第2427話

 妖精がかなりの数トレントの森にいる。

 そう言われたダスカーは、大きく息を吐く。

 レイ達が見た妖精は、一匹だけの筈だった。

 だが、それでレイが多数妖精がいるとなれば、ダスカーとしてはその言葉を信じない訳にはいかない。

 腕利きの冒険者であり、以前にセレムース平原で実際に妖精を見たことがあるレイの言葉だ。

 その言葉に強い信憑性があっても、おかしくはないだろう。

 いや、寧ろ冒険者としては当然であるとすら言えた。


「多数か。具体的にはどのくらいの数がいると思う?」

「下手をしたら、集落を作っていてもおかしくはないかと。これが普通の森なら、俺もそこまで言わないんですけどね。場所がトレントの森だけに、そんな風になっていてもおかしくはないでしょう」

「……なるほど」


 ダスカーは数秒の沈黙の後に、何とかそれだけを返す。

 実際、現在のトレントの森は、色々な意味で特殊な場所となっている。

 元々、トレントの森のあった場所は草原だったのに、短時間で森となったのだ。

 そして今のリザードマンや緑人が異世界から転移してきて、それどころか湖までもが転移してきている。

 その上で、ケンタウロスやドラゴニアスのいた世界とも繋がっているという……その大半は地下空間にいるウィスプが起こしたことだったが、とにかく色々な意味で現在のトレントの森が特殊な場所なのは間違いない。

 であれば、その特殊さに惹かれて妖精が集まって集落を作っていても、特におかしなことはなかった。

 いや、寧ろレイならそのことに納得すら出来る。

 ……理屈になっていない理屈とでも言うべきか、レイの勘以外に根拠はないことだったが、それでも何となくレイは自分の言葉が合っているように思えた。

 何より……


「ここは辺境ですしね。何が起こっても不思議じゃありません」


 レイにそう言われれば、ダスカーとしても納得せざるをえない。

 辺境というのは、思いも寄らない出来事が起こるからこそ辺境なのだから。

 とはいえ、妖精の集落と聞いたダスカーは、頭を押さえる。

 ギルムの増築工事に、トレントの森に次々と転移してくる存在、そこに来て妖精の集落の可能性となると、もしここにいるのがダスカーでなければストレスで胃潰瘍になっていてもおかしくはない。

 ダスカーが色々な意味でタフだからこそ、今こうしていられるのだ。


(せめてもの救いは、アナスタシア達の一件がどうにかなったこと、か)


 しみじみとそう思うダスカー。

 何だかんだと、ダスカーの胃に対して一番ダメージを与えていたのは、アナスタシアとファナが異世界に行ってしまったということだった。

 それが解決したのだから、妖精などという存在が現れても……そう思ったが、すぐにそれを否定する。

 妖精の存在というのは、アナスタシア達の一件とはまた別の意味でダスカーの胃にダメージを与えるのだ。


「とにかく、妖精の件だ。……率直に聞くが、トレントの森に姿を現した妖精は、何を狙ってのものだと思う?」

「いや、それを俺に聞かれても……俺だって妖精については、殆ど知りませんよ?」


 ダスカーに聞かれたレイは、そう返すしかない。

 そもそもの話、レイが妖精について知っているのは以前セレムース平原で会ったからこそだ。

 それもじっくりと話をしたとか、一緒に行動したとかそういう話ではなく、妖精の悪趣味な悪戯にテオレームやエルクと共に引っ掛かっただけだ。

 それを悪戯を仕掛けてきた妖精の長によって解決した……というよりは、有耶無耶になったという方が正しい。


「一応モンスター辞典とかそういうので見たくらいの知識はありますけど、そっちだってあまり詳しい情報は載ってなかったですし」


 妖精という存在は悪戯をするが、その存在を実際に人が見るというのは……トレントの森での件を見れば分かる通り、絶対にない訳ではないが、それでも可能性は限りなく低い。

 だからこそ、ダスカーもレイに向かって妖精について尋ねたのだ。


「それでも、ここにいる者の中で実際に妖精を見たことがあるのは、レイしかいないのも事実だ」


 ダスカーのその言葉も、事実。

 妖精に悪戯をされたセレムース平原にいたというのなら、ダスカーやヴィヘラの二人もそこにはいたのだが。


「うーん……取りあえずすぐに思いつくのは、妖精は能力とかはかなり高いですけど、性格とかそういうのは子供っぽかったですね。それに比べると、長はしっかりとした……人間的な常識を持っているように思えました。あくまでも、通常の妖精に比べての話ですが」


 セレムース平原での出来事を思い出しながら、レイはそう告げる。

 実際に長と会ったのは短い時間であった以上、すぐに思いつくのはそれくらいだった。


「あ、でも……長って名乗っていたくらいだから、やっぱり妖精もある程度の集団で暮らしているのは間違いないかと。そう考えると、やっぱりトレントの森に集落を作っているというのはそんなに間違ってないような気がします」

「やっぱり集落か。……妖精の能力は強いとなると、トレントの森にいるモンスターも問題なくあしらえるのか?」

「うーん……どうでしょうね。もしトレントの森があるのが辺境以外なら、即座に頷けるんですけど」


 辺境以外の場所にでるモンスターというのは、基本的には弱いモンスターが多い。

 勿論、それが絶対という訳ではなく、時には高ランクモンスターが姿を現すということもあるのだが。

 それに比べると、辺境というのはどこにでも高ランクモンスターが姿を現す可能性がある。

 幸か不幸かレイはまだ経験していないが、ランクAモンスターが不意にギルムの側までやって来た……ということがあるというのは、以前マリーナから聞いたことがあった。

 だからこそ、ダスカーの言葉にレイは迂闊に答えることは出来ない。

 その辺の低ランクモンスター……もしくは、ランクCモンスターくらいならレイが見た妖精の実力ならどうとでも出来るだろう。

 そして妖精の長ともなれば、ランクBや……もしかしたらランクAモンスターすらどうにか出来るかもしれない。

 妖精の長がどれだけの実力を持っているのかはレイも分からないので、こちらはあくまでも予想でしかないが。


「そうか。だが、トレントの森にはそこまで強力なモンスターは今のところ姿を現してないだろう?」

「そうですね。……ただ、転移してきた湖から何か出て来たりとか、そういうモンスターがいるかもしれませんけど」


 湖のモンスターは、レイにとってはドラゴニアスと同じくらいに厄介な存在だ。

 何しろ魔石を持っていないので、レイにとっては美味しい相手ではない。

 ……それでも、その肉は食べることが出来るし、素材はマジックアイテムや武器、防具、それ以外にも色々と使い道があるのは間違いないが。

 ともあれ、何よりも面倒なことは現在湖にどのようなモンスターがいるのかはっきりとしていないことだ。

 レイが燃やした……そして、恐らくはまだ燃え続けているだろうスライムが強力なモンスターなのは理解しているが、それ以外に一体どのようなモンスターがいるのか。

 そんなレイも知らないモンスターの中に、妖精を餌として考えるモンスターがいた場合、色々と不味いことになるのは確実だろう。

 妖精も自分を喰い殺そうとするモンスターを相手に手加減をしたりといったような真似をするとは、レイには思えない。

 そして多数の妖精が好き勝手に魔法を使って戦うようなことになれば……それこそ、トレントの森どころか、リザードマン達が現在拠点としている生誕の塔の周辺にまで被害が及びかねなかった。


「出来れば妖精にその辺の注意をしたいところですけど……ちょっと難しそうですね」

「妖精が具体的にどこにいるのか、それが分からないとどうしようもないしな。だが……他に人はいない、か」


 ダスカーの視線がレイに向けられる。

 そんなダスカーの視線が何を意味しているのか、レイにも当然理解出来た。

 そして、この件を断ることは出来ないことも。

 何しろ、現在トレントの森に入れる者は限られている。

 ましてや妖精の存在が明らかになった以上、ダスカーとしては今まで以上にトレントの森の出入りを厳しくする必要があるだろう。

 そんな中で、誰が妖精と接触する……いや、それ以前に妖精を見つけるかとなると、それは当然のようにレイが最有力候補となる。

 セトと一緒に行動しているので、セトの五感を使えるというのは大きい。

 何よりも、これまで二度妖精と接触しているレイであれば、また妖精と接触出来るという期待もダスカーにはあった。

 後者は完全に運でしかないのだが、ダスカーにしてみれば妖精という存在をそれだけ重要視しているという事なのだろう。


「出来れば、マリーナを連れていきたいんですけど……難しいですか?」

「そうだな。かなり難しい。マリーナの精霊魔法を使った回復は、怪我をした者達にとって大きな希望の光となっている」


 そう告げるダスカーの表情は、少し微妙なものがある。

 小さい頃から知っていて、それこそダスカーの黒歴史とも呼ぶべきことまで知られている為だろう。

 だが、そんな思いからレイの言葉を却下した訳ではなく、純粋にその精霊魔法による治癒能力が非常に高いというのが大きい。

 現在このギルムには、大勢の者達が仕事を求めて集まってきている。

 それだけ大量の者達が、それも夏真っ盛りの中で仕事をしているのだ。

 暑さによって仕事の最中にミスをして怪我をしたり、暑さに苛ついて喧嘩っ早くなって喧嘩をしたり……中には、熱中症を起こす者もいる。

 この世界において、熱中症というのは知られていない。

 それでも暑い中で水分補給もしないで動き回っていると危険だというのは本能的に理解出来るのか、大抵の者が水分補給をしているのだが。

 それでも働いている者が大量にいる以上、どうしても熱中症の者は出て来る。

 そのような者達は、マリーナ以外の治療をしている者や薬師の類であれば、ゆっくりと休ませるようなことしか出来ない。

 だが、マリーナの精霊魔法があれば、即座に……とはいかないが、それでも十数分もすれば復帰出来る。

 怪我人達も、本来なら時間を掛けて治す必要があるが、精霊魔法を使った治療ならすぐに現場復帰出来る者が多い。

 それだけに、精霊魔法を使うマリーナを治療院から外す訳にはいかないというのが、ダスカーの判断だった。

 そしてダスカーに説明されれば、レイとしてもその言葉には納得せざるをえない。


「そうですか。精霊魔法を使うマリーナがいれば、妖精を見つけやすいと思ったんですけど」

「……どうしても見つからないのなら考えないでもないが、最初は出来ればレイだけで探してみてくれ」


 ダスカーとしては、マリーナには出来れば治療院で回復に専念していて欲しい。

 だが同時に、トレントの森で見つかった妖精についても必ず見つけ出す必要があった。

 妖精を見つけるのにマリーナが必要だと言われれば、そちらに向かって貰うという選択肢も必要なのではないか。

 そう悩み……取りあえずはレイに任せることにしたのだろう。


「うーん……そうですね。分かりました。ただ、そうなると伐採した木の運搬は出来ると思いますが、街中での件には関与出来ませんよ?」

「構わん。トレントの森で伐採した木を運んでくれるだけで、こちらとしては大助かりだ。あそこが一番人手が必要なのに、迂闊に人をやることも出来なかったからな」


 ダスカーにしてみれば、今一番大変な場所にレイが入ってくれて、それを解決してくれるのだ。

 その上で妖精も探して貰う以上、レイには感謝することしか出来ない。


「分かりました。じゃあ、そういうことで。それと宝石ですが……本当に残っているのは全部貰っても? 向こうの世界では殆ど使わなかったんですけど」

「勿論だ。それについては前もって言ってあるだろう。お前のお陰で、アナスタシアを助けることが出来たんだからな。火炎鉱石の方も出来るだけ早く用意しておく」

「ありがとうございます。……ああ、それと異世界に関してですが……もしかしたら、向こうの世界とこちらの世界の行き来がある程度自由になるかもしれません」

「……何? それは本当か?」


 レイの言葉は予想外だったのか、ダスカーは驚きと共に呟く。

 ダスカーにしてみれば、向こうの世界との繋がりはいつ切れてもおかしくはないという認識だった。

 それだけに、レイの言葉は意外なものだったのだろう。

 ……アナスタシアもまた、レイに向かって視線を向けているが、レイはそれをスルーする。


「あくまでももしかしたらです。師匠の方でどうにかなる……かもって感じなので」


 その言葉に、ダスカーは深く頷くのだった。

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