第2350話
林の外に出たレイ、ヴィヘラ、ケンタウロスの男は、すぐにアナスタシアとファナの姿を見つける。
……セトから少し離れた場所にいる鹿が逃げようとしているのを、何とか落ち着かせているといった二人を。
「グルゥ……」
そんな二人と二頭の鹿を見て、セトが残念そうに喉を鳴らしているのだが……鹿の方は、それでもセトが怖いと思っているのか、とてもではないが近づける様子ではない。
「うわぁ……」
鹿の世話をする為にやって来たケンタウロスは、目の前に広がっていた光景に思わずといった様子でそんな声を漏らす。
レイから軽く話は聞いていた。
だが、それでもまさかここまで露骨にセトを怖がっているとは、思いも寄らなかったのだろう。
これは本当に大丈夫か?
そんな思いを抱いたケンタウロスだったが、酒の為である以上はここで頑張らないという選択肢は存在しない。
「あ、レイ。遅かったじゃない。……ヴィヘラは久しぶり」
アナスタシアはレイを見つけて不満を口にし、ヴィヘラに対しては軽く挨拶をする。
そんなアナスタシアの横では、仮面を被ったファナがレイとヴィヘラに対して頭を下げる。
「悪かったな。色々と説明する時間が必要だったからな、それと、こいつはアナスタシアとファナが集落に行ってる間、鹿の世話をする奴だ。鹿がこの林を通るのはかなり難しいだろうから……その鹿をどうするのかは、後で考えるってことでいいか?」
「そう、ね。……あの林を見れば、レイの言いたいことも分かるから、しょうがないわね」
林を見て、鹿が通ることは不可能……ではないが、かなり難しいと理解したアナスタシアは、レイの言葉に頷く。
ファナもまた、レイの言葉に異論はないのか若干渋々といった様子ではあったが、それに同意した。
アナスタシアとファナも、この世界に来てからのことをレイやヴィヘラと色々話し合っておく必要があると、そう理解していたのだろう。
二人が鹿を落ち着かせ、ケンタウロスに従うようにと鹿に言い聞かせているのを見ながら、レイは鹿に怯えられて残念そうなセトに声を掛ける。
「セト、セトは先に集落に向かっていてくれ。ここにいると、鹿を怖がらせそうだしな。……俺達もすぐに林を通ってそっちに向かうから」
「グルゥ……」
レイの言葉に、セトは分かったと喉を鳴らす。
出来れば二頭の鹿と仲よくなりたかったセトだったが、ここまで怖がられている以上、現在の状況では何をどうしても意味がないと、そう理解しているのだろう。
……もう少し一緒にすごす時間があれば、鹿もセトの存在に慣れたかもしれなかったが。
そうしてセトが空を飛んで集落に向かうと……一番の脅威だったセトがいなくなったからだろう。
レイが見ても一目で分かる程に、二頭の鹿は落ち着いた様子を見せていた。
(これは……セトの存在がよっぽどストレスになってたんだな。正直、セトが可哀想だとは思うけど、これはしょうがないか、もっと時間があれば……それこそ厩舎とかに一緒に入れておけば、やがて自然とセトの存在に慣れるとは思うんだけど。その厩舎がないしな)
そんな風に思いつつ、レイは気分を切り替えて口を開く。
「アナスタシア、ファナ、じゃあそろそろ行くぞ」
ヴィヘラと楽しそうに話していたアナスタシアと、そんな様子を見ていたファナにレイは声を掛ける。
そんなレイの言葉に、二人とも揃って頷く。
ファナはともかく、好奇心の強いアナスタシアにしてみれば、この林はその好奇心を発揮するには十分な場所なのだろう。
その林の中心部分に行くと言うのだから、アナスタシアがそれに否を答えることはなかった。
……唯一心配だったのは、自分達をここまで乗せてきてくれた二頭の鹿だったが、その鹿もレイが連れてきたケンタウロスが世話をするということで決着がついている。
「……それにしても、何であそこまでやる気に満ちているの?」
鹿の面倒を見るだけなのだが、アナスタシアが見た限りでは、それこそ一世一代の大勝負といったような、そんな表情すら浮かべていたのだ。
それに対し、疑問を抱くのは当然だろう。
「正直なところ、ここまで酒の効果があるとは思ってなかった」
「酒?」
林の木々を通り抜けながら呟くレイの言葉にそう尋ねるアナスタシア。
何故ここで酒が出て来るのかが、全く分からなかったのだろう。
そんなアナスタシアに対し、レイは事情を説明する。
……それを聞いたアナスタシアとファナは、どこか呆れたような様子を見せた。
それはケンタウロスの酒に対する情熱に対して呆れたのか、それとも敵地と呼ぶべきこの場所で二日酔いになったことに呆れたのか。
「それで……レイ達がここに来るまで、随分と時間が掛かったみたいだけど。一体何をしてたの?」
周囲の木々にも興味深そうな視線を向けていたアナスタシアだったが、その前にある程度の情報交換はしておいた方がいいと思ったのか、そう尋ねてくる。
「あー、それな。俺も知らなかったけど、この世界と俺達の世界の間には、時差があるらしい。ダムランって知ってるか?」
「ダムラン? ええ、ケンタウロスの集落で会ったわね」
「そうらしいな。そこで何があったのかは、ちょっと気になるけど……それはともかくとして。俺達がこの世界に来てからのことを考えると、大体五十日近い時差があるらしいな。あくまでも大体であって、正確なところは分からないけど」
「ちょっと、それ大変じゃない」
五十日の時差と聞き、アナスタシアも焦った様子を見せる。
だが、レイはそれを落ち着かせようとし……ふと、どう説明すればいいのか迷う。
(まさか、グリムの件を言う訳にはいかないし)
特に好奇心が非常に強いアナスタシアのことだ。
もしグリムのことを知れば、一体どのような騒動を起こすのかは考えるまでもないだろう。
そうなれば、グリムがアナスタシアにどのような対処をするのか……こちらもまた、考えるまでもない。
レイのことは、尊敬するゼパイルの意思と力を引き継いだ者として親しくしているし、それこそ孫のような気持ちすら抱いている。……アンデッドだが。
また、レイの側にいるエレーナ達に対しても、レイと親しい存在だからということで対応はレイ程ではないにしろ、随分と友好的だ。
だが……それがアナスタシアという、レイの知り合いではあっても、そこまで親しい相手ではない場合、どうなるのか。
それは、レイも出来れば知りたくないことだった。
どうするか迷ったレイは、結局グリムのことは隠して、いつものカバーストーリーを口にする。
「俺の師匠が魔法を使ってこの世界と向こうの世界の空間を固定してくれたから、取りあえず心配はいらないぞ」
「師匠?」
「ああ。俺を育ててくれた師匠だ。魔法を魔術と呼ぶような世間知らずだが、魔法についての技術に関しては一級品だ」
その言葉にアナスタシアは林を歩く足を止めて、唖然とした視線をレイに向ける。
レイの魔法使いとしての技量がどれだけのものなのかを知っているからこそ、アナスタシアは驚いたのだろう。
「それ……本当?」
「ああ」
アナスタシアにそう答えるレイに、ヴィヘラが若干呆れの籠もった視線を向ける。
グリムという存在を知っているからこそ、そのような様子を見せるのだろう。
とはいえ、アナスタシアにグリムのことを教える訳にはいかない以上、レイとしては他に選択肢がなかったのだが。
(取りあえず、アナスタシアはグリムのことを知らないと思ってもいいな)
そのことに、安堵する。
ウィスプに異変があってから、レイがトレントの森の地下空間に行くまでの間に、もしかしたらアナスタシアとグリムが接触する機会があったのではないかと、そう思っていたのだ。
一応グリムからは、心配ないと言われてはいた。
だが、それでも万が一ということを考えれば、念の為に確認しておきたかったので、尋ねたのだ。
「そんな訳で、これ以上の時差はないから安心しろ。俺は一度向こうに戻ったりもしたしな。……ダスカー様が、アナスタシアのことを心配していたぞ」
「あははは。……やっぱり?」
アナスタシアも、自分の行動が軽率だったというのは理解しているのだろう。
だが、それでも自分の中にある好奇心を抑えるような真似は出来ず、結果として今こうしてレイと合流している。
それがいいか悪いかは、それこそ本人でなければ分からないだろうし、レイから見てアナスタシアは世界と世界の間に生まれた穴に飛び込んだことを後悔しているようには思えなかった。
どうしても自分の中にある好奇心を我慢することは出来なかったのだろう。
「ダスカー様も、アナスタシアの性格は知ってるだろうから、しょうがないと思ってはいたみたいだけどな。取りあえずドラゴニアスの件が片付いたら、一度ギルムに戻ってダスカー様にしっかりと顔を見せてこいよ」
今すぐにそうしろと言わない辺りは、レイの慈悲だろう。
……もっとも、レイもまたドラゴニアスの件を片付けないで、自分の世界に戻るつもりは全くなかったが。
「そうね。そうさせて貰うわ。今回の件が終わってからになるでしょうけど」
アナスタシアも、ダスカーを心配させているとレイに言われれば、当然のようにそれに対して思うところはある。
何しろ、アナスタシアとダスカーの付き合いは長い。
それこそ、レイとダスカーの付き合いよりもアナスタシアとダスカーの付き合いの方が明らかに長いのだ。
「それで……あ、いや。取りあえず詳しい話は色々とこの集落について調べた後でだな。まずは、こっちの方を片付けてしまった方がいい。何があるのか分からないのは、面倒だし」
色々と、本当に色々と話したいことはあったのだが、そろそろ林を抜けて集落に到着するというのを見てとったレイが、若干残念そうにそう告げる。
アナスタシアも、レイ達が体験してきた一件については色々と話を聞きたいと思っていたのだろう。
しかし……そんなアナスタシアの残念さも、それこそ集落に到着するまでだった。
「これは……精霊がここまで濃いというのは……珍しいわね」
「……精霊が、濃い?」
集落を見るや否や、そう口にしたアナスタシアに、話を聞いていたヴィヘラが疑問を口にする。
精霊が多くいるという表現なら分かるが、精霊が濃いという表現はマリーナとの付き合いがそれなりにあるヴィヘラであっても……そしてレイもまた、初めて聞いた為だ。
レイもまた同様に、精霊が濃いという表現は聞いたことがない。
「ええ。土の精霊がかなり濃いわ。これ……よくこの集落が今まで無事だったわねってくらいに」
「そんなにか。……この林の中にドラゴニアスの死体を置いておくと、翌日には風化してるんだが、それって土の精霊に何か関係あるのか?」
「恐らくそうでしょうね。多分、触れている場所から栄養を吸い取られてるんだと思うわ。林に生えていた木に違和感があったのも、そのせいだと思う」
レイには、アナスタシアの言ってることが全く分からない。
分からないが、それでもこの集落の秘密が……そしてドラゴニアスが狙っているのがそれに関係しているのだろうというのは、予想出来た。
「まさか、ここまではっきり分かるとは思わなかったな。というか……採掘作業が殆ど無駄になったような……」
「あら、無駄じゃなかったかもしれないわよ? 採掘作業をしたことで、アナスタシアが土の精霊の異常を感知出来たのかもしれないし」
「そうだな。取りあえずそういう事にしておこう。後は……酒を少し多く与えておけば、それで解決だろ」
酒で誤魔化そうとするレイに、ヴィヘラは笑みを浮かべ……
「アナスタシア殿! ファナ殿」
そんな声と共に、ダムランと何人かのケンタウロスがやって来る。
ダムランと同じ集落の出身のケンタウロスで……つまり、アナスタシアに対して恩のある者達ということだろう。
「あら……久しぶりね。元気だった?」
感謝と感激を表情一杯に表しているようなダムラン達とは違い、アナスタシアの方はそこまで強い感情を抱いてはいない。
とはいえ、ダムラン達を邪魔だと思っているような訳でもなかったのだろうが。
「ええ。アナスタシア殿のおかげで、集落も危機を脱しました。……ドラゴニアスの本拠地に向かうかもしれないと言ってましたが、まさか本当にここで会えるとは……」
「どこに行くのかは迷ったけど……こっちに来てよかったと思ってるわ。おかげで、ここみたいな不思議な場所も見つけることが出来たし」
不思議な場所? と疑問の表情を浮かべるダムランに、アナスタシアはこの場所のことだと、そう視線で示すのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます