第2438話
トレントの森を進むレイ達一行。
だが、未だに妖精の姿は見えない。
木々から生えている枝によってかなり日差しが遮られ、太陽が現在どの位置にあるのかは分からないが……それでも、レイは空腹度合いからそろそろ昼に近いのではないかと、そう思う。
「そろそろ腹も減ってきたし、昼食にしないか? このままずっとトレントの森の中を歩いていても、妖精はそう簡単に出て来るようなことはないだろうし」
「ふむ。私はレイの言葉に賛成だ。アーラはどうだ?」
「エレーナ様の仰る通りに。私も少し空腹ですし」
エレーナとアーラもレイの言葉に否はなく、少し進んだ場所にあった木々の間が広くなっている場所で、昼食とする。
「それで、昼食は何にする?」
「エレーナが何を食べたいかだな。……何か食べたいのはあるか?」
「では、焼きうどんで」
「珍しいな」
マリーナの家で暮らしており、食事をレイ達と一緒に食べることも多いエレーナだったから、当然のように焼きうどんについても知っていた。
それでもエレーナのような……それこそ豪奢な美女と評すべき存在が焼きうどんという庶民の食べ物を食べるというのは、レイにとっては未だにどこか違和感がある。
とはいえ、エレーナも普通に生きているのだから、様々な料理を食べるのだが。
実際にマリーナの家で食べる料理は、貴族らしい豪華な料理だけという訳ではない。
レイが買ってきたりマリーナが作る料理は、庶民的な料理も多い。
……そもそも、エレーナはケレベル公爵家の令嬢であると同時に姫将軍として戦場を駆ける者でもある。
戦場で出される料理など、それこそ貴族が食べるような食事ではない。
いや、貴族派の貴族の中には戦場であっても料理人を連れていき、食事も自分に相応しい料理をと考える者がいるのは事実だ。
しかし、エレーナがそのようなことをする筈がない。
「それで、何で急に焼きうどん? いや、俺は美味いからいいんだけど」
そう言いながら、レイはミスティリングの中から焼きうどんを人数分――セトの分は五人前――取り出し、フォークと共に渡す。
この焼きうどんは、以前レイが食べて絶品だった焼きうどんだ。
調理方法からして、かなり手間が掛かっている代物。
最初にじっくりと茹でて水で洗ったうどんを鉄板の上で焼くことで、余分な水分を飛ばすと同時に焦げ目を付けてソースと麺が絡みやすくなっている、そんな焼きうどん。
他にも焼いた麺を解す時に酒を使って蒸し焼きにしたり、ソースを絡める時は肉や野菜ではなく麺だけにソースを掛けてから肉や野菜と一緒に炒めるとか、細かな仕事が行われており、その結果として出来上がりに大きく影響し、焼きうどんとしては他の追随を許さない程の味に仕上がっている。
「焼きうどんは、この食欲を刺激する香りが特徴だろう?」
「まぁ、それは」
ソースが鉄板の上で焦げる匂いは、これ以上ない程に食欲を刺激する。
……実際にはソースはソースでも日本で焼きうどんや……もっと具体的には焼きそばで使われているようなソースではない以上、微妙にレイの記憶にある夏祭りや縁日で嗅ぎ慣れた匂いといは違うのだが、それでも食欲を刺激する匂いなのは間違いない。
また、本来ならレイは焼きそばはともかく、焼きうどんは醤油派なので、この焼きうどんにも若干違和感があるのは間違いない。間違いないのだが。それでも十分に美味いのもまた間違いのない事実だった。
「この香りは食欲を刺激する。そうなれば、動物やモンスターは勿論……上手く行けば、妖精も興味を持って近付いてくるかもしれない」
「なるほど。……ん? でも、妖精って何かを食べたりするのか? いやまぁ、生き物である以上は何かを食べたりしてもおかしくはないと思うけど」
レイの知っている妖精達が、何かを食べているという光景は予想出来ない。
木の実を食べてると言われれば納得出来るし、朝露を飲んでいると言われても納得出来る。
だが……それはあくまでも以前までのイメージであって、セレムース平原で遭遇した妖精達のことを考えると、どうしても納得出来ない面があるのだ。
だからこそ、焼きうどんの香りに引き寄せられて妖精がやってくるかもしれないと言われても、レイは否定出来なかったのだが。
それに目の前に既に焼きうどんを出しており、その食欲を刺激する香りを漂わせる料理が目の前にある以上、レイもまた空腹を我慢することは出来ない。
「取りあえず、食べるか。……腹が減ってて妖精の悪戯に対処出来なかったなんてことになったら、それこそ洒落にならないし」
そう告げ、レイはパスタのようにフォークで焼きうどんを巻き取り、口の中に運ぶ。
うどんのもちもちとした食感と、焼き目が香ばしい。
葉野菜の歯触りのいい食感や、肉のしっかりとした味。
誰に文句を言うでもなく、間違いなく焼きうどんとしては一級品だった。
(鰹節と青海苔とかがあれば、もっと美味くなるんだけどな。……ここで俺がそんなことを考えても仕方がないか。海に行けば、鰹節そのものではなくても、似たような食材がある可能性はあるけど)
鰹節をどうやって作るのか、それを知っていればレイもそれを広めることが出来ただろう。
だが、生憎とレイは鰹節の作り方は全く知らない。
日本にいた時、TVで茹でている……もしくは蒸しているのを見たが、それだけだ。
茹でてそれを風通しのいい場所に干せばいいのか。
そう思ったものの、それだけで鰹節が作れるとは到底思えない。
腐ってしまうのが精々だろう。
だからこそ、今の状況ではどうしようもないとレイは理解していた。
(あ、でも焼き節ってのも何かで見たな。焼き節って事は、焼けば出来るのか? ……いや、それだとただの焼き魚になるだけのような気が……)
そんな疑問を抱きながら、レイは焼きうどんを食べる。
周囲に漂う香ばしい香り。
うどんと肉、野菜……それらの味を楽しみつつ、レイは周囲の様子を確認する。
トレントの森のどこかに、焼きうどんの香りに近付いてくる妖精がいるのではないか。
そんな思いを抱いてのことだ。
「いますか?」
「いないな」
アーラの言葉に、レイは残念そうに告げる。
「グルゥ……」
レイの言葉に同意するように、セトも喉を鳴らす。
レイだけではなく、当然セトも焼きうどんを食べながら妖精の姿を探していたのだが、見つけることが出来ないらしい。
「妖精はアナスタシアと同じように好奇心が旺盛だからな。嗅ぎ慣れない……そして食欲を刺激する匂いが漂っていれば、それを目当てにやって来てもいいんだが」
青海苔ってどうやって作るんだったか。
そう思いながら呟くレイだったが、もしアナスタシアがこの場にいれば、一体どう思ったことか。
アナスタシアも、自分が強い好奇心を持っている……いや、好奇心によって動いているというのは、十分に理解している。
だがそれでも、アナスタシアにしてみれば自分が抱いている好奇心は決して妖精と同じようなものではないと、そう主張してもおかしくはなかった。
「妖精が来るかと思ったのだが……来ないのであれば、食事は手早く終わらせてまた妖精を探そう」
本来なら食休みをしてもいいのだが、妖精を探すといっても特に手掛かりらしいものがない現状では、セトの背に乗ってトレントの森を歩き回るだけだ。
セトの背の上で特に何をするでもなく周囲を見回しているだけである以上、食休みは必要ないとエレーナは判断したのだろう。
実際、レイもそんなエレーナの意見に反対ではない。
特に急いでやるべきことがある訳でもない――妖精を探すのは急務なのだが――以上、特に食休みらしい食休みをしなくても特に問題はないと思えた。
「とはいえ、ちょっと予想が外れたな。エレーナが最初考えた通り、焼きうどんの匂いには絶対に惹かれると思ってたんだけど」
「そうだな。私もそれは否定しない。……だからこそ、提案したのだし」
エレーナにとっても、焼きうどんの香りというのは非常に魅力的だ。
……少なくても、エレーナが嫌うような貴族同士のパーティで出て来るような料理ではない。
「……妖精は来なかったみたいだけど、狼は来たみたいだな。それもダーラウルフのようなモンスターと違って、普通の狼が」
近付いてくる気配と、何よりも木々の間から見えるその姿からレイが残念そうに呟く。
「セトがいるのに、普通の狼が来るのか?」
驚くエレーナだったが、レイもその言葉には同意したくなる。
本来であれば、普通の動物やモンスターであればセトという自分とは圧倒的に格の違う相手を前に、自分から近付いてくることはない。
それどころか、セトがいると知ればさっさと逃げ出すだろう。
中にはゴブリンのように相手の格を察知出来ないような存在もいるが、レイの知る限り狼は動物だろうがモンスターだろうが普通に逃げる。
ダーラウルフの時のように、隠れている場所に向かってレイが攻撃をした結果、逆上して襲い掛かってくるといったことはあるが。
(あ、でもダーラウルフか。もしかして、あの狼はダーラウルフと何か関係があったりしないよな? それでダーラウルフが死んだから、復讐とかで俺達に襲い掛かろうとしているとか)
そんな疑問を抱くが、見えてきた狼達を見ると、恐らくダーラウルフと何か関係があるというのは間違いだと理解する。
何故なら、近付いてくる狼の群れは遠くから見ても痩せ細っているように見えた為だ。
骨と皮という表現が相応しいような、そんな狼の群れ。
そこまで空腹な状態で、焼きうどんの食欲を刺激する香りを嗅いでしまえば、異世界でレイが戦ったドラゴニアスのように飢えに支配されて襲ってきてもおかしな話ではない。
(まぁ、ダーラウルフが自分だけ餌を食べて、手下の狼達には全く何も餌を与えてなかったって可能性も否定は出来ないが)
ともあれ、狼の群れが自分達に近付いてきている……それも襲撃する目的で近づいてきてるのは間違いない。
「どうする?」
エレーナは痩せ細った狼の姿を見て、少し戸惑ったようにレイに尋ねる。
敵が襲い掛かってくれば、戦士である以上は当然エレーナも戦う。
それはアーラも同じだ。
だが……この場合問題なのは、レイ達が戦わなくても狼はそう遠くないうちに死んでしまうのではないかと思える程に弱り、痩せ細っていることだ。
そんな状態で襲ってくる狼を殺すのは……レイとしては、あまりいい気分がしないのも事実。
勿論、飢えに支配されて襲い掛かってくる相手が厄介だというのは、それこそドラゴニアスとの戦いで十分に理解している。
しかし、それを承知の上でも、視線の先に存在する狼がレイ達の脅威となるとは思えない。
これがダーラウルフのようにモンスターであれば、魔石や素材を目当てに戦いもしただろうが、相手はただの狼だ。
それも痩せ細っており、その毛皮の価値はそう高くないだろうと予想出来たし、骨と皮だけになっている今の狼は肉としても期待は出来ない。
そもそも、狼の肉は不味い訳ではないが、それでも美味いという訳ではない。
少なくても、魔力を持ったモンスターの肉の方が数段美味いのは間違いなかった。
「ああいうのを見ると、ちょっと殺す気はなくなるな。……エレーナ、何か食料をやってもいいか? あの狼も、空腹じゃなくなればセトの存在もあるし、こっちに攻撃してくるようなことはないと思うんだが」
「ふむ」
レイの言葉にも一理あると思ったのか、エレーナは少しずつ間合いを詰めてくる狼の群れに視線を向ける。
そして少し考え……やがて、頷く。
「そうだな。私も向こうが襲ってくるのならともかく、空腹を満たすために襲ってくる狼を殺したいとは思わん。それに、トレントの森は特殊であるが新たな生態系が出来つつある。であれば、それを無意味に壊すような真似はしたくない」
元々トレントの森という場所そのものが特殊で、その地下に存在するウィスプのことを考えれば、この森の生態系が特殊なものになるのは当然だった。
ましてや、トレントの森には隣接するように異世界の湖が存在しており、その湖の生物の中でも地上で生きることが出来るものは、トレントの森に入ってきてそこを住処としてもおかしくはない。
そのような土壌である以上、トレントの森が特殊な生態系となるのは当然のことだった。
「アーラは?」
「私も構いません。さすがに、あのような狼を攻撃するのは、ちょっと……」
アーラは剛力の持ち主で、その武器もパワーアクスというマジックアイテムの斧だ。
そんな武器で骨と皮といった様子の狼を攻撃すればどうなるか。
それは、アーラも出来れば遠慮したい出来事だった。
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