないか!絶対怒ってるぞ!

三倍はシャレにならないので丹野に全てを擦り付ける。


「お前もさらっと同意してたよな?それに普段から真面目に授業を受けてない分、この課題で後れを取り戻せ。」

「先生、甘く見てもらっては困るっす!たかが三倍程度の課題でオレたちの成績は向上しないっすよ!」

「丹野、お前もう黙れ!」

「よし、課題は五倍だ。」

「先生!私は丹野よりも頭の出来が良いので三倍で大丈夫です!」


なんとか、なんとか逃げなくては。

五倍の課題なんてやってられるか!


「お前ら、自分の頭の出来が五十歩百歩って理解した方が良いぞ。だから二人とも課題は五倍だ。」






課題からは逃げられなかったよ………。

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