第2412話

 ドラゴニアスの本拠地たる、広大な地下空間。

 そこを確認し、本当にドラゴニアス達が滅びたということを確認した一行は、そうなればもうここに用はないと、すぐに出立することにした。

 あるいは、ここで待っていればレイとの戦いの最中に女王が下した命令によって、再び他のドラゴニアスがやって来る可能性があるから、その面倒を避けたという理由もある。

 レイにしてみれば、それこそ白、黒、透明、七色の鱗のドラゴニアス……もしくは金の鱗のドラゴニアスといったような希少なドラゴニアスがいるのなら、その死体は出来れば確保したい。

 だが、飢えに支配された通常のドラゴニアスが相手となると、もうその死体は大量にミスティリングの中に入っている。

 勿論、今回の一件が片付けば、もうドラゴニアスの死体を入手するようなことは出来なくなるだろう。

 あるいは、現在エルジィンとこの世界を繋いでいるグリムの考えによっては、この世界そのものに、再び来ることが出来なくなる可能性もあった。

 そう考えると、通常のドラゴニアスの死体も今まで以上に確保しておいた方がいいのかもしれない。

 今更ながらに、レイはそんなことを考えたが、それは既に後の祭りだ。

 とはいえ、通常のドラゴニアスの鱗ですら、レイの魔法に耐えるだけの防御力を持っていると考えれば、素材の価値としては非常に高いのは間違いない。

 ……もっとも、ドラゴニアスの死体を素材として使う為には、まず翌日には使い物にならなくなるといった状況をどうにかする必要があったが。

 まだ錬金術師達も殆ど研究していない以上、具体的にそれがいつ出来るようになるのか、分からない。

 ドラゴニアスの死体がなくなる前に、どうにか目処が立ってくれればいいけどというのが、レイの感想だった。

 その上で、少しだけ心配なのが……通常のドラゴニアスの死体を素材として使えるようになったとしても、他の知性あるドラゴニアスの死体をそれと同じ方法で素材として使えるようになるかと言われれば……その答えは、正直微妙なところだろう。

 エルジィンにおけるモンスターでも、基本となった種族と、その上位種とでは素材の性質が違うということも珍しくはないのだから。

 その辺の事情を考えると、やはり今回の一件においては慎重を期す必要がある。

 そんなことを考えていると、一行の先頭を進んでいるケンタウロスが声を上げる。


「林だ、林が見えてきたぞ!」


 普通であれば、林を見つけたからといって、そこまで大きく騒ぐようなことはない。

 この草原にも、そこまで数は多くないが、林や森といった場所は普通にあるのだから。

 それでも先頭のケンタウロスが林を見つけたと大きな声で言ったのは……


(大丈夫そうだな)


 レイから離れた場所を進んでいる、数人のケンタウロス。

 その数人は、林の中にあった集落の生き残りのケンタウロスだ。

 元々はドラゴニアスの危険さを察知して、ドラゴニアスがなかなか入ってこられない林の中に集落を移動させた。

 だが……そのケンタウロス達にとって最大の不幸は、その集落の地下に精霊の卵が埋まっていたことだろう。

 ドラゴニアスから逃げようとした結果、ドラゴニアスが探していた精霊の卵の上に集落を作ってしまい、結果としてその集落は何らかの理由……レイは恐らく女王の精霊魔法によるものだと思っていたが、とにかく精霊の卵が見つかってドラゴニアスの群れの襲撃を受けてしまった。


「本当に寄っていかなくてもいいのか?」


 そうレイが尋ねたのは、この集落の数少ない生き残り達だ。

 だが、尋ねられたケンタウロス達は、レイの言葉に頷く。

 ドラゴニアスを倒したということで、それぞれの集落に戻るといったような話をした時、この林の集落の生き残りは、ここに寄らなくてもいいと、そう言った。

 レイにしてみれば、自分の生活していた集落なのだからという思いがあったのだが、生き残りの者達にしてみれば、そこは自分の家族や友人がドラゴニアスに喰い殺された場所だ。

 とてもではないが、今の自分達の状況で集落に行きたいとは思えなかった。

 せめてもっと時間が経過し、心が多少なりとも癒やされれば……将来的には、もしかしたらこの集落に戻ってくるといったことも出来るかもしれなかったが。


「そうか。なら、予定通りこのまま進むぞ。まだ日が沈むまではかなりの時間があるから、その間に可能な限り進んだ方がいい」


 そんなレイの言葉に、偵察隊を率いるザイもまた異論はないのか、頷く。

 太陽の位置から、レイは恐らく現在はまだ午後三時前後だろうと、そう予想する。

 正確な時間を知りたいのなら、それこそミスティリングに収納されている懐中時計を見ればいいのだが……今は、そこまでする必要性を感じなかった。

 そもそも、この草原で生きる者達にとっては時間というのはそこまで重要なものではない。

 郷に入っては郷に従え……という訳でもなかったのだが、それでもレイは何となくケンタウロスのやり方を受け入れていた。


(今が三時くらいなら、日が沈むまでは三時間……四時間はあるか? そのくらいの時間があれば、ケンタウロス達なら結構な距離を走れる。……それでも、集落には到着出来ないだろうけど)


 そもそも、この周辺一帯はドラゴニアスの本拠地の近くということで、林に隠れていた集落を除けば、ほぼ全滅に近い状況になっている。

 集落の痕跡は残っているだろうから、それを流用するような真似もしようと思えば出来るだろうが、レイとしてはわざわざそのような真似をしようとは思わなかった。

 ミスティリングの中には偵察隊に参加している全員分のテントが入っているし、食料や水も全く問題はない。また、レベル五になった地形操作の力により、野営地を土壁で囲って堀を作るような真似も以前より格段に楽に出来るようになった。

 もっとも、本拠地の周辺に拠点を持っていたり、偶然いたドラゴニアス達は、昨日の時点で女王の命令によって地上に残っていたケンタウロス達を襲って、ヴィヘラやセトといった戦力の前に……そして鍛えられたケンタウロス達の前に全滅している。

 そうである以上、夜の襲撃を心配する必要はなかった。


「ねぇ、レイ。……向こうに帰ったら、私は何をするの?」


 アナスタシアの乗っている鹿が、セトの側までやって来てそうレイに尋ねる。

 昨日……いや、今日になっても、アナスタシアとファナの乗っていた鹿はセトを怖がっていたのだが、今は少し怖がっているものの、それでも何とか普通に走り続けられる程には恐怖を乗り越えている。

 これが一体どのような理由でそのような真似を出来るようになったのかは、レイにも分からない。


(地下空間を一緒に移動したから、とか? ……まさかな)


 鹿の様子に疑問を覚えつつも、レイはアタスタシアに向かって口を開く。


「多分、以前と同様にウィスプの研究になるんじゃないか?」


 ウィスプの研究という言葉に、アナスタシアは微妙な表情を浮かべる。

 アナスタシアにしてみれば、ウィスプの研究をするのは決して嫌なことではない。

 実際にこの世界とウィスプのいた地下空間が繋がるまでは、好奇心の赴くままにウィスプの研究をしていたのだから。

 だが……異世界という存在を知ってしまった今となっては、ウィスプと同じくらいこの世界に対して強い好奇心を抱いてるのは間違いない。

 だからこそ、ウィスプの研究をと言われても、素直に頷けないのだろう。


「そう。……こっちに来たりは?」

「正直なところ分からない。その辺は、ダスカー様の判断次第だな」


 レイが見た限り、今回の一件でダスカーはかなりアナスタシアのことを心配していた。

 それだけに、以前までと同じようにウィスプの研究をさせるかと言われれば、レイとしては正直なところ微妙だと思ってしまう。

 ただし、アナスタシアは非常に好奇心が強い。

 それこそ、アナスタシアという存在の半分は……あるいはもっと多くの割合が、好奇心で出来ていると言っても、レイは納得出来るだろう。

 そのようなアナスタシアだけに、この世界にやって来ることも禁止され、ウィスプの研究すらも禁止され……ということになれば、それこそアナスタシアの身を心配してのものであっても、到底受け入れることはないだろう。

 ましてや、ダスカーにとってアナスタシアという存在は、非常に優秀で信頼出来る研究者であるというのも、間違いのない事実なのだ。

 他に代わりになる者は……いない訳ではないが、優秀と信頼という双方をアナスタシアと同レベル……もしくは、アナスタシアには及ばなくても、ある程度は迫るだけの者がいるかと言われれば、残念ながら首を横に振るしかない。

 それだけ、アナスタシアは研究者として飛び抜けて有能だったのだ。


「ふーん。……出来れば、こっちの世界の研究を任せてくれると嬉しいんだけど……どうかしら?」

「それは、難しいんじゃないか? ダスカー様にしてみれば、今の状況では幾らでも金が欲しいだろうけど」


 ギルムという、ミレアーナ王国唯一の辺境に存在する街を、都市のレベルまで拡張するのだ。

 当然のようにそこに掛かる費用は膨大なものとなる。

 トレントの森の木を建築資材として活用するといった真似もしているが、それだけで全てを賄える訳ではない。

 また、他にも必要な資材の類は大量にあるし、増築工事で働いている者に支払う賃金もある。

 唯一の辺境ということで、ギルムにはかなりの資金があったが、それでも資金というのは、あればある程にいいものだ。

 何かあった時に使える資金があるというのは、非常に大きいのだから。


「金が欲しいのなら、この世界……特にケンタウロスの集落と貿易をすればいいじゃない。どういうのがあるか分からないけど、異世界なんだから、きっと色々とギルムでは入手出来ない物があるわよ?」


 その言葉には、一理ある。……いや、一理どころか、二理や三理、あるいはもっと大きな理があると、レイにも理解出来た。

 ただし、それがかなり可能性が高いというのはレイにも分かったが、実際に何で貿易をすればいいのかと言われると、それには困る。

 レイがすぐに思いつくのは、マジックアイテムや食べ物といったレイ自身が興味を持っている代物だ。

 だが、レイが知ってる限りでは、ケンタウロスの中にはマジックアイテムどころか、魔法を使える者がそもそも少数派となる。

 そうなると食料の類だろうが、放牧を行っているケンタウロス達が売ることが出来る食料となれば、やはり肉の類となり……しかし、その肉は普通に美味い肉ではあっても、わざわざ貿易をしてまで手に入れたいような肉かと言われると、その答えは否だ。

 そもそも、ギルムでは辺境であるが故にモンスターの肉は大量に入手可能だ。

 そしてモンスターの肉というのは、高ランクモンスタ-になればなる程、基本的には美味くなる。

 普通の動物の肉よりモンスターの肉の方が基本的には美味いので、わざわざケンタウロス達が放牧で育てている肉を買いたいかと言われれば、その答えは否だった。

 中には、異世界の肉であるということを明らかにすれば、それを欲する者もいるだろうが……少なくても、レイが食べた限りでは異世界の肉だからといって、エルジィンにおける肉とそう違いはない。


「つまり、アナスタシアがこっちの世界で貿易に使えそうな物を探すのか?」

「ええ。私に合ってる仕事でしょ?」


 そう言われれば、レイとしても納得するしかない。

 実際、アナスタシアであれば、その好奇心から何か珍しい物を探してくれるのではないかと、そう思った為だ。

 といはいえ、結局のところ最終的にその辺りを決めるのはダスカーである以上、レイとしてはアナスタシアの言葉を聞いて素直に頷く訳にはいかなかったのだが。


「俺からは何も言わない。ただ、ダスカー様がそれを受け入れるのなら、いいんじゃないか?」


 ダスカーがアナスタシアを心配しているのは間違いのない事実だが、この世界との間で貿易が出来るとなれば、それは大きな意味を持つ。

 ダスカーの立場としては、私人と公人のどちらを優先するのかは、レイが考えるべきことではない。


(いやまぁ、そういう意味でなら許可をするしかないんだろうけど……そうなると、問題なのはウィスプの研究をどうするか、だよな)


 結局のところ、アナスタシアと同程度に信頼出来る研究者の数が少ない以上、ダスカーとしては非常に迷うことになるのは間違いなかったが……取りあえず、レイは自分がそんなことを考えても仕方がないと判断し、問題はダスカーに丸投げすることにしたのだった。

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