第2話〈ぴょんだぴょん〉


「なんだか楽しそうな話をしてますねぇ」


空気を含んだ様な口調が廊下の奥から響いた。

長峡仁衛はその声のする方に顔を向ける。だが、其処には誰も居なかった。

ただ廊下の窓が開かれていて、其処から一陣の風が入り込んでいる。

がらり、と、窓を開く音と共に風が吹いた。

長峡仁衛は後ろを振り向く。其処には、月から降り立った兎が居た―――そう思わせる様な、小柄な少女が窓の縁に足を掛けて立っている。


「こんにちはー、お二人さん」


鼠色のパーカーから伸びる二つ結びの灰髪。

その瞳は赤く宝石の様に見えた。

彼女の姿を見て、長峡仁衛の記憶には該当しない人物だった。

それもそのはずだろう。

長峡仁衛が目覚めて彼女とは初めて出会う人物だったからだ。


「えっと……」


長峡仁衛が彼女の名前を聞こうとした時、それよりも早く、うんざりとした口調で駒啼涙が答えてくれる。


夜臼ゆうすさん。お帰りですか?玄関は下ですよ?」


そう言うと、彼女はあははと間の抜けた笑みを浮かべて土足で廊下に立つと、兎耳の付いたパーカーを外した。


「呼び方よそよそしいじゃんかー。ねぇ、ルイルイ」


「………先輩は、ご存じないかも知れないので、一応紹介させていただきます」


彼女の呼び方を無視して、駒啼涙は彼女の正式名称を口にする。


「彼女は夜臼……ぴょん、です」


「………ぴょん?」


「ぴょんぴょーん」


夜臼ぴょんと呼ばれた少女は両手を頭の天辺に向けて兎の耳の様な動作を行う。

なんとも珍しい名前である。長峡仁衛の中で珍しい名前があるとすれば、それは辰喰ロロと同じくらいの珍しい名前だった。


「それよりも、ぴょんさん。土足ですよ」


「んん、大丈夫。足は付いてないからさー、国民アニメのドラ猫を目指してんの。ぴょんちゃんは」


「はぁ……鬱陶しい……」


駒啼涙は夜臼ぴょんから視線を外してか細く呟いた。


「で、じーえーパイセンと何処か行くつもりだったの?」


「じーえー?」


「んー?あれ、呼び名浸透してない感じですかー?ずっとこの呼び方だったのにおかしーなー……」


首を傾げる夜臼ぴょん。

長峡仁衛は彼女に自分自身が記憶喪失であると告げると。


「えー……ショックだなー……じゃあ、私とお付き合いしてた時も覚えてないんですかー?」


「記憶喪失をしてる人にそう言うルールでもあるのか?」


長峡仁衛は隣に居た駒啼涙に向けて言う。

苦笑いを浮かべる長峡仁衛に、駒啼涙は眉を顰めていた。


「……彼女は例外ですよ」


「例外?」


長峡仁衛は疑問を浮かべた。

何故例外なのか……。


「ぴょんさんと貴方は……いえ、なんでもないです。それよりも先輩。今週、よろしくお願いします」


そう頭を下げて駒啼涙は夜臼ぴょんのパーカーの耳を掴んで引っ張った。


「じゃーねー、じーえーパイセーン」


そう言って手を振る夜臼ぴょん。

長峡仁衛は、彼女とどういう関係だったのか気になるが、一先ず駒啼涙との外出の方に集中しようと思った。

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