18.悪魔的遭遇


 ――図書室。


 良く言えば質実剛健、悪く言えば全てが簡素な魔王城において、そこは最も文化的な空間と言えるかもしれない。


 といっても、蔵書は人族やエルフ族のものばかりだ。魔族が書いた本など数冊しか存在しない。司書などという専門職もいない。人族の国にはいたかもしれないが、少なくとも人材としては活用されていない。


 結果として、制圧した地域から手当たり次第にかき集められた本や巻物が、乱雑に本棚へ詰め込まれただけの無法地帯と化している。


 そんな混沌とした空間の片隅で、小さな椅子に腰掛けた少女が、貪るようにして本を読んでいた。


 その名も、ソフィアという。


 知識を司る中級悪魔だ。


 知識を得ると力が増大するソフィアにとって、読書は食事に等しかった。しかも、その"食欲"はほぼ無限大で、尽きることがない。


(最近は暇で暇で……ありがたいことです!!)


 ぱたん、と読み終わった本を閉じて元あった場所に戻し、舌なめずりしながら次の本を物色するソフィア。


 魔王の妻のひとり、プラティフィアと契約し、使役される立場にあるソフィアは、魔王子の教育から多種多様な書類仕事まで一手に引き受けている。


 ……いや、引き受けていた。


 しかし半年前、魔王子ジルバギアスが魔界入りしてから事情が変わった。


 あのクソガ――腕白な魔王子が、行方不明になってしまったのだ。


 教育係の役目は宙に浮いているし、プラティフィアはコスモロッジで健気に王子の帰還を待ち続けているし、ほとんど仕事がない。


 ソフィアは、そんな現状を大いに歓迎した。


 1日のほぼ全てを、読書や勉強に費やせるようになった。もともと仕事がしたくて現世に来たわけじゃない。全ては知識を得るため。それも新鮮な、高度な知性体によって生み出された情報――ソフィアにとってのごちそうにありつくためだ。


 魔界で得られる知識はほぼしゃぶり尽くしてしまったし、魔界に生える暗黒檀の木を数えるのには飽き飽きしていた。そもそも、そんな知識にはほとんど旨味がない。労働はポータルの通行料にすぎなかった。


 仕事の空き時間なら好きにしていいよ、という契約だったのだが、問題は、教育や書類の仕事がけっこうな手間で、空き時間があまりなかったことだ。……人族の法律書を読んで、「契約時に労働時間を定めなかった自分が悪い」という結論に達したソフィアは、粛々と業務に従事していたが。


(ジルバギアス様の教育はともかく、書類仕事ですよ! なぜ私が、あの腐れホブゴブリンどものミスをカバーしてやらねばならないのか!!)


 文章を味わいながらプンスカ憤慨するという器用な真似をするソフィア。


 魔王国の行政を担うのは、主にホブゴブリンとナイトエルフたちだ。最近は悪魔も参入しつつあるが、主要なポストはこの2種族に占められている。


 ホブゴブリン。


 初代魔王が力づくでゴブリンやオーガを支配する前に、いち早く膝をついて傘下に加わった連中だ。ゴブリンと名はついているものの、普通のゴブリンとはほぼ別種族。


 具体的には、人族と猿くらい違う。見た目は醜悪でも頭が良いのだ。特に金勘定には非常にうるさい。


 ――のだが、あくまで、と但し書きがつく。計算はあってても、そもそもの想定が間違っていたり、書き損じで勘違いが発生し、業務の連携がおかしなことになっていたり。割としょーもないミスが多い。


 良くも悪くも大雑把な魔王国では、多少のミスはスルーされたり、ミスを前提にして余裕のある計画が組まれたりしているものの、知識の悪魔として『間違い』を許せないソフィアには、ある意味地獄だった。


 渡された決済の書類が間違いだらけで目眩に襲われ、事務局に怒鳴り込んでは根本から修正していく。……実はソフィアがに手間取っているのは、そんな無駄が多いからでもあった。


 ミスをしたら、額に青筋を立てて怒鳴り込んでくる中級悪魔。


 ホブゴブリンの役人たちに、文字通り悪魔として恐れられているのは、本人の預かり知らぬことだ……。


(静かですねー)


 図書室には、ほとんど人影がない。


 時折、利用する魔族が何人かいるが――控えめに言って覇気も魔力もない、魔族の落ちこぼればかりだった。


 図書室は槍働きもできぬ惰弱者が、時間潰しをする場所。などと、大半の魔族には目されている。


 これじゃー大した文化が育つわけもない。ソフィアにとっては、収穫物を奪うだけ奪って、田畑を焼き払い農民も殺してしまうような蛮行に思えた。


 今は人族やエルフ族の本が大量にあるからいいが、将来的にはどうなるか。新たな本が、知識が生み出されなければ、また自分はつまらない計算や木を数えることしかできなくなってしまう。


 そんな危機感。


(もっと文化的な魔族が増えたらいいんですけどねー)


 そうして思い出すのは、教育を担当していた魔王子、ジルバギアスだ。


 魔族にしては珍しく――文学や芸術にも理解がある者だった。最初こそ勉強を拒否していたが、一度やり始めたら、割と素直に、そして乾いた大地が水を吸うように、知識を吸収していった。


 若くて頭が柔らかいせいか、単純に記憶力が良かったようだ。魔族文字は苦戦していたが、人族文字はあっという間にマスターし、試しにエルフ文字もやらせてみたらスラスラ覚えていったのには驚いた。


 知識の悪魔である自分と違って、定命の者は一度ものを見ただけでは覚えられないと知っていたから、なおさらだ。


 何より、その優秀さと、力への欲求を両立させているところが、他の魔族にはありえない美点だった。


 次はエルフ族の壮大な叙情詩を読ませようか。はたまた人族が編み出した測量技術でも学ばせるか。いやいや角が生えてきて魔法も扱うことになるだろうし、物質世界の規定たる物の理を説くのも悪くない――などと、ソフィアも教育計画を練っていたものだが。



 それも、今は埃を被っている。



(……性悪な悪魔にでも食われちゃったんですかねー)


 ふと、思う。


 魔神カニバルが結んだ協定により、悪魔たちは基本的に、魔族に友好的だ。しかし全てが全てではない。協定は尊重すべきものだが、契約と違って、遵守するものではないからだ。


 というか、どだい全ての悪魔を『管理』するのは不可能だ。そういった管理を出し抜いて力を得る者もいるし、枠組みを破壊することを業にしているような奴もいる。


 いくら強大な魔神でも、万能な存在ではない。彼らは支配者のように振る舞うが、支配者ではない。そもそも多くは自らの領域に引っ込んで出てこないし――つまり、魔界は、物騒な場所なのだ。



 ジルバギアスも。あの腕白で、しかし文化的な魔族も。



(魔王子の肩書が通じない場所では、ダメでしたか……)


 残念。と、自らの中に生まれた、感傷じみたものにソフィアは驚いた。


 最初は魔族のガキのお守りだなんて、面倒くさいだけだと思っていたのに……


(まーダメだったもんは仕方ありません。せめて苦しみの少ない最期だったことを祈りましょう)


 悪魔らしい割り切りで、読み終えた本を閉じ、次の本に手を伸ばすソフィアだったが――


「ソフィア様ー! ソフィア様ーっ!」


 図書室に甲高い声が響いた。


 思わず顔をしかめて見れば、プラティフィア配下の獣人のメイドが、大慌てて駆けつけるところだった。


「……なんです、騒々しい。図書室では静粛に」

「もっ、申し訳ございません! でも一大事なんです!」


 白虎族ゆえの真っ白でふかふかな耳をピコピコさせながら、メイドは、


「奥方様とジルバギアス様が! お戻りになられました!!」

「――なんですって!?!?」


 静粛にと言いながら、自分も素っ頓狂な声を上げてしまうソフィア。


 まさか無事だったとは、教育計画が、どんな悪魔と契約してきたんだ、などと思考が駆け巡る――


 と同時に、悟った。


 この長いが、ようやく終わりを告げたということを。




          †††




 コスモロッジを発ってから30分ほど。


 特にトラブルもなく、ジルバギアスたちは魔王城に到着した。


「わたしは魔王陛下にあなたの生還を報告してくるわ」


 居住区に戻るなり、ドレスに着替えたプラティはそう言って足早に去っていった。


 飛竜に乗りながらの僅かな仮眠で、見違えるように回復したプラティ。


 なんだろうな……その背中が、戦場に乗り込む戦士というか、敵対マフィアにカチコミをかけるヤクザもんというか、俺にはそんなふうに見えた。


『殺る気満々じゃのー』


 アンテも同じことを考えたのか、のほほんとつぶやいている。他の王子の母たちに散々煮え湯を飲まされたわけだからな。その恨みはらさでおくべきか……。


 そういえば、魔王城ではお前はどうするんだ? アンテ。


『どう、とは?』


 一応、お前って魔神じゃん。


 外を出歩いたら、顔見知りとかに遭遇して正体がバレたりしないか?


 コスモロッジでは、お前に気づいた悪魔はいなかったみたいだけど……


『それは心配あるまい』


 はっ、とアンテは自虐的な笑みをこぼした。


『言ったじゃろう? 我はあまりに強大であったため、もはや自力では身動きもままならぬ状態じゃった、と。我はながいながい間、宮殿から動けなんだ……そして魔神の居城にノコノコ顔を出すような物好きなぞ、片手で数えるほどしかおらんかった』


 つまり、


『顔見知りは同格の魔神か、オディゴスのような古参がほとんどじゃ。この魔王城には、そうそうおらんだろうよ。というかそんな連中が契約して現世に降りたのなら、それこそ噂好きの物好きが知らせてくるでな』


 ほーん、なら大丈夫か。


 格上すぎて新参者には顔も知られてないってことだな。


 道理でコスモロッジでも正体がバレずに済んだわけだ……


「ジルバギアス様ー! お戻りになられたとのことで!」


 と、俺の部屋のドアがバンッと開かれた。


 片眼鏡をかけた、小柄な悪魔の少女が顔を出す。


「よう、ソフィア。帰ったぞ」


 俺が声をかけると――ソフィアは固まっていた。


 ぱちぱちと目を瞬いて、片眼鏡を外し、ハンカチでフキフキしてからかけ直す。


「……え、なんか、大きくなってないですか……?」

「ああ。なんかポータルから出たら身体が成長してたんだよ」

「そんな!!」


 両手で頬を押さえて悲痛な声を上げるソフィア。


「せっかく頭が柔らかかったのに! 物覚えが悪くなっちゃう!!」

「久々の再会で言うことがそれかよ!!!」



 ――などとひと悶着あったものの、ソフィアには無事の生還を祝われた。



「体が大きくなってもお勉強はまだ続けますからね!!」

「ああ……うん……わかったよ……」

「それで、どうしてこんなに帰還が遅くなってしまったんです? 悪魔とは契約されたんですか?」

「そうだな。まあ色々あったが、かなり上位の奴と契約したよ」


 そうだ、アンテも紹介しとこう。


 こいつソフィアってんだ。俺の教育を担当していた中級悪魔。


『ほーう』


 あまり興味がなさそうなアンテだったが、俺の外に出てふわりと床に降り立った。


「紹介しよう。俺と契約した悪魔だ」

「苦しゅうないぞ。我は――」



 アンテの言葉を遮って、こひゅーっ、と引きつったような呼気の音が響く。



 ソフィアが、見たこともないような顔をしていた。


 両目を見開きすぎて、目玉が飛び出そうになっている。


「な、なぜ、なぜ、こんな……そんな……!!」


 そのままガクガクと震えて後ずさりしたソフィアは、ぺたんと尻餅をついた。


「なぜ……魔神が、こんなところに……!!」


 滝のように汗を流しながら。


「禁忌の魔神……アンテンデイクシス……!!」



 ――ふざけんなよ一発で顔バレしてんじゃねえか!!

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