26.魔王城の歩き方


 窓から差し込む陽光に、目を覚ました。


『起きたか』


 アンテが俺の顔を覗き込んでくる。俺は普段の枕とは違う、もっと柔らかく温かな感触に気づいた。


 お前、ずっと膝枕してたのかよ。


『おかげでよく眠れたじゃろ?』


 いたずらっぽく笑う魔神。……いや、まあ、うん。ありがとよ。



 ぐっすり寝たら、だいぶんリフレッシュできた。



 やはり人間、休息は大事だな……俺は人間じゃないけど。太陽の高さ的に昼前だろうか。魔族的には真夜中だ。


 部屋を出ると、ドアの横に白い毛の頭があった。


「うぅん……むにゃむにゃ……」


 小さな椅子に腰掛けた白虎族のメイド――ガルーニャが、うつらうつらしている。近くにいた別の小悪魔の使用人が肩をすくめていた。


 あー、こいつ俺のために待機してたのか……


「おーい」

「……はいぃ!」


 甲高い声とともに跳び上がるガルーニャ。


「あっ、ご主人さま! おはようございます! あっ、いえ、決して寝てたわけではないんですが!」

「別にいいよ寝てても」


 俺だって爆睡してたし……魔王城の住人にとって今は真夜中だしな。


 使用人に軽く何かつまめるものと飲み物を頼んで、目覚めの食事とする。……久々だ、"昼食"は。この頃はすっかり魔族の時間帯で生きてたもんなぁ。


 魔族の目に、おひさまは眩しすぎる。だけど俺は決して嫌いじゃない。秋の温かな日差しは良いもんだ。たとえ生まれ変わっても、種族が変わっても。


 そういやアンテ、魔王城を見て回りたいって言ってたよな。


「ご主人さま、お出かけですか?」

「軽く散歩でもと思ってな」

「お供します!」


 というわけで、アンテとガルーニャを連れて昼間の魔王城を歩くことにした。




 幼い頃から幾度となく探検してきた魔王城だが、真っ昼間に出歩くのは初めてかもしれない。


「ふむ。なかなか味のある造りよの」


 ぺちぺちと大理石の壁を叩きながらアンテ。


 魔王城の外縁部は、アーチ状の巨大な採光窓が連続する、開放感のある造りになっている。


 細かな装飾なんてのは入ってないが、そのぶん豪快で壮大な――どこか古代の遺跡を思わせる造形だ。真っ白な大理石が使われていることも相まって、とても闇の輩の根城とは思えない。


 黒曜石の城とかの方がイメージ的にはお似合いなんだけどな、白い石材の方が夜闇には映えるからな……


「もともとはドラゴンの棲家の山だったそうだ。それを初代魔王と、石の加工を得意とするコルヴト族がくり抜いたとか」


 人族の文化圏ではお目にかかれない、魔力でゴリ押しの建築。ともすれば城の巨大さに比して、柱やアーチは細く頼りなく見えるが、コルヴト族の魔法が込められているため強度的には問題ないとか。


「そして地下にはドラゴンの孵卵場、と。えげつないのぅ」

「全くだ。いつ反旗を翻されてもおかしくない」


 人気が少ないことをいいことに、際どい会話をする俺とアンテ。最初はニコニコしながらついてきたガルーニャも、顔をひきつらせていた。


 昼間の魔王城は、本当に静かだな。


 ところどころに眠そうな近衛の警備兵がいる他は、魔族の姿はない。ナイトエルフも寝てるみたいだ。廊下を行き来しているのは、獣人の使用人や悪魔ばかり。


「悪魔って太陽は平気なんだよな」


 魔王国ではすっかり『闇の一味』みたいな顔してるが、悪魔たちは日光を浴びてもノーダメージだ。まあ、魔族は眩しいだけだし、ナイトエルフは肌が弱いだけだし、ダメージを受けるのはそれこそアンデッドくらいのもんだが……


が我らに何をできると言うんじゃ」


 空を見上げながら、アンテが呆れたように言う。


「それにお主だって、魔界の太陽は平気じゃったろ」


 黒々とした光を放つ、異界の天体を思い出す。


「……たしかにアレに比べたらこっちの太陽なんて可愛いもんだ」


 可愛いというか、素直というか。洗濯物の山を抱えた獣人の使用人たちが、俺たちに畏まりながら通り過ぎていく。


 闇の軍勢とか言いながら、洗濯物は昼間に干さないと乾かない。そしておひさまの光で乾いた服に袖を通して、ナイトエルフたちは太陽が憎いだなんて抜かすんだぜ。とんだお笑い草だ。


「さて、アンテ。外縁部は一周したが、何か見たいものでもあるか?」

「といっても、何があるかも知らんしのぅ……なんぞ、魔王城の心臓部みたいなものは見れんのか?」


 まるでいたずらっ子のような顔でアンテ。何をするつもりだよ。見せれるものなら見せてやりたいが……


「宮殿はまだ入れないし、中心部はアンデッドたちの領域だしなぁ」


 魔王の宮殿――風通しのいい城の最上部。侵略した国々の宝物が集められた、おそらく魔王国で最も豪華な邸宅だ。強襲作戦では事前情報の不足もあって、うまく降下できなかったのを思い出す。


 強襲部隊が全員、直接宮殿に乗り込めていたら、話は違ったのかなぁ……。


 そして城、というか山の中心部は、空気が悪く湿気も酷いので、あまり生者が寄り付かない空間になっていた。


「空気が淀んでるところで火を使うと、毒になるからな。湿気も暗闇も気にしないアンデッドたちの根城だよ」

「お主らは照明の魔法も使えんしのぅ。定命の者には居づらいか」


 でもって、地下洞窟は孵卵場で、色んな意味で気が立ってるドラゴンしかいない。


「……中庭にでも行くか」


 結局、無難なチョイスとなった。



 こうして歩いていると、数年前の自分は視野が狭かったと感じる。



 宮殿に入り込めるわけでもなし、探検と称して城の外縁部を見て回った程度で、何になるというのか。


 たぶん最初から素直に、魔王軍の報告書や資料でも読んで、情報収集に努めていた方がためになっただろう。


 あのとき、俺は魔王を倒すことしか頭になかった。そして脳みそまで筋肉でできていたような当時の俺に、知恵を授けてくれたのが教育係の悪魔だ。


 皮肉としか言いようがない。


「ここが中庭だ。宮殿を除けば、魔王城で一番日当たりがいい場所でもある」


 色とりどりの草花が、雑多に咲き乱れる空間。とにかく土地を最大限に活用して、植えられるだけ植えた! って感じの庭だ。


「そして、薬草園も兼ねている」

「どう見ても実用性重視じゃな。華やかさとは程遠い」

「違いない。あ、そこのは毒草だから気をつけろよ。お前に毒が効けばの話だが」

「安心せい、薬にもならんわ」


 意外と草花にも興味があるのか、アンテはしげしげと観察している。


「お、これは自白剤の材料じゃな。こっちは麻痺毒か。懐かしいのー」


 何がどう懐かしいんだ。ちなみにこの庭を管理してるのは、ナイトエルフたちだ。


 魔族が毒を使えば惰弱のそしりは免れないし、薬の類にもあまり興味がない。病気になったらレイジュ族が治すし。


「こっちは麻薬、こっちは鎮痛剤。おお、これはアカバネ草か。煎じれば強力な脱毛剤になる。狭い割に何でもあるのぅ」


 楽しそうで何より。なんだろう、無性に懐かしさを覚える。なんでだっけ……


 中庭のベンチに腰掛ける。寝て起きたばかりだというのに、ひだまりにいるとポカポカして眠たくなってくるな。


「……ご主人さまは、日光は平気なんですか?」


 ガルーニャが遠慮がちに尋ねてきた。


「俺は嫌いじゃないよ。ちょっと眩しいけどな」


 ヘタに見上げたら目が潰れそうだけど。


「ガルーニャこそ、眠くはないか?」

「だいじょうぶです! もともと昼行性ですので!」


 ふんす、と答えるガルーニャだが……それって魔族に合わせて無理やり夜型生活してるってことじゃないか? 大丈夫か?


「故郷では、朝起きて夜は眠る生活を?」

「そうですね、農作業とかもありますし……側仕えになるまでは、魔王城でも、交代で夜型と朝型を切り替えてました」


 掃除や洗濯なんかは、魔族の皆様がお休みの昼間に終わらせてしまうんです、とガルーニャ。


「なるほどな……兵士の夜番みたいなものか」


 しかし、こうしてみると、獣人族の生態をほとんど知らないなぁ。今度ソフィアにオススメの本でも聞くか。


 一口に獣人って言っても、『何』の獣人かでぜんぜん違うし。そして人類に敵対的かどうかでも話が変わってくる。


 かつて人族に毛皮狙いで狩られていたという白虎族なんかは、完全に敵対的だ。魔王国でも良い立場とは言えないが、人族に狩られるよりはマシと思っているだろう。


 良くも悪くも、獣人たちは魔王国に組み込まれている。離反を狙うのは難しいかもしれない――



 ……などと、俺が考えていると。



 ベンチの反対側の回廊に、ふらりと人影が現れた。


 ローブを着込み、目深にフードをかぶった不審者スタイル。使用人でも、悪魔でもなさそうだ。どの種族だ? 血色の悪い肌はナイトエルフのようにも見えるが――


 日が差さないぎりぎりのところに立ったその人物は、おもむろに、日差しの中に手を突っ込んだ。蝋人形のような肌に、日光が降り注ぐ――


「あっ!」


 ガルーニャが悲鳴のような声を上げた。


 不審者の手が、炎に包まれたからだ。


「あー。やっぱりダメかぁ」


 中性的な、落胆をにじませる声。自分の手が燃えているというのに、全く慌てる素振りも見せない。


 やがて手は燃え尽きて、ざらぁっと灰に還っていった。


 あれは――あの燃え方は、幾度となく見たことがある。


 勇者時代に。


『臭うのぅ』


 いつの間にかそばに戻ってきていたアンテが、俺の肩に手を載せた。


『あやつの魔力――ひどく淀んでおる。腐った肉の臭いじゃ』


 日陰に引っ込んだ不審者が、片腕でやおらフードを取っ払った。


「やあ。驚かせてしまったかな」


 朗らかな声。貼り付けたような笑顔。ガラス玉をはめ込んだような灰色の瞳。


 間違いない。こいつは――


死霊王リッチか」


 アンデッドの親玉が、なんでこんなとこにいるんだよ。

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