第2434話

「戻ってきたわね」


 トレントの森を見てしみじみと呟くアナスタシアだったが、実際には昨日この森からギルムに行ったばかりだ。

 だというのに、そこまで……心の底から焦がれるようにトレントの森に戻ってきたと言うのは、それだけ妖精について調べたかったからだろう。

 もしくはウィスプの研究か、それとも異世界の存在か。

 リザードマンが現在住んでいる生誕の塔の近くにある湖も、未知の存在ということではアナスタシアの興味を惹くという点では十分だろう。……もっとも、湖はトレントの森の中ではなく隣に存在しているのだが。


「で、俺達は取りあえず妖精を探しながらリザードマン……ゾゾやガガ、それに冒険者達に戻ってきたというのを知らせるつもりだけど、アナスタシアはどうするんだ?」

「難しいわね。ただ、ちょっと妖精を探すというのは興味深いし、リザードマン達や冒険者達ともそれなりに友好的な関係だったし、私もそちらに顔を出すわ」


 アナスタシアが何を考えているのかは、レイにも理解出来た。

 リザードマンや冒険者達に自分の無事を知らせるというのも、嘘という訳ではないだろう。

 だが、正確なところではそれよりも、トレントの森の中を歩けば妖精を見つけることが出来るかもしれないという思いもあるのは間違いなかった。


(とはいえ、アナスタシアのことは間違いなく心配してるだろうしな)


 リザードマンはともかく、冒険者達にアナスタシアは人気があった。

 美女というだけで、男が大半の冒険者達からの人気が高くなるのは当然だろう。

 中には、美人だというだけの好意ではなく、本気で好きになった男もいた。

 ……リザードマン達の護衛を任されるということは、ギルドから信頼される実力のある冒険者なのだが、そんな中にも男女関係に関して疎い者というのはいるのだ。

 勿論、冒険者だからといって女に慣れていなければ駄目というわけではない。

 色仕掛けに引っ掛かるようなら、それはそれで問題なのだが。


「分かった。なら、まずはトレントの森の中を通って生誕の塔に行くか」


 本来なら、生誕の塔や湖はトレントの森に隣接する形で存在しているので、そこに向かう為にはわざわざトレントの森の中を通る必要はない。

 森に沿って移動すれば、それだけでリザードマン達のいる場所には到着するのだから。

 だが、今回はあくまでも妖精を探すといったようなことをしながら移動する必要がある以上、意図的にトレントの森の中を通る。


「妖精が見つかると思うか?」


 レイの言葉に、エレーナは後ろからそう尋ねた。

 なお、セトの背に乗っている順番は、前からレイ、エレーナ、アーラとなる。

 恐らく三人が乗っても大丈夫だろうと、そうレイは予想していたのだが、その予想が見事に当たった形だ。

 研究者のアナスタシアと、その助手のファナ。

 そんな二人に比べると、エレーナもアーラもそれぞれ鎧を着ており、武器も持っている。

 重量という点では、アナスタシア達と比べても圧倒的に上なのだが……それでも、セトにしてみれば、その程度の重量は誤差の範囲内でしかない。


「どうだろうな。まさか、ダスカー様に探すように言われてすぐに見つかるとは思えない。けど……探さないと、そもそも妖精を見つけるといったことは不可能だろうし」

「妖精のことだから、何もしなくても悪戯をする為にやってくるのでは? お伽噺の類では、そのようになってますが」


 エレーナの後ろで話を聞いていたアーラがそう尋ねるが、レイとしてはその言葉に気軽に頷くといった真似は出来ない。

 実際に妖精と接触したことのある身としては、アーラの言葉が正しいというのは理解出来るが、妖精達がそう簡単にこちらの思い通りに動いてくれるとは思えないのだ。

 それこそ、出て来るのを待っているというのを妖精達が理解し、それを知っているが故にレイ達の前に現れたりしない……といったような真似をされても、一般的な妖精の性格――あくまでもセレムース平原で会った妖精に関してだけだが――を知っているレイとしては、納得出来た。

 とはいえ、トレントの森で初めて会った妖精がレイと会った瞬間に逃げ出したことを考えると、レイの知っている妖精とは違った性格を持っている可能性は否定出来なかったが。

 そんな風に考えている間にも、レイ達はトレントの森の中を入っていく。

 樵達が仕事をしていない場所から入ったので、樵や冒険者達に遭遇するといったことはない。

 レイとしては別に樵達に会ってもよかったのだが、それはそれで面倒なことになるのではないかと、そう判断しての行動だ。

 そして……当然の話だが、トレントの森に入るとアナスタシアは妖精を探し始める。

 本当に妖精が見つかるのかどうかは、レイにも分からない。分からないが、それでもトレントで昨日見た以上、恐らく今日もまだトレントの森の中にいてもおかしくはない筈だった。

 勿論、それはあくまでもその筈というだけであり、絶対そうだという訳ではないのだが。


「いないですね」


 トレントの森に入って暫く、アーラが周囲の様子を確認しながらそう呟く。

 なお、トレントの森を進むセトや二頭の鹿は、走るのではなく早歩きといった程度の速度になっている。

 セトも妖精を探すというのは理解している以上、妖精がいたら見逃さないようにするというのは分かっているのだ。

 二頭の鹿はその辺を理解していたのかどうかは分からなかったが、それでもアナスタシアとファナが背中から鹿に言い聞かせたり、手や足を使って走らないように指示したりすることによって、コントロールしていた。

 ……二頭の鹿にしてみれば、大分慣れてきたとはいえセトの近くを歩くというのは非常に怖い。

 出来ればすぐにでも走ってこの場から逃げ出したいと、そう思っているのだが。


「そうだな。妖精は元々見つけるのが難しいからな。それに……俺が遭遇した妖精から話を聞いて、慎重になってる……いや、ないか」


 普通であれば、そのように慎重になってもおかしくはない。

 だが、レイがセレムース平原で遭遇した妖精の性格や言動からえれば、一度レイに見つかったからとはいえ、それで慎重に行動するとは思えなかった。

 その妖精を率いていた長がいれば、また話は別だったかもしれないが。


「そうなんですか?」


 アーラも、妖精についてはお伽噺くらいでしか知らない。

 ……寧ろ、妖精について詳しく知っているとすれば、それは貴族のアーラよりも多くの依頼を受けて様々な場所に向かう冒険者の方だろう。

 実際、レイが妖精と遭遇したのもある意味では依頼の為と言ってもよかったのだから。


「ああ。とはいえ、俺も妖精とは一度しか遭遇したことはない。そういう意味では、そこまで胸を張って言えることじゃないけどな」

「一度遭遇しただけで、十分凄いと思いますけど」


 そう言葉を返すアーラだったが、実際その言葉は正しい。

 他の者達に聞けば、ほぼ全ての者がアーラの言葉に同意するだろう。

 とはいえ、正確には凄いというのは恐らく違うのだろうが。

 妖精と会ったのはあくまでも偶然であって、レイの実力でどうにか出来た訳ではない。

 運も実力のうちと言われることがあるので、そう考えた場合はレイの実力であると言ってもいいのだろうが。


「私もアーラの意見に賛成だな。妖精と会ったというだけで、十分驚くべきことだ」

「そうね。……前に妖精を見世物にしているという者達を見たことがあるけど、実際には人形に虫の羽根を強引につけたようなものだったわ。それに比べると、羨ましいわね」


 しみじみと馬鹿らしいといった様子で、アナスタシアがエレーナの言葉に同意するように告げる。


「それはまた……何と言うか、ベタだな」


 見世物小屋というのはレイも聞いたことがあるし、何度かそのようなものを見たこともある。

 だが、基本的に見世物小屋の類というのは、本物の何かを見せたりするといったことはない。

 客もそれを承知で、一種の笑いのネタとして見るという一面もあるので、妖精と題して人形に虫の羽根……具体的にはトンボの羽根のようなものを背中にくっつけた代物を見世物にしてもおかしくはない。


「そうね。……私以外の客は笑っている者もいたけど」


 自分は面白くなかった。

 そう告げるアナスタシアの言葉を聞きながら、レイは周囲の様子を見て……


「っ!? ……違うか」


 木の枝の上で何かが動いたのを見て、一瞬妖精ではないかと思ったのだが、それは鳥だった。


「鳥か」


 自分の前に座っているレイが一瞬だけ鋭い気配を発したのを見たエレーナは、そんなレイの視線を追い、レイの気配に怯えたのか枝から飛び立った鳥の姿を目にする。


「ああ。残念ながらな。……っと、こっちもまた残念ながらだが、そろそろ生誕の塔だ」


 生誕の塔のある場所に来るのは随分と久しぶりだったが、トレントの森の中の景色がどこか見覚えのある場所になっているのを見て、言葉通り残念そうに呟く。

 とはいえ、レイもこの短い時間で妖精を見つけることが出来るとは思っていなかったので、残念そうではあったが、そこまで深刻に残念そうといった訳ではなかったのだが。

 寧ろ、残念そうなのはアナスタシアだ。

 レイと違って、アナスタシアはウィスプの研究をする必要がある。

 ……勿論、ウィスプもアナスタシアにとって興味深い存在であるのは間違いない。

 だが、妖精という存在がいきなり目の前に出て来たということもあり、そちらに意識が向かってしまうのは仕方のないことだろう。

 ウィスプは今のところすぐに消えるといったような様子もなく、それに対して妖精は気まぐれな存在である以上、いつまでトレントの森にいるのかも分からない。

 であれば、アナスタシアの好奇心が妖精の方に傾くのも当然だった。


(個人的には、あまり妖精に関わりたくはないんだけどな)


 悪戯好き……それもちょっとやそっとの悪戯ではなく、セレムース平原の時のような洒落にならない悪戯をされる可能性がある。

 だが、ダスカーから直々に頼まれたとなると、レイも断りにくい。

 今のギルムには、以前までと違って技量の乏しい冒険者も多く、そのような者達が何らかの理由で妖精の悪戯に遭ってしまうと……最悪、死にかねない。

 人間にとっては致命的なものであっても、妖精にしてみれば軽い悪戯という形になりかねないのだ。

 そんな悪戯を技量の低い冒険者が……ましてや、冒険者ではない樵が受けようものなら、致命的なことになりかねない。


(そういうことなら、リザードマン達にもしっかりと言っておいた方がいいだろうな)


 レイがそう思ったところで、ちょうどトレントの森から抜けることに成功する。

 木々の間から見えていたが、生誕の塔や湖をしっかりと自分の目で確認することが出来た。

 それだけではなく……


「まだ燃えてるのか」


 湖の側で未だに燃え続けているスライムを見て、レイは若干の驚きと共に呟く。

 この湖の主と呼ぶべき存在のスライムだが、レイによって燃やされてから一体どのくらいの時間が経つのか。

 にも関わらず、未だに燃え続けているのを見れば呆れるしかない。


(ドラゴニアスの女王も凄い再生能力だったけどな。……いっそ、炎帝の紅鎧で同じように燃やしつくすか? けど、あそこまでやると、また倒れそうなんだよな)


 魔力だけではなく、生命力までをも消費し、灰すら燃やしつくしたドラゴニアスの女王を思い出す。

 実際には、女王と戦う前に長時間炎帝の紅鎧を使用していたというのが、生命力まで消費した理由なのだが……それでも、今から妖精を探すということを考えると、まさか昏倒する可能性が高いのに試す訳にはいかない。


(取りあえず妖精の件が片付いて、少し余裕が出来てから試してみるか。……このまま燃え続けているだけで、スライムが動いたりしないのなら、現状維持でもいいんだけどな)


 今は生誕の塔も湖も、ギルムにいる多くの者に隠されている。

 あるいは何らかの方法で情報を得ている者もいるのかもしれないが、ダスカーの手の者によってトレントの森に入ることは特定の者達を除いて禁止されていた。

 だが、当然の話だがいつまでもそのままには出来ない。

 いずれ誰でも自由にトレントの森に来ることが出来るようになるだろう。

 その時、燃えているスライムというのは、観光名所の一つになるかもしれない。

 燃えているスライムが観光名名所になるか? という疑問もない訳ではなかったが、一般人にしてみれば、ここまで巨大なスライムが燃えている光景というだけで珍しいのは間違いない。

 そんなことを考えていると、やがてリザードマンや冒険者達がレイの姿を見つけたのか、何人もがレイ達のいるの方に向かって走り寄ってくるのだった。 

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