第2308話
「……出たな」
周囲に響き渡った鳴き声を聞きながら、レイは呟く。
そんなレイの横では、待ち望んでいた相手が姿を現したことに、ヴィヘラは笑みを浮かべていた。
レイから金の鱗を持つドラゴニアスの話を聞いて、強い興味を持ったのだが……この拠点はレイが潰した拠点と比べると小規模である以上、金の鱗を持つドラゴニアスのような存在はいないかもしれないと、そう思っていた。
だが、それでもドラゴニアス達が命令を受けて行動しているように見えたので、指揮を執る個体もいる筈だと希望を残し……今、その希望は叶ったのだ。
実際に、この拠点にいた指揮を執るドラゴニアスがどのような存在なのかは、ヴィヘラには分からない。
レイが倒したという金の鱗を持つのと同じような個体かもしれないし、あるいはそれ以外のもっと別の個体の可能性もある。
それでも、何もいないよりはいた方がいいのは間違いなかった
「なら、俺とセトは赤い鱗のドラゴニアスを倒すから、ヴィヘラは指揮を執っている個体に対処するってことでいいよな?」
「ええ」
一瞬の躊躇もなく、異論はないと頷くヴィヘラ。
そして、月明かりと周囲を燃やしている炎の明かりでも分かる程に、濡れた瞳をレイに向ける。
普通の男なら、目を奪われるような圧倒的な視線の吸引力を持ったヴィヘラに対し、レイは頷く。
その頷きを見たヴィヘラは、大地を蹴ってドラゴニアスの拠点に……正確には先程の声が聞こえてきた方に向かって駆け出す。
レイとセトはそれを見送ると、生き残りに向かって攻撃するべく歩き出す。
最初はレイの生み出した炎によって、半ば混乱していたかのようなドラゴニアスだったが、今は違う。
先程周囲に響き渡った声に反応し、すぐに落ち着きを取り戻したのだ。
……もっとも、ドラゴニアスが落ち着きを取り戻したとはいえ、それで炎が消える訳ではない。
こうしている今もまた、次々とドラゴニアスはレイの生み出した炎によって焼き殺されていく。
ただし、この炎もいつまでも存在している訳ではない。
幾らレイがかなりの魔力を込めたとはいえ、その炎にも一種の寿命とでも呼ぶべきものはある。
それも、炎の寿命は決して長くはない。
十数分といったところか。
ただし、その十数分でドラゴニアスは壊滅的な被害を受けていたが。
そして炎が消えた後も生き残っていたのは、炎に対して強い耐性を持つ赤い鱗を持つドラゴニアスと、偶然……本当に偶然によって炎によって殺されなかった少数のドラゴニアスだけだ。
「セト、じゃあ生き残りを片付けるぞ」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは分かった! と鳴き声を上げて一緒に走り出す。
レイとしては、それこそ敵を素早く倒す為にはケンタウロス達の力を借りた方がいいのでは? と思ったが、炎によって大きなダメージを受けつつ、それでもまだ生き残っているドラゴニアスはともかく、赤い鱗を持っているドラゴニアスはレイの魔法による炎に触れてもダメージを受けない。
そしてレイはその魔法以外に攻撃していなかった関係上、赤い鱗を持つドラゴニアスはほぼ無傷なのだ。
そんなドラゴニアスを相手に、ケンタウロス達に攻撃をしろと言うのは、酷だろう。
ここにいるのがザイのようにケンタウロスの中でも腕の立つ者であれば、レイもその選択をしたかもしれないが。
だが、それが出来ない以上、レイがドラゴニアス達を倒すしかない。
(そもそも、ケンタウロス達は俺がドラゴニアスの拠点を蹂躙する様子を見に来たんだしな)
そう思い、レイはデスサイズと黄昏の槍を手に歩きながら、丘の上に視線を向ける。
そこでは、圧倒的な驚きを持って……それこそ、自分達の見ている光景がとてもではないが信じられないといった様子を見せる、ケンタウロスの姿があった。
レイが強いのは知っていた。
それこそ、ドラゴニアスを倒しているのを直接見たことがあるし、ザイの集落からの伝令が口にした内容を聞いた者もいるだろう。
また、この野営地に来てから合流した、今までザイの集落と接点のなかった集落の者達も、他の者からその辺りの話は聞いていた筈だ。
だが……人から話を聞くのと、自分の目で直接レイがドラゴニアスの拠点を蹂躙する光景は、大きく違う。
今、ケンタウロス達の視線の先で行われたのは、それこそ普通であればとてもではないが信じられないような、そんな光景だったのだ。
「嘘だろ……夢でも見てるのか、俺」
デスサイズで赤い鱗を持つドラゴニアスの胴体を横に切断しているレイを見ながら、丘の上のケンタウロスの一人が呟く。
そのケンタウロスの口から出た言葉は震えており、それこそ怯えていると言われてもおかしくはなかったが……他の者の多くが圧倒され、言葉を発することも出来ずにいるのを考えると、そのように呟くことが出来るという時点で他の者より肝が据わっているのは間違いないだろう。
最初に呟かれた言葉を聞き、他の者も同じように呟けるようになる。
「夢……じゃないよな」
そう言いながら、一人のケンタウロスは自分の腕を抓る。
もしその光景をレイが見ていれば、ベタなところでは同じような反応するのかといったような感想を持ったかもしれないが、それはケンタウロス達にとっても知るところではない。
「ああ。夢じゃない。……この漂ってくる焦げた臭いを嗅げば、これが夢じゃないってのは誰であっても分かるだろ」
「話には聞いていたが、まさかここまで凄いとは思わなかったわね」
「セトちゃんも凄いわよ、ほら」
セトと親しくしている女の言葉に、レイの魔法に圧倒されていたケンタウロス達が改めて戦場に視線を向ける。
そこでは、セトの前足の一撃によって上半身を砕かれるドラゴニアスの姿があった。
「嘘だろ」
そう呟いたのは、ドラゴニアスの鱗がどれだけの防御力を持っているのかを知っている者の一人だ。
ドラゴニアスの鱗は、ケンタウロスの攻撃によって貫くことは非常に難しい。
そうである以上、ドラゴニアスを殺すのはかなりの難易度となる。
だというのに、セトは前足を振るうだけで上半身を鱗諸共に砕くのだ。
その一撃の威力は、到底ケンタウロスとは比べものにならないだけの威力を持つのは明らかだ。
ドラゴニアスと実際に戦った経験のある者であれば、余計にそのような気持ちを抱くだろう。
「これって……レイ達がいれば、本当にドラゴニアスをどうにか出来るんじゃないか?」
「そうだな。……けど、それって頼りすぎじゃないか? 元々この問題は、俺達のものだろう?」
「……けど……」
多くのケンタウロスが、レイに頼りすぎることに問題があるのではないか? と思ってしまう。
……レイが心配していた、自分に頼りすぎるという問題がケンタウロス達自身から出た形だ。
もしこれをレイが知れば、驚くのは間違いないだろう。
とはいえ、今の状況を考えればドラゴニアスにとって最大限に有効な戦力はレイ達だけだ。
そんなレイに頼らない戦いとなれば、ケンタウロスに大きな被害が出るのは間違いない。
「ともあれ、レイはそこにいるんだ。そしてドラゴニアスを一方的に倒すだけの実力を持っているのは間違いない」
そのケンタウロスの言葉に、皆が頷く。
そんな一行が見ている中……ドラゴニアスの拠点の中で、ヴィヘラは一匹のドラゴニアスと相対していた。
「へぇ……レイが戦ったのは金の鱗を持つドラゴニアスだって話だったけど……銀色もいるのね」
ヴィヘラが目の前にいるドラゴニアス……銀の鱗を持つドラゴニアスを前に笑みを浮かべる。
「ゴガアアアガアガガガ」
聞き取り難い鳴き声を口にする銀の鱗のドラゴニアスだったが、ヴィヘラには向こうが何を言っているのか分からない。
ただ、分かっているのは自分の前にいるドラゴニアスが、自分に対して強い敵意を持っているのは間違いなかった。
「あら、私はそんなに美味しそうに思えるのかしら? ふふっ」
そう言うヴィヘラは、目の前の銀の鱗を持つドラゴニアスを挑発するような笑みを浮かべる。
そんなヴィヘラの言葉を理解した訳ではないだろうが、銀の鱗を持つドラゴニアスは唸り声を上げ、ヴィヘラを牽制する。
(どうやら、他のドラゴニアスと違って食料という意味では、あまり私に興味がないみたいね)
ヴィヘラとしては、別に食べられたい訳ではないのだが、それでも相手にされていないというのは、それはそれで面白くないものがある。
銀の鱗を持つドラゴニアスが飢えに支配されているドラゴニアスであれば、あるいは柔らかそうな肉を持つヴィヘラを喰い殺そうとしたかもしれないが。
「さて……とにかく、時間もないことだし……やりましょうか。レイを待たせる訳にはいかないし」
背後から聞こえてくる戦いの音を聞きながら、ヴィヘラは呟く。
戦いの音とはいえ、聞こえてくるのはドラゴニアスの悲鳴や雄叫びが大半だ。
たまにセトの鳴き声も聞こえてくるが。
とにかく、見ないでもそこで何が起きてるのかというのは容易に想像出来た。
そして、レイとセトが戦っている以上、その戦いはすぐに終わるというのもまた、容易に想像出来る。
ならば、目の前にいる極上の敵と戦う際にどうするか。
あまり時間を掛ければ、それこそレイとセトが乱入してくる……ということはヴィヘラの性格を知っている以上ないとはいえ、それでも何か予想外の出来事が起きるという可能性はある。
……何よりもヴィヘラとしては目の前にいる相手と思う存分戦いたいし、それを邪魔されたくないというのが正直なところだったが。
「行くわよ? 十分に楽しませてね」
その言葉を銀の鱗のドラゴニアスが聞いた瞬間……ヴィヘラの姿は目の前にあった。
「ゴガア!」
驚きつつも、半ば反射的に手を振るう銀の鱗のドラゴニアス。
その一撃はただの打撃ではない。
指から伸びている爪は、それこそ金属の鎧すら引き裂くだけの鋭さを持っている。
だが……
「遅いわね」
振るわれた一撃をあっさりと回避し、敵の懐に入り込んだヴィヘラは、その銀の鱗に拳を振るう。
ガギィンッ、という音が周囲に響き渡る。
「硬ぁ……っと!」
銀の鱗は、手甲に包まれたヴィヘラの一撃でも傷一つつけることは出来なかった。
それどころか、その衝撃で微かに腕が痺れる程だ。
当然そんなヴィヘラの隙を見逃す筈もなく、銀の鱗のドラゴニアスは自分のすぐ近くにいるヴィヘラの柔らかな肉を喰い千切ろうと鋭い牙を剥きだしに噛みついてくるが、ヴィヘラはその一撃を回避して距離を取る。
回避することには成功したヴィヘラだったが、それでも予想外に鋭い一撃だったのか、月明かりとレイの魔法で生み出された明かりの中に、数本の赤紫の髪が地面に落下していく。
「ゴガガガガガゴガガアドアアアドオド」
ヴィヘラに向けてそう告げる銀の鱗のドラゴニアスだったが、生憎とヴィヘラは向こうの言葉を理解は出来ない。
「何を言ってるのかは分からないけど……取りあえず、続けていくわよ」
再びヴィヘラは、地面を蹴って敵との間合いを詰める。
拳での直接攻撃が駄目だったのならと、次に用意したのは手甲から伸びた魔力の爪。
銀の鱗のドラゴニアスも、先程とは違って自分のいる方に向かって間合いを詰めてくるヴィヘラの動きを見逃すような真似はしない。
当然のように、ヴィヘラの手甲から伸びている魔力の爪は銀の鱗のドラゴニアスにも見えている。
爪には爪。
そう言わんばかりに、態度で示し……鋭い爪を振るい……次の瞬間、キンッという甲高い金属音と共に、銀の鱗のドラゴニアスの爪が斬り裂かれ、同時にヴィヘラの手甲から伸びていた魔力によって生み出された爪も半ばで折られる。
「やるわねっ!」
だが、ヴィヘラは金の鱗を持つドラゴニアスの話を、レイから聞いていた。
当然のように、この程度で相手を殺すことが出来るとは思っておらず……魔力によって生み出された爪が折られても動じる様子はなく、すぐに次の動きに繋げる。
振るわれる拳だったが、その動きはフェイント。
銀の鱗のドラゴニアスの腕を取り、関節技を仕掛けようとしたのだが、向こうはそれを本能で察したのか、半ば強引に外す。
そこから行われるのは、拳と拳、足と足がそれぞれぶつかり、肘や膝も次々と繰り出される格闘戦。
「あはははは、あははははははは!」
ヴィヘラの口から、我知らず出る笑い声。
そんな戦いが続いたのは、一体どれくらいか。
十分、二十分……もしくはもっと。
そうして時間がすぎ……
「ゴ……ガ……」
最後に地面に倒れていたのは、銀の鱗のドラゴニアス。
結局ヴィヘラは、自分の奥義とも言うべき浸魔掌を出すことなく、戦いに勝利したのだった。
……それも、怪我らしい怪我はしないで。
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