第2452話

 鳥や動物を追い払ってしまったことに気が付いたセトは、当然の話だが残念そうにしていた。

 セトにしてみれば、遊んでくれる相手がいるというのは嬉しいのだ。

 そんな中で、眠っている間は自分の側にいたのに、起きた瞬間に逃げ出されるといったようなことをされて、ショックを受けるのは当然だった。

 とはいえ、自分が多くの者に恐れられているというのは、セトも理解している。

 その為、最初は残念そうにしていたものの、短時間で持ち直すことに成功する。


「グルルゥ」


 そして今は、レイ、エレーナ、アーラの三人を背中に乗せて、嬉しそうにトレントの森の中を歩いていた。

 セトにしてみれば、いつの間にか集まっていた鳥や動物が逃げたのは残念だったが、それでも近付いてきたということは、将来的には一緒に遊べるかもしれないと、そのように思ったのだろう。

 ……正確には、そうレイに諭されたというのが正しいのだが。


「レイ、それでこれからどうするのだ? ギルムに戻るのか?」

「ああ、そうする予定だ。ただし、途中で樵達の伐採した木を収納していくけどな」

「……しみじみと、レイ殿の持っているミスティリングは便利ですよね」


 レイの言葉に、エレーナの後ろにいるアーラがしみじみといった様子で告げる。

 実際にはアイテムボックスの簡易版とでも呼ぶべきマジックアイテムは広まっている。

 実際。エレーナもそれを持っているのだから。

 だが……簡易版は所詮簡易版だ。

 収納出来る量も非常に限られているし、収納された物はミスティリングと違って時間が流れる。

 つまり、お湯を入れておいて数時間後に取り出せば、それは水になっているのだ。

 勿論、それだけであっても普通に使いやすいマジックアイテムではある。あるのだが……エレーナやアーラはレイの持つミスティリングの反則的な性能を知っている。

 そうである以上、そちらを比べてしまうのは当然のことだった。


「まあ、それは否定しない。俺の強さの土台だしな」


 レイのその言葉は、決して嘘ではない。

 レイが戦闘で使う武器は、デスサイズや黄昏の槍のような長柄の武器だ。

 もしミスティリングがなければ、それを持ち歩く必要がある。

 それ以外にも、レイが投擲で使う半ば壊れているような槍や、それ以外にも多種多様なマジックアイテム。それにセトの食料となる大量の肉。

 もしミスティリングがなければ、レイはそれらを自分で持ち歩かなければならない。

 ……普通の冒険者にとっては、それが当然のことなのだが。

 勿論、現地調達出来る物は持っていかないとか、他にも不必要な物は持たずに出来るだけ荷物を少なくするとか、そういった取捨選択はしてるのだが。

 レイの快適な生活の基本となっているのは、間違いなくミスティリングだった。

 もしミスティリングがなければ、レイは依頼で今までとは比べものにならないくらい、質素な生活をする必要が出て来るだろう。


(うん、しみじみとミスティリングを用意してくれたゼパイル達に感謝だな)


 そんな風に思いつつ、エレーナやアーラ、それとセトとも会話をしながら進んでいると……


「グルゥ」


 不意に困ったようにセトが鳴き声を上げる。

 セトがそのような鳴き声を発するのは珍しいので、レイは疑問に思ってセトの首を撫でる。


「どうした?」

「グルゥ? ……グルルルゥ」


 レイの言葉に、鳴きながら周囲を見るセト。

 最初はセトが何を言いたいのかレイにも分からなかったが、それでも少しすると理解出来た。


「まさか……迷子になったのか?」

「グルルゥ」


 レイの言葉に、悲しそうに鳴き声を上げるセト。

 それを見れば、セトが何を思っているのかはレイにも理解出来た。

 どうやら、本当にセトがトレントの森で迷子になってしまったのだろうと。


(けど、何でだ? セトがトレントの森で迷子になることなんて……まぁ、絶対にないとは言わないけど)


 微妙に方向音痴気味なセトだけに、もしかしたらこのような場所で迷ってしまっても不思議ではない。

 しかし、セトはトレントの森に何度も来ている。

 そんな場所で迷子になるとは考えられない。


「取りあえず迷子になってしまったのなら、しょうがない。エレーナとアーラには降りて貰って、空を飛んで上空から出ることが出来る方向を探した方がいいな」

「グルゥ!」


 自分の知ってる場所で迷子になったのが残念だったのが、セトはレイの意見に任せて! と鳴き声を上げる。

 エレーナとアーラの二人が降りたところで、セトはレイと共に数歩の助走で翼を羽ばたかせて空に駆け上がろうとし……


『きゃあっ!』


 不意にそんな何人もの悲鳴が周囲に響き、同時にガラスが割れるかのような、パリンッという音が周囲に響く。

 そして次の瞬間、セトは困ったように空を飛びながら自分の背中に乗っているレイに視線を向けてくる。

 そんなセトが何を言いたいのか……そして何が起きたのかは、レイにもすぐに分かった。

 本来なら迷う筈のない――とはセトの場合は言いきれないが――トレントの森で迷子になったこと。

 そしてセトが空を飛んだ瞬間に周囲に響き渡ったガラスの割れるような音とどこからともなく聞こえてきた何人かの悲鳴。

 何よりも、今のトレントの森の状況を考えれば……


「妖精、か」

「グルルルルゥ」


 レイの言葉に同意するように、セトが鳴き声を発する。

 セトもやはり先程までの状況はどこかおかしいと、そう思っていたのだろう。


(ったく、ニールセンは何を考えている? いや、俺達にちょっかいを出さないようにとか、そういうことは言ってなかったとか、そういう落ちか?)


 これが普通の人間なら、そんなことはないだろうと思ってもおかしくはないのだが、ニールセンは妖精だ。

 それこそ、レイにとっては予想外のことであっても、妖精にしてみれば特に問題のないことだという認識であってもおかしくはないのだ。

 勿論、だからといってそれが許されるかと言われれば、その答えは否なのだが。

 少なくても、レイは明日にでもニールセンに遭遇したら相応の処置をしようと、そう決める。


「セト、取りあえず地上に戻ろう。また妖精が妙なちょっかいを出してくるよりも前に、この場所を離れた方がいい」

「グルゥ? ……グルルゥ!」


 レイの言葉にセトは分かったと鳴き声を上げると、地上に向かって降下していく。

 途中で妖精が姿を現したが、レイとセトの様子に何かを感じたのか、それ以上ちょっかいを出してくることはなかった


「エレーナ、アーラ、事情は分かるな?」

「うむ。結界が破れる音はこちらにも聞こえてたからな」

「そんな訳で、今回の一件は妖精の仕業だったらしい。……何を思ってこっちに仕掛けてきたのかは、ちょっと分からないが」


 今の状況に戸惑っているという点では、レイもまた同様だった。

 いや、ニールセンに直接約束させた分、余計に疑問を抱いている。


(まぁ、妖精の性格を考えれば、こういうことになってもおかしくはないのかもしれないけど)


 レイは上を……正確には近くに生えていた木の中でも上の方の枝を見るが、そんなレイの視線を感じたかのように、枝が微かに揺れる。

 風の可能性もあったが……恐らくは妖精が隠れていたのだろうと、そう思う。

 本当にそうだったのかどうかは、レイにも分からなかったが。


「取りあえず、ここを脱出させないように張られていた結界は破った。後は心配しなくても脱出出来る筈だ」

「では、行くか。そろそろ夕方も近い。ギルムに入ろうとする者で混むだろうし」


 エレーナの言う通り、夜になる前にギルムに入ろうとする者は多い。

 仕事を終えて、酒場で騒ぐなり娼館に向かうなりと明日に向けての英気を養う為に。

 それでもレイが多少楽なのは、今の状況ではギルドに行く必要がないことだろう。

 ギルドで依頼を受けている訳ではない以上、街の中に入れば後は特に並んだりといったようなことをしなくてもいい。

 ……それでも今のギルムは、増築工事の仕事を求めて多くの者がやって来てるので、以前よりも間違いなく人が増えているのだが。


「おーい、レイ! ちょっといいか!?」


 トレントの森の中を歩いていると、不意にそんな声が聞こえてくる。

 一瞬、また妖精の悪戯か何かではないかと警戒したレイだったが、木々の隙間から声を掛けてきたのが樵達だと知ると安堵すると共に、何となく声を掛けてきた理由に納得してしまう。

 レイ達が妖精の悪戯で張られた結界を破壊して、すぐにこうして姿を現したのだ。

 そうなると、間違いなくそちらの関係だろうと。


(もしかして、あの結界に捕まったのが俺達以外にもいたのか? ……まぁ、そこまで長い時間じゃなかっただろうけど)


 レイ達が地下空間に行く前には、あのような結界は存在しなかったのだ。

 であれば、その結果が張られたのは当然レイ達が地下空間にいた間だろう。

 そして地下空間から出たレイ達がこうして結界を壊したというのを考えれば、やはり結界が存在した時間は少ない筈だった。


「迷子になった連中でもいるのか?」

「そうなんだよ! 三人が急にいなくなったんだ。知らないか?」


 予想通りの言葉に、レイは問題ないと告げる。


「魔法的な結界が張られていたらしいが、それは壊したからすぐに見つかる筈だ!」

「はぁ? 魔法的な結界って……一体、誰がそんなことをしたんだよ」


 レイ達の方にやって来ながら、樵が不満そうに告げる。

 妖精。

 そう言いたくなったレイだったが、妖精の件は可能な限り秘密にするように言われている。

 そうである以上、樵達に話していい情報ではない。

 ……もしここで妖精が出て来たといったようなことを話せば、それこそ今夜にでも酒場や娼館で面白おかしく話される可能性が高かった。

 だからこそ、レイは目の前の樵達に対して首を横に振る。


「悪いけど、その辺は俺にもちょっと分からないな。ただ、最近はトレントの森の中で悪戯をする奴がいるらしいから、気をつけた方がいい」


 本来なら、結界を張るというのは悪戯云々で出来るようなことではない。

 だが……幸いここにいるのは樵だけで、冒険者はどこにもいなかった。

 そのおかげで、その辺の事情を知られることがないのは幸いだったのだろう。

 もっとも、樵が行方不明になっているのだ。

 当然、冒険者達も行方不明になった三人の樵を捜している筈で、ここにいる樵から事情を聞けばおかしいと思うかもしれなかったが。


(とはいえ、ここに回される冒険者は有能でギルドから信頼されている連中だ。あからさまに危険だと思われる内容に突っ込んでくるかどうかは……正直、微妙なところだろうが)


 レイとしては、そこで突っ込んでくるようなことがあれば、話を誤魔化して関わらせないようにするか、それでも納得しないようならダスカーを通じて上から圧力を掛けて貰う必要がある。

 あるいは、いっそ妖精の一件に引き込むという手段もありかもしれなかったが。


「ふーん。そういうものか。分かった。なら、とにかく俺達は迷子になってる三人を捜すよ。レイ達はどうするんだ? その……俺達に付き合う必要もないし」


 どこか遠慮気味に言ったのは、レイの近くにエレーナとアーラ……より正確にはエレーナの姿があったからだろう。

 樵達が普通に暮らしていれば、一生に一度見ることが出来るかどうかといった美貌の持ち主。

 実際にはマリーナとヴィヘラという、エレーナと同等の美貌の持ち主が他にも二人いるのだが。

 ともあれ、そんなエレーナを前にして緊張するなという方が無理な話だ。

 それこそ慣れるしかないのだが、一度や二度会った程度ではどうしようもない。


「そうだな。悪いけどさっさとギルムに戻らせて貰うよ。お前達が伐採した木も持っていく必要があるだろうし」

「ああ、分かった。じゃあ頼む」


 レイに言葉にそう返した樵は、どこか安堵した様子を見せる。

 樵達も男である以上、美人が嫌いという訳ではないのだろうが……それでもエレーナと一緒に行動するというのは緊張してろくに動けないと判断したのだろう。

 そうしてレイ達は樵と別れ、トレントの森を進む。


「むぅ」


 そんな中、セトの背に乗ったエレーナがそんな声を漏らす。

 エレーナにしてみれば、樵達の態度があまり好ましいものではなかったのだろう。

 それでも何も言わないのは、そのような態度を取られることに慣れているからか。

 エレーナ程の美貌を持っているのなら、そのような対応を取られることも多いだろう。


(これで、自分の美貌に酔うようなことがあれば、自分の美貌は罪だとか、そんな風にも思えるんだろうけど……エレーナの場合、そういうことはないだろうしな)


 そんな風に考えながら、レイはセトに乗って伐採された木を収納するべく移動するのだった。

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