第2416話
「で? 満足したか?」
レイは、自分の前で地面に倒れているアスデナに尋ねる。
いつもの模擬戦であれば、レイもまたそれを承知の上での戦いである以上、相手に軽くダメージを与えるが、今回アスデナが望んだのは、本当の意味での戦い。
……とはいえ、まさか仲間同士の戦いでデスサイズの刃を使って相手を斬り裂く訳にもいかないだろうということで、レイが振るったのはデスサイズと黄昏の槍の柄。
とはいえ、それはあくまでもアスデナが死なないように最低限の手加減をしたということで、本気の戦いを望まれている以上は柄を使った攻撃であっても、かなり本気の一撃を放っている。
実際、その一撃によって殴られ、吹き飛ばされたアスデナの身体は、間違いなく何ヶ所かが骨折している筈だった。
レイも一応その辺は考えて、骨折が治った後に後遺症が出ないように骨を折ったつもりではあったが、それも絶対ではない。
あるいは、怪我をした場所が治った時、何らかの後遺症があるという可能性は否定出来ない。
とはいえ、ケンタウロスの生命力を考えると、そのくらいのことは容易にどうにかしてしまいそうではあったが。
レイも手加減をするつもりなら、もっと手加減が出来ただろう。
だが、そんな状況であるにも関わらず、ここまで手加減をしなかったのは……やられた方のアスデナが、それを希望したからというのが大きい。
もしレイがそこまであからさまに手加減をしていれば、アスデナは今よりも怪我が少なかったとしても、間違いなく怒っていただだろう。
「お疲れ様」
ヴィヘラがレイに対して、そう声を掛けてくる。
少しだけ羨ましそうな様子なのは、レイと全力で戦うといったアスデナに対するものだろう。
「そうだな。……ただ、何で今の状況でアスデナが俺との戦いを……それも本気での戦いを希望したのか、疑問だけどな」
「そう? そこまでおかしな話じゃないと思うけど」
レイとは違い、ヴィヘラは何故アスデナが本気の戦いを挑んだのか、分かっているのだろう。
ヴィヘラのその様子に、レイは不思議そうな表情を浮かべる。
「何でそんな真似を?」
「アスデナがケンタウロスで、そして戦士だからでしょうね。今まではそういうことをしようと思うケンタウロスはいなかったけど……」
そう言い、ヴィヘラはじっとレイを見る。
そんなヴィヘラの様子に、レイもまた何となくその理由を納得してしまう。
「この先、他の連中も同じようなことを言ってくると思うか?」
「……どうかしらね。可能性としては十分にあると思うけど」
ヴィヘラにしてみれば、アスデナの気持ちは十分に分かった。
……あるいは、もし今回のドラゴニアスの件が解決していても、まだアナスタシアとファナが見つかっていなければ、このようなことをするつもりはなかっただろう。
だが、その二人は……レイ達がこの草原にやって来た最大の理由たる、アナスタシア達はドラゴニアスの本拠地を探す中で見つけてしまった。
その上でドラゴニアスとの一件が片付いたとなれば、レイ達がもうこの草原に戻ってこない可能性は非常に高い。
だからこそ、レイと別れる前に模擬戦といったような手加減が前提にあるようなことではなく、本気で戦ってみたいと判断したのだろう。
……もっとも、その本気に関してもレイは結局デスサイズも黄昏の槍も、柄の攻撃だったし、レイが得意としている魔法も……ましてや、女王を倒すのに使った炎帝の紅鎧も使いはしなかったが。
だが、そのようにある程度限定された状態であっても、結局レイはアスデナに対して殆ど一方的な勝利を得た。
これは別に、ケンタウロスの中でアスデナが弱い訳ではない。
偵察隊に参加したケンタウロスの中でも最強のザイには及ばずとも、アスデナは間違いなく上位に位置する実力の持ち主なのだ。
そんなアスデナを圧倒するだけの実力をレイが持っているということだった。
とはいえ、そのことは模擬戦を何度となく繰り返していれば、ケンタウロス達も十分に理解しているのだが。
「もし戦いを挑むのなら、それこそ俺じゃなくてヴィヘラなんじゃないか?」
ケンタウロス達にしてみれば、ヴィヘラは何度となく……それこそ、数え切れない程に模擬戦で負けてきた相手だ。
そんな相手に対し、最後に本気で挑むというのなら、レイにも十分理解出来るのだが。
「やっぱり、レイはドラゴニアスの女王を倒したからじゃない?」
「それは……」
レイとしても、そう言われてしまえば何も反論は出来なくなってしまう。
実際、ケンタウロスにとってドラゴニアスというのは、不倶戴天の敵だった。
そんなドラゴニアスの女王を倒したのだから、レイはある意味で特別な存在になったのだろう。
ケンタウロス達にとって、模擬戦で自分達に勝ってきた相手よりも、ドラゴニアスを倒したレイと戦う方が大きな意味を持つのだと、レイも渋々ではあるがそう納得する。
「まぁ、その件はいいとして……そう言えばアナスタシア!」
レイが呼ぶと、ファナと一緒に精霊の卵の様子を調べていたアナスタシアが、レイのいる方にやってくる。
レイとアスデナの戦いにも、アナスタシアは全く興味を持った様子もなく、精霊の卵を調べていたのだ。
「何か用事?」
若干不機嫌そうなのは、精霊の卵の調査を邪魔されたからか。
好奇心旺盛なアナスタシアにしてみれば、レイとアスデナの戦いよりも、精霊の卵を調べる方が大きな意味を持つのだろう。
レイもそれは知っていたが、今はそれよりも言っておく必要のあることがあった。
「精霊の卵だが、エルジィンには持っていけないぞ」
「……分かってるわよ」
「え?」
アナスタシアの言葉を聞き、レイの口からは間の抜けた声が出る。
てっきり、絶対にエルジィンに持っていくと、そう言うとばかり思っていたのだ。
だというのに、まさかこうもあっさりとレイの言葉に頷くというのは、完全に予想外だった。
それが面白くなかったのだろう。アナスタシアは、不満そうに口を開く。
「何よ、その顔は。幾ら私でも、やっていいことと悪いことは分かってるわよ」
お前、本当にアナスタシアか?
そう言いそうになったレイは、決しておかしくはないだろう。
実際、レイの隣にいたヴィヘラもレイと似たような表情を浮かべていたのだから。
「えーっと、何でまたそんなことを? いやまぁ、俺達にとっても嬉しいんだが。……正直なところ、てっきり精霊の卵を持っていくと言うかと思ってたんだが」
「あのねぇ。これだけの精霊の力が込められた代物よ? これで迂闊にエルジィンに持っていったら、どんな影響が起きるか分からないわ。ただでさえ、ギルムは……いえ、トレントの森は色々な意味で特殊な場所になってるんだから」
「それは分かる」
アナスタシアの言葉に、レイは素直に頷いてしまう。
実際、トレントの森の周辺にはリザードマン達の生誕の塔があり、広大な湖が転移してきている。
そもそもの話、トレントの森そのものも普通の森ではなく、短時間でいきなり出来た森なのだ。
そこからはギガントタートルといったような、巨大なモンスターも姿を現した。
ある意味で、辺境という場所の中でも更に辺境と呼ぶべき場所がトレントの森だ。
そのような場所に、異世界の精霊の力の塊たる精霊の卵を持っていったらどうなるか。
アナスタシアが、その辺に興味がないと言えば嘘になるが、だからといって試したいとも思わない。
「……それは、また……そんなにか?」
アナスタシアの説明に、レイは改めてそう尋ねる。
精霊の卵が大きな力を持っているというのは理解している。
ドラゴニアスの女王が、是非とも手に入れたいと思っており、何度となくドラゴニアスを送り込んできたのだから。
だが、それでもアナスタシアが言ってるように危険だとは思わなかった。
「正確には、具体的にどんな危険があるか分からないというのが危険なのよ。精霊の卵に封じられた精霊の力を考えると、下手をした場合トレントの森が……いえ、場合によっては、ギルムどころか辺境そのものが何らかの理由で消滅するかもしれないわ」
「……そんなにか?」
再び、レイの口から先程と同じ言葉が漏れる。
ただし、言葉は同じでもそこにある深刻さは明らかに増していたが。
「ええ。もう少し危険度が少ないか、具体的にどんな危険があるのか分かるのなら、持って帰るのも検討したんだけどね」
「それは、また。……助かったと言えばいいのか、微妙なところだな」
レイが知っているアナスタシアであれば、それこそ危険があっても精霊の卵をエルジィンに持って帰ると言ってもおかしくはない。
だが、幸いなことに現在のアナスタシアは、そんなことを考えていない。
(これは、アナスタシアが成長したと考えればいいのか? それとも、今回は偶然?)
そんな疑問を抱いたレイだったが、そうなればなったで、新しい問題も出て来る。
「そうなると、精霊の卵はどこに置いていくんだ? ドラゴニアスの女王の件もあるし、迂闊な場所には置いておけないだろ?」
もしどこかに隠しても、ドラゴニアスの女王のように精霊の卵を見つける力があれば、隠している意味はない。
そうなると、誰かに守って貰う必要があるのだが……
「言うまでもないけど、俺は無理だからな」
アナスタシアの視線が自分に向けられているのを理解したレイは、即座にそう返す。
レイにしてみれば、こちらの世界に残るなどといった真似は出来ない。
エルジィンに戻れば、多くの仕事があるのだから。
また、自分の居場所はギルムと決めている以上、こちらにずっといる訳にもいかない。
それはレイだけではなく、ヴィヘラとセトもまた同様だ。
双方共に、レイから離れるといった真似をするつもりはない。
「そうなると……次の候補はザイの集落かしら」
アナスタシアの視線が、アスデナの治療を指示しているザイに向けられる。
元々ザイはケンタウロスの中でもかなりの強さを持っていたのだが、ヴィヘラとの訓練で更に実力は上がっている。
偵察隊の面々の多くが一対一でドラゴニアスと戦うことが出来るだけの実力を持っているが、二匹のドラゴニアスを相手に戦えるケンタウロスは、今のところザイだけだ。……レイ達を除いての話だが。
ともあれ、そのような強さを持ち、何よりも信頼出来る相手というのが大きい。
そうである以上、レイにしても精霊の卵を預けられる相手といして思い浮かぶのは、やはりザイしかいなかった。
「ザイなら安心出来るのは、俺も理解出来る。出来るけど……」
「不安?」
「正直に言えば」
ザイはレイが知っているケンタウロスの中でも、頭一つ飛び出た存在というのは間違いのない事実だ。
だが、それでも……だからといって、精霊の卵を預けて全面的に信じることが出来るかと言われれば、レイは素直に頷くことは出来ない。
これはザイを信じている信じていないといった問題ではなく、純粋にザイの実力が足りていないと思える為だ。
幾らケンタウロスの中では最強に近い存在であっても、それは結局ケンタウロスの中だけという範囲でしかない。
二匹のドラゴニアスを相手に一人で何とか出来るザイだが、言ってみればそれよりも多い数のドラゴニアスを相手にした場合、対処出来ないということも意味している。
三匹や四匹を相手にした場合も、防御や回避に徹して時間を稼ぐといったことなら、出来るだろう。
だが、その数のドラゴニアスを相手に勝てるかと言われれば、その答えは否だ。
ましてや、普通のドラゴニアスよりも強い、知性あるドラゴニアス達が複数で襲い掛かってきた場合、それに対処するのは難しいだろう。
(とはいえ、それでもザイ以外に精霊の卵を任せるに相応しい相手はいないんだけど。襲ってきた相手がザイより強かったとしても、最悪ザイは襲ってきた相手に勝てなくても、精霊の卵を持ち出して逃げることが出来ればいいんだし。そういう意味では、ザイは十分信じられる)
レイが知っているザイは、その強さだけではなく足の速さという点でもケンタウロス屈指のものだ。
そういう意味では、やはり精霊の卵を任せられる相手として重要なのは、ザイだけなのだろう。
「やっぱりザイに任せるしかないだろうな。……アナスタシアも、それでいいよな?」
「そうね。持って帰る訳にはいかない以上、レイのその判断は間違っていないと思う。それに……」
そこで言葉を切ったアナスタシアだったが、レイにはその言葉の先も理解出来た。
エルジィンと繋がっている場所は、ザイ達の集落からそう離れていない。
であれば、また精霊の卵を調べる機会もあるのだろうと。
……もっとも、ケンタウロスというのは遊牧民族だ。
いずれ現在いる場所からも、移動することになるのだろうが。
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