第2325話

「見えました」


 林の中を進んで一時間程。

 やがて、自分の住んでいた集落を見つけたケンタウロスの女が叫ぶ。

 多くの者がその声に視線を先に向ける。

 その集落が現在どのような状況なのかは、見れば明らかだった。

 林の中……それもドラゴニアスが来ないようにと柵を作っている集落だったが、その柵も大半が破壊されている。

 野営地において、レイが地形操作で塹壕を作ったときには、自由に野営地を出入り出来るようにザイと話し合って塹壕を作った。

 だが、林の中にあった集落は可能な限りドラゴニアスから隠れる必要があり……そして、もし見つかっても防衛戦を有利に運ぶ為にか、これ以上ないくらいしっかりと柵が作られていた。

 それも、家畜を逃がさないようにするようなただの柵ではなく、しっかりとした防御用の柵だ。

 しかし……その柵も、現在はその多くが破壊されており、無残な姿を晒している。

 これがどのような理由で起きたのかというのは、それこそ考えるまでもなく明らかだろう。


(そう言えば、林の中に隠れ住んでいたってことだったけど、家畜の類はどうしたんだ?)


 ふと、レイはそんな疑問を抱く。

 ケンタウロスは遊牧して家畜を育てることを生業としている。

 だが、このような林の中では家畜を育てることは不可能……とまでは言わないが、それでもかなり難しいのは明らかだ。

 であれば、一体どうやって自分達の生きる糧を得ていたのか。

 すぐに思いつくのは、狩りだろう。

 林だけに、動物や鳥の類はそれなりに豊富にいてもおかしくはない。

 もしくは木の実の類か。

 しかし、そのどちらであっても集落と呼ぶべき人数の腹を十分に満たせるかと言われれば、微妙なところだろう。

 ともあれ、今はそんな疑問をどうにかするよりも前に、実際に集落に行ってみる必要があった。

 あるいは、もしかしたら、万が一にも集落の中に隠れているケンタウロスがいる可能性があるのだから。

 それを考えると、まずは柵や集落についての疑問を抱くよりも前に、直接集落に向かうのが先だった……が、レイはその前に口を開く。


「止まれ」


 それは決して大きな声ではない。

 だが、それでもケンタウロス達全員の足を止めるだけの力があった。


「どうしたんだ?」

「……集落の中から物音が聞こえてくる」


 レイの五感は、普通の人間よりも鋭い。

 また、草原で暮らしている影響か、視覚、聴覚、嗅覚が鋭敏なケンタウロスと比べても、その鋭さは上だ。

 そんなレイの五感の中でも聴覚が、視線の先に存在する集落から聞こえてくる物音を聞き取ったのだ。

 それが一体何を意味しているのかは、考えるまでもなく明らかだ。

 ケンタウロスが生き延び、集落の後片付けをしている音……ではないことは容易に想像出来る。

 この集落から逃げてきた女達も、それは理解しているのだろう。

 真剣な……そして悲痛な表情を浮かべ、集落の方を見ている。


「お前達はここに残ってくれ。まずは俺達が集落に向かう」


 ザイのその提案は、集落の中で行われているだろう行為……ドラゴニアスがケンタウロスの死体を喰い漁っている光景を、見せたくなかったからだろう。

 だが……ケンタウロスの女はそんなザイの言葉に首を横に振る。


「いえ、私達も行きます。現在、集落にいるのは……私達の仲間なんです。そうである以上、仲間を見捨てるなんて真似は出来ません」


 既に死んでいるのだから、見捨てるも何もないのでは?

 そう思ったケンタウロスもいたが、それでも実際に口に出さなかったのは、何を考えて今のようなことを口にしたのかを理解したからだろう。

 仲間の死体が、例えドラゴニアスに喰われていても……それでも、自分の目でしっかりと見届けると、そう思っての言葉。


「分かった。だが、全員が来るのは不味い。戦闘要員ではない者達もいるしな。その為、半数はここに残って貰う」


 そう告げ、ザイは素早くここに残る者と集落に向かう者に分ける。

 中には自分が集落に行きたい、もしくは集落に行かずここに残りたいと言ってる者もいたが、ザイはその意見を黙殺する。

 今は全員の意見を聞いている場合ではない。

 とにかく、素早く行動することが先だった。

 ……なお、レイとヴィヘラの二人は当然のように集落に向かう側に入っている。

 レイとヴィヘラ程の戦力を、敵が来るかどうかも分からない護衛に回すのは愚策と、そう判断したのだろう。

 それよりは、敵が確実にいる集落に向かった方がいいと。

 レイとヴィヘラもその意見に否はなく、素直に頷く。

 実際にはもし強力なドラゴニアス……それこそ銀の鱗のドラゴニアスがやって来た場合、ここに残した戦力では対処出来ないのだが。

 ただし、銀の鱗のドラゴニアスが拠点から移動しているのは巣分かれの時ぐらいだろうとレイは予想しているので、その辺は特に気にする必要もない。


「よし、じゃあ行くぞ」


 ザイの言葉に、集落に向かう者達は歩き出す。

 そして……集落に近付くにつれ、レイが聞こえていたという音が聞こえてくる。

 それは、咀嚼音であったり、何か硬いもの――恐らくは骨――を噛み砕く音だったりと、様々な音が聞こえてきたのだ。

 それが何を意味しているのかは、ドラゴニアスの飢えを知っている者であれば想像するのは難しくないだろう。

 ぎりっ、と。

 レイの隣を進むアスデナが、奥歯を噛みしめる音が周囲に響く。

 いや、そのようなことをしているのは、アスデナだけではない。

 多くのケンタウロスが、集落の中で現在何が行われているのかを理解し、苛立ちや悔しさ、それ以外も様々な感情を抱いている。

 この集落のケンタウロスと知り合いだという者は誰もいない。

 だがそれでも、集落にいたのはケンタウロスである以上、それを喰い殺されたというのは面白いことではない。


「いいか? まず優先すべきはドラゴニアスの駆除だが、もしかしたら……本当にもしかしたらだが、集落の中にも生き残りのケンタウロスがいるかもしれない。もしそのような相手を見つけたら、最優先で助けるんだ」


 ザイが皆に向かってそう告げるが、それは実際には自分に言い聞かせているようなものだった。

 レイもそれは分かっていたが、ザイの気持ちも何となく理解出来る以上、茶々を入れるような真似はしない。

 そして……やがて一行は、目的地たる集落のすぐ側までやってくる。

 まだ無事な柵に隠れるようにして、そっと集落の中を覗くザイ。

 ……ここまで近付くと、音どころか血生臭い臭いまでもが容易に嗅ぎ取れる。

 それが誰の血なのかというのは、考えるまでもなく明らかだ。


「生きてる奴は……いない。ドラゴニアスの数は……ここから見える限りで二十匹近く。集落全体となれば、百匹単位でいる可能性もあるから、注意しろ」


 ザイの言葉に皆が頷く。

 そして……タイミングを見て、ザイが叫ぶ。


「行くぞ! 同胞の仇を取る! ドラゴニアスの連中に、思い知らせてやれ!」

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』


 ザイの言葉に、他のケンタウロス達も大きな声を上げる。

 それはドラゴニアスを威嚇するという目的もあるが、それ以外にも自分達の中にある恐れを克服するという狙いもあったのだろう。

 ヴィヘラとの訓練で、自分達が強くなっているのは理解している。

 してはいるのだが、それでもやはり自分の中に存在するドラゴニアスへの恐怖を押し殺すという意味があった。

 そんな中、レイとヴィヘラの二人はケンタウロスとは違い、特に気合いを入れるといった様子もなく、集落の中に入っていく。

 当然だが、集落の中にいたドラゴニアスもケンタウロスの雄叫びで新たな敵の……いや、新たな餌の存在に嬉しそうに動き出す。

 ドラゴニアスにしてみれば、自分達の飢えを満たしてくれる相手がやって来たのだから、寧ろ望むところだろう。


「グラガハハジャエハア!」


 そのような聞き苦しい雄叫びと共に、多くのドラゴニアスがレイやヴィヘラ、ケンタウロスに対して襲い掛かる。


(やっぱりヴィヘラに襲い掛かる奴が多いな。……何か、ドラゴニアスだけが理解出来るような、妙なフェロモンとか出してるんじゃないよな?)


 多くのドラゴニアスに襲い掛かられるヴィヘラを見たレイは、思わずそんな疑問を抱く。

 実際、そのようなことでもなければ、理解は出来ない現象だった。

 ……それだけ、ドラゴニアス達にとってヴィヘラが極上の肉に見えたのだろうが。


「おおおおっ! 行くぞぉっ!」


 ザイが雄叫びを上げ、近くにいるドラゴニアスに向かって突っ込んでいく。

 集落はそれなりの大きさで、更には柵の類も戦いの中で破壊されており、戦闘出来る空間は十分にあった。

 ケンタウロス達にとっては幸運なことに、それなりに広い空間であっても、ヴィヘラの肉を求めて集まってくるドラゴニアスが多くなれば、身動きが出来なくなる。

 そんな隙を突き、ザイ率いるケンタウロス達は、ドラゴニアスに攻撃を仕掛けていく。

 当然のようにドラゴニアスも幾らヴィヘラの肉を求めていても、自分に向かって攻撃をしてくる相手をそのまま放っておくような真似は出来ない。

 邪魔をするなと、苛立ちと共に自分に攻撃してきたケンタウロスに向かって爪を振るう。

 だが、当然そんな適当な攻撃が今のケンタウロス達に通じる筈はなく、攻撃を回避してカウンターの一撃を放つ。

 勿論、強靱な鱗に覆われているドラゴニアスだけに、ケンタウロスの攻撃であっさり殺されるといったようなことはない。

 ただし、完全に攻撃を防げるかといえば、その答えは否だ。

 鱗の上から叩かれただけでも衝撃は受けるし、偶然鱗の生えていない場所に攻撃が命中することもある。

 何しろ、ここにいるドラゴニアス達は戦いを終えてから、まだそこまで時間が経っていないのだ。

 この集落にいたケンタウロスはその殆どが負け、ドラゴニアスに食い殺されてしまったが、それでも何も出来ずに負けた訳ではない。

 決死の覚悟により、多くの者が反撃を行った。

 ドラゴニアス達の身体で鱗がなくなっている者が多いのは、それだけケンタウロスも本気で反撃をしたということなのだろう。

 それが、現在のドラゴニアス達にとって思わぬ痛手を被る原因となっていた。

 飢えによって知性が極端に退化しているドラゴニアスには、自分達が何故ダメージを受けているのかは分からなかっただろうが。

 次々と攻撃を行い、その度にダメージを受けるドラゴニアス。

 その一方で、レイは気楽な様子でデスサイズと黄昏の槍を振るい、目に付く端からドラゴニアスを倒していく。

 元々、鱗があってもデスサイズや黄昏の槍であれば、容易に胴体を切断するといったような真似が出来たのだ。

 そうである以上、今のこの状況でレイにとってドラゴニアスという存在は、それこそ動く案山子とでも呼ぶべき存在だった。

 唯一の難点は、一ヶ所にヴィヘラ、ドラゴニアス、ケンタウロスといった面々が集まっているので、その結果として長柄の武器を持つレイにとっては若干戦いにくくなっているといったところか。

 デスサイズや黄昏の槍の柄が、ドラゴニアスにぶつかるのであれば、何の問題もない。

 だが、ドラゴニアスと戦っているケンタウロスに当たるとなれば、それはまた話が違ってくる。

 まさか味方を攻撃する訳にもいかず、レイは寧ろドラゴニアスを殺すよりも味方に攻撃が当たらないように注意する必要があった。


「ヴィヘラ、もっと広い場所に移動してくれ! ここだと、狭くて意図せず同士討ちになる!」

「そうね。そうした方がいいかもしれないわね!」


 そう言いながら、軽く触れただけの掌から魔力による衝撃が放たれ、ドラゴニアスの体内を直接破壊する。

 ヴィヘラのスキルにして奥義たる浸魔掌は、相変わらず相手に触れただけであるにも関わらず、その威力はレイの目から見ても驚きだった。


(いや、以前よりも技の出が早くなってるし、威力も増してるような気がする。……まぁ、ヴィヘラも鍛えてるんだし、技量が上がるのは当然か)


 そんな風に考えながら、レイはケンタウロス数人がタイミングを合わせ、同時に一撃を放って吹き飛ばされたドラゴニアスを黄昏の槍の柄で殴り飛ばしてから、スレイプニルの靴を使って跳躍し、空気を蹴って更に高度を稼ぐ。

 そうして高い場所から見ると、かなり離れた場所にいたドラゴニアスもこの騒動を察してか、戦闘が起きてる場所に近付いてきていた。


「やっぱり百匹近いな。……けど、こんな場所に何でこんなに大量のドラゴニアスを派遣する必要がある?」


 それは、この林に来た時にも抱いた疑問。

 この集落の大きさそのものは、そこまで大きな訳ではない。

 そして逃げてきた女から聞いた話によると、戦士の数もそれ程多くはない筈だった。

 それはつまり、何らかの意味があってドラゴニアスが百匹近くを送ってきたということに他ならない。

 だが、その理由が分からず……ともあれ、レイはドラゴニアスの殲滅を優先するのだった。

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