87.王子の日常
――俺は炎天下で、畑の草むしりをしていた。
何かのイタズラに付き合わされて、バレて、そのお仕置きだったと思う。
汗を拭いながら一息つく俺の横で、ガサガサと茂みが音を立てた。
『ね! アレク!』
ぴょこんと、全ての元凶が顔を出す。俺をイタズラに巻き込んだ張本人が。もはや顔も、名前も、おぼろげな幼馴染の少女が――
『なんだよ。俺は今いそがしいんだ』
半ばうんざりしたように、幼い俺は答えた。
『それにお前、おしおきはどうしたんだよ』
『ふふーん! そんなのとうぜん、抜け出してきたわ!』
ドヤ顔の幼馴染。威張るようなことじゃない。どうせすぐにお仕置きが2倍、3倍になって、ベソかくのが目に見えている。
『ね! 聞いた?』
『何をだよ』
『今度、――
名前のところは、かすれて、よく聞こえなかった。だが俺はそれに気づかなかったように『へぇ!』と目を丸くする。
『今聞いたよ。……おい、まさかと思うけど』
『ね! ふたりの門出を祝うのに、サプライズが必要だと思わない!?』
『カンベンしてくれよ!!』
俺は天を仰いだ。
『今度何かやらかしたら、タンコブで頭がもうひとつ増えちまうよ!』
親父に食らったゲンコツのせいで、未だ痛む頭を指差しながら俺は言う。
『しかも結婚式を台無しにしちまったら、おしおきじゃすまされないぞ!』
『だいじょうぶよ! バレないようなのを考えたから!』
『そんなイタズラするの俺たちしかいないっつーの!!』
『いーから! ね、話だけでも聞いていきなさいよ――』
幼馴染のトンデモイタズラ計画を聞かされる俺。
……どうせ今回も、何だかんだで、付き合う羽目になるんだろう。彼女が暴走しないように、俺がそばで見張って止めるんだ、とか、色々と理由をつけて――
だが、俺の記憶が正しければ、その『結婚式』は、ついぞ挙げられなかった。
なぜなら――その前に、俺の村は――
「――ジルバギアス様、あの、夕方ですぅ……起きてくださーい……?」
ゆるゆる、と揺り動かされて、俺は目を覚ました。
「ん……」
目を開けると、メイド服姿のレイラが、おっかなびっくりといった様子でパッと俺から手を放した。
「あ……おはよう、ございます……」
「ああ……おはよう」
目をこすりながら起き上がると、外はもう日が沈み、ほとんど真っ暗だった。
……久々に、昔の夢を見たな。
転生直後はうなされてばかりいたけど、この頃は……あまりあの夢を見なくなっていた。
ひとつは、今の生活に慣れてきたこともあるんだろう。だが……俺の記憶そのものが、もはや擦り切れつつあるのではないか、と……
俺は恐れている。
だが。それでも。
胸の奥底で燃える、この怒りの炎だけは決して絶やさない――!
そんな俺が、前世の夢をクッソ久しぶりに見たのは、たぶん。
「……?」
首をかしげるレイラ。この頃、彼女のことをずっと考えているせいかもしれない。俺と似て非なる環境に身を置く、白竜の娘のことを――
それはさておき、普段はもうちょい早く目が覚めるもんだが、今日はずいぶん眠りこけてたらしい。
「すっかり寝坊してしまったな」
「昨日は、その、ずいぶんお疲れのようでしたから……」
にへらと愛想笑いしながら、俺の独り言に答えるレイラ。
最近は、俺が無理に話しかけなくても、色々と会話に乗ってくれるようになった。
だいぶん打ち解けてきた――のだと、信じたい。
†††
悪魔娘酒乱騒ぎから、しばらく経つ。
俺は変わらず、魔族的に充実した日々を過ごしている。訓練したり、訓練したり、魔王ファミリーの食事会に出席したり、訓練したり、死霊術の講義を受けたり、訓練したり訓練したり……
いや、ほとんど訓練です……(血反吐)。充実ってか充血なんだよなぁ……。
『あ゛あ゛あ゛あ゛ァァ――――ッ!!』
にしても、目を覚まし、シラフに戻ったアンテの悶絶ぶりは見ものだった。
『あ゛あ゛……ッ! ぬぅあ゛あ゛ァァ――ッ!!』
ベッドに寝転がったまま、頭を抱えて足をジタバタさせている。まあ、いつも余裕カマして、太古の魔神面してたくせに、幼児みたいな甘え方しちゃったもんな。
恥辱のあまり、もはやビクンビクンして興奮に転化することさえままならず、顔を真っ赤にして七転八倒していた。
『なっ……何も……覚えてない……ッッ!!』
そしてソフィアも、死ぬほど衝撃を受けていた。
『記憶が……まるで、まっさらに……ッ! ヒィィ……!!』
知識の悪魔である彼女は、一度見聞きしたものは忘れない。――にもかかわらず、『酔っ払ってきましたー!』と叫んだのを最後に記憶がふっつりと途切れ、何が起きたのか全く覚えていないのだという。
『な……なんて、なんてこと……!!』
アイデンティティ、どころか自身の根幹、権能さえ揺るがしかねない事態にめちゃくちゃ動揺していた。
『あっ、あわわわ……!!』
『あーッ! そうじゃ、我も! 酔っ払いすぎて何も覚えとらんわー!!』
ガクガクと震えるソフィアの横で、ガバッとベッドから起き上がりアンテが叫ぶ。
『なーんか醜態を晒した気がせんでもないが、いやー、おっかしいのー! これが酒の魔力というものかー! ぜんぜん覚えとらーん!』
そんなぐるぐる目で言われても説得力ゼロなんだが……?
『……我もナデナデ』
ボソッと俺が呟くと、アンテは『コヒュッ』と〆られた鶏みたいな声を上げた。
『……お主は我だけのモノぉ』
『かはッ――』
絶命したように、白目を剥いて倒れ伏すアンテ。
『お、……お酒なんて……お酒なんて、もう……!!』
その横で、ひとり恐怖におののくソフィアは、悲痛な声で叫んだ。
『――もう、何かを忘れたいときしか呑みませんッッ!』
まだ呑むつもりあるんだ!?
俺の手勢に、人の身で堕落した酒乱悪魔が誕生した瞬間でもあった。
それはともかく、俺は毎週恒例・月の日の食事会にも出席した。
アホ事件の直後だったから、そりゃもう話題は俺一色よ。
『まったく、あのあと、そんな厄介事に巻き込まれていたとはな』
魔王は呆れ気味だった。
『素手で角をへし折るとは末恐ろしい奴だ』
などと言いながら、どことなく自慢げに。
『――しかし、どんな手を使ったんだ? 確かにお前も、最後に相まみえたときから見違えるほど成長しているが』
懐疑的な目を向けてきたのは第1魔王子アイオギアス。
『それにしても子爵級の魔族の角は、叩いて折れるほどヤワではないぞ』
『――本人が言ってた通りでしょ。件のアホの角が、きっと特別脆かったのよ』
揶揄するような声で口を挟んできたのは、第2魔王子ルビーフィアだ。
『そうでもなきゃ、
さも可笑しそうに笑いつつ、値踏みするような目で俺を見る。
『ふン……実際のところ、どうなんだジルバギアス』
『と言われましてもね。俺も、誰かの角を素手で殴ったのも、へし折ったのも初めてなもんで』
腕組みして尋ねてくるアイオギアスに、俺は肩をすくめて答えた。そしてふと魔王に目を留める。
『……そうだ、試しに父上の角を叩いてみてもいいですか?』
戯れに見せかけて、油断したところをへし折れたらめっけもんだ!
『構わんぞ』
茶をすすりながら、悠々と答える魔王。
『――ただし、やられたらやり返すのが父の流儀だ』
『やっぱやめときます』
やめやめ!! 戯れに殴り返されて万が一俺の角が折れたら台無しだ!!
『その……、子爵って奴さ』
髪をいじりながら、珍しく、第3魔王子ダイアギアスが口を開いた。普段は何事にも興味関心なく、退屈そうな顔してるのに。
『メガロス子爵、だっけ。女? 男?』
『えっ? ゴブリン似の男でしたよ』
『あっそ。じゃあいいや』
一瞬で興味を失い、手鏡を開いて自分の美貌をチェックしだすダイアギアス。
いや……女だったらどうするつもりだったんだよ……
――兄上がルビーフィア姉の味方をしてるのって、もしかして女だからですか? と反射的に尋ねかけたが、これは『政治の話』に該当するかもしれないと思い直し、俺は口をつぐんだ。
ちなみに、この間、フードファイターこと第5魔王子スピネズィアは、話を聞きながらもモリモリフードファイトしてたし、第6魔王子トパーズィアは、前菜のチーズと魚の燻製載せクラッカーを口に突っ込んだまま寝ていた。
そして緑野郎は、この日は欠席だ。
アイツの顔を拝まずに済んでラッキー、と思っていたが、アイオギアスいわく前線に出ているとのこと。
……俺に
今この瞬間も、人族の兵士たちが、奴の功績のため殺されているのかと思うと……飯が不味くなる。
畜生め。人生ままならねえ。
エンマの第2回、第3回の死霊術講座も受けた。
霊魂の感情を封じたり、苦痛や快楽を与える呪文なんかも教わって、着々と禁忌の道を歩みつつある。
『いやー、掃除し始めたらキリがなくってさー』
ちなみに、死霊術講座は相変わらず中庭で開催されている。
『もうちょっと
マニキュアを塗った手を頬に当てながら、エンマはニッコリ笑っていた。会うたびにどんどんおめかしレベルが上がってやがるぞコイツ……
それにしてもどんだけ汚かったんだよアンデッドの巣窟。
訪ねるのが楽しみだなぁ……(白目)
†††
そんなこんなで、俺は忙しない日常を過ごしている。
「それじゃ、行きます!!」
レイラの飛行訓練も、もちろん継続されていた。
バッと翼を広げた竜形態のレイラが、助走で勢いをつけて飛び上がる。
スイー、と翼で風を受けて滑空――これはかなり安定しているのだが。
羽ばたこうとすると、糸が切れた操り人形のように、ベシャッと地に落ちてしまう。
ベシャッっていうか、ズズン! だが。
「うう……」
翼の動かし方を色々と試行錯誤して、毎回、「今度こそ!」と意気込んでいるだけに、レイラはしょんぼりと気落ちしている。
「やっぱり……わたしなんか……」
む、いかん。
「……レイラ、見ていて思ったんだが」
魔族の身でアドバイスなどおこがましいなと思いつつ、俺は声をかける。
「はい……なんでしょうか……」
「翼を羽ばたかせるときに、魔力をもっとこう、込められないかな?」
「……魔力、ですか?」
ぱちぱちと、目をしばたたかせるホワイトドラゴン。
「ああ。実は、飛竜発着場に行って、他のドラゴンたちを観察してみたんだ」
――レイラはずっと人の姿でいることを強要されており、もちろん、他のドラゴンたちから竜として必要な手ほどきを受けていない。
そして、俺がレイラを厚遇することに表立って反対はしていないが、俺が依頼したところで、何だかんだと理由をつけて指導を引き受けようとはしないだろう。
なので、俺は自分から飛竜発着場に出向き、空を飛ぶドラゴンたちを観察してみたのだ。
「――それで、気づいたんだけど、……口で言い表しにくいけど、ドラゴンは飛ぶときに、翼に強い魔力の渦……みたいなものを発生させてる気がして……」
一瞬のことなので、魔族の知覚をもってしても、はっきりとはわからなかったのだが……
「な、る……ほど……」
その発想はなかった、とばかりに考え込むレイラ。
「……もう一度……もう一度、やってみます!」
「うん、もう一度と言わず、何度でもやろう!」
「……はい!」
姿勢を正すレイラ。
バサッ、バサッと翼を羽ばたかせる。
「魔力を――」
その金色の瞳に、光が灯った。
「渦巻かせて――」
バサッ、ヴァサッ、ドゥサッ――とどんどん力強く。
「そっか……お父さんとか、お母さんみたいに……」
小さくつぶやいて。
ホワイトドラゴンの巨体が、助走もなく、トンッと地を蹴った。
突風。
白銀の竜が、舞い上がる――!
「わぁっ……すごぉい!!」
かつてなく軽やかに、他の竜たちのように飛び上がったレイラは、興奮気味に声を上げて――
「あっ」
翼の動きがちょっと変になり、そのままズズンと落下した。
「……レイラ!!」
俺は心配して駆け寄ったが、むくりと何事もなかったかのように起き上がったレイラは。
「えへへ……ちょっと、失敗しちゃいました」
恥ずかしげに目を細めるレイラは、もう落ち込んではいなかった。
確かな手応えを、自信を、取り戻しつつある。
「今の、すごく良かったな! もうちょっとやってみるか!?」
「……はい!!」
バサッ、と威風堂々と、翼を広げるレイラ。
彼女が自由の空に飛び立つ日は――
きっと、そう遠くない。
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