第13話

結果的に言えば、界守教師は強かった。

苦手な酒を煽り、その実力は半分も出て無いだろう。

目が見えぬ為に嗅覚と触覚頼りに動いた界守教師に長峡仁衛は攻撃を仕掛ける。

しかしその全ての攻撃は界守教師に触れる直前に回避されてしまい、まるで紙を相手にするかの様な逃避行を繰り広げる。

そして長峡仁衛の呼吸が乱れ、攻撃を仕掛けた寸前を狙って彼の体に触れて態勢を崩した。

それを何度も行われて、結局長峡仁衛のスタミナ切れで地面に転がる。


「はぁ……はっ……強い、先生」


流石は体術訓練を務める教師だろうか。

銀鏡小綿は長峡仁衛の方に駆け寄ってタオルで汗を拭く。

界守教師は少し吐きそうな表情を浮かべる。

激しく動いたつもりではないが、それでも胃の中が掻き回されて吐き出してしまいそうだった。

少し休憩をする事になった長峡仁衛。

その間に界守教師は立ったまま深呼吸を行う。

なんとか酒精を飛ばそうとしているらしい。

そんな中、グラウンドに向かって階段を下りる女性の姿があった。


「……あら、先客、かしら」


髪は短めで、猫の様に鋭い目をしている。

高めの身長と細い体。胸部臀部は女性としての大きな膨らみがある。

ジャージを着込んでいる女性だが、あまりの豊満さにジッパーが上まで上がっておらず、黒い運動シャツが見えていた。


「っ!」


その姿を視認すると同時に永犬丸詩游に緊張が走る。

長峡仁衛はそんな永犬丸詩游を見て、その女性とは何かしら顔見知りなのか、と思った。


「ん?永犬丸、あの人は?」


そう何気なく聞く長峡仁衛。

永犬丸詩游はゆっくりと小さな口を開いて答える。


「……九重花の姉御」


九重花。

その名前を聞いて、長峡仁衛は首を傾げる。


「九重花?」


やはり、と言うべきだろう。

記憶喪失の彼にはそんな名前を聞いても分かる筈がなかった。


「五家の一角だよ。木を司る名家。………あの人は、ヤバイ」


永犬丸詩游は冷や汗を流して生唾を飲み込む。

あまりの緊迫感に長峡仁衛も緊張が走り出した。


「やばい……それって……」


その意味は……恐慌と言う意味か。

ならば、どれ程恐ろしい存在なのか。

九重花が長峡仁衛の傍を通り過ぎる。

すれ違う瞬間に、九重花は長峡仁衛に向けてウインクをした。

そして、長峡仁衛の代わりに、九重花が界守教師の前に立った。


「失礼、私も稽古、参加させて貰うわ」


界守教師は顔を真っ赤にさせていたが。

九重花の姿を見ると落ち着いた口調で告げる。


「っく……ふぅ、おい、九重花……お前は、止めた方が良い」


迫真な声色だ。

明らかに波乱が巻き起こるだろう。

その意思表示にも聞こえた。

しかし九重花はどうなるか分かって居ながらも、クスリと笑みを浮かべる。


「何故かしら?」


一度界守教師は、脅す様に強く握り拳を作る。


「俺は、加減が出来ねぇんだよ」


真剣な声だ。

これから何が起こるのか、長峡仁衛は固唾を呑む。


「ふふ、酔っぱらっている先生なら、私でも倒せるわ」


そう言って九重花は手に握る物干し竿の様な木の棒を軽く振り回した。


(なんだ、この自信は……どれ程の実力を……)


「はぁ……一応、式神は出しておくかんな」


「はい、母は救護の先生を呼んできます」


そう言って永犬丸詩游は術式で背狼を出現させる。

銀鏡小綿は踵を返して、保健室へと向かい出した。

長峡仁衛はあの二人が此処まで行動を起こすと言う事は……。

それほど、恐ろしい展開が待ち受けている、そう思った。


「っ……永犬丸。九重花先輩って、それ程に強いのか?」


たまらず近くに居る永犬丸詩游にそう伺う。

冷や汗を流す永犬丸詩游は長峡仁衛に目を向ける事無く、始まる二人の闘争を見守る。


「逆だ」


「え?」


何が……そう聞こうとした瞬間。

永犬丸詩游の式神である背狼が大きく動き出した。


「ふぐっ!!」


そして間の抜けた声。

軽く体が宙を浮いて、受け身も取れずに地面に落ちそうな所に背狼が彼女の体を体毛で受け止めた。


「……言わんこっちゃねぇな」


界守教師は溜息を吐くと同時に構えを解く。

吹き飛ばされていたのは……九重花だった。


「ひっくり返った……」


そう困惑する長峡仁衛。

あれ程の強者の風格を保っていた九重花が、一撃で倒されていた。

永犬丸詩游が小さく息を吐く。


「姉御は……ヤバイ程に弱いんだよ」


その言葉に長峡仁衛は困惑した。


「え、……えぇ?」


やばいってそう言う意味?

強いとかじゃなくて、弱すぎてヤバイ、と?

長峡仁衛はそう思った。

ずずず、と。

九重花は背狼のお腹を擦りながらゆっくりと立ち上がる。


「ふふ、やるわね先生、けど。本気は此処からよ」


「ずっと本気だろお前」


界守教師がそう突っ込んだ。

そして九重花は構えすらない走りで木の棒を振りかざす。


「へやぁ!」


「よいしょっと」


へっぴり腰の振り翳しは目の見えない界守教師でも、記憶喪失の長峡仁衛ですら簡単に回避できるものだ。

体を横にズラして攻撃を回避する界守教師は木の棒を握って回転力を加える。

そして力の籠ってない九重花の足に蹴りを入れると感嘆にひっくり返った。

ぐわん、と。二メートル程宙を浮く九重花、そのまま地面に向けて落ちていく。


「きゃあ」


「背狼、姉御のフォローッ!」


そう叫んで、背狼が九重花の体を体で受け止める。

無傷で済んだ九重花は、背狼の背中に乗った状態で体毛に顔を埋める。


「っ、あら、モフモフねこれ」


「あんな強そうな、余裕そうな感じだったのに……弱いの?」


驚きしかなかった。

永犬丸詩游は長峡仁衛の言葉に頷く。


「弱い。多分強化されてない小学生でも負ける」


「そんなにっ!?」


「前に女子小学生に囲まれて泣かされてた」


駄菓子屋でお菓子を買った際に小学生に目を付けられてカツアゲされていた。

泣きながら有名ブランドの財布から札束を取り出す九重花の姿は見てて痛々しく映ったと聞く。

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