第2284話
「ヴェエエエエ」
集落に向かっていると、そんな声が聞こえてくる。
その声の主は一体誰なのかというのは、それこそ考えるまでもなく明らかだ。
何しろ、その声の主を集落に連れていく為に、こうして地面を歩いているのだから。
……とはいえ、レイは歩いている訳ではなく、セトの背に乗って移動しているのだが。
「ほら、こっちだ」
そう告げるレイだったが、声の主……双頭の山羊は、レイに何を言われなくてもセトの後を追って歩いている。
そもそも、別に首に紐を結んでいる訳でもなければ、逃げないように双頭の山羊の後ろにセト達がいる訳でもない。
そうである以上、双頭の山羊は本来なら逃げようと思えば逃げられる筈なのだ。
だが、今の状況でそのような真似をしないというのは、双頭の山羊にとってもここで逃げるということに意味を見いだしていないからだろう。
……もしくは、ドラゴニアスの脅威を考えなくてもいいというのは、双頭の山羊にとって嬉しいのかもしれない。
ドラゴニアスと戦い、結構な数を倒してはいるのだが、それでも……そう、それでも楽に倒せたという訳ではない。
それこそ、いざ戦いということになってドラゴニアスの得意な近接戦闘をやる羽目になっていれば、双頭の山羊は恐らく負けていただろう。
その辺の事情を考えると、やはり多数のドラゴニアスに攻撃をされた場合、双頭の山羊は不利となる。
だからこそ、自分よりも強いセトに従うという道を選んだとしても不思議ではない。
同時に、セトに従えばレイから再び美味い果実を貰えるかもしれないと、そう思った可能性もある。
双頭の山羊が、その辺りの事情の全てを計算してそのように選択したのかどうかは、レイにも分からない。
レイが見たところ、双頭の山羊はかなりの知能を持つ。
だが、それでもその辺りの事情の全てを理解出来ているかと言われれば……正直、微妙なところだろう。
(まぁ、その理由が何であれ、大人しくこっちに従ってくれるのなら、文句はないんだけどな)
ケンタウロスが複数で掛かってようやく一匹のドラゴニアスと互角なのだが、双頭の山羊は単独で複数のドラゴニアスと戦えるだけの実力を持っている。
それは、ザイ達にとっては非常に頼もしいことだろう。
とはいえ、レイにも不安がない訳ではない。
何しろ、ケンタウロスは非常に誇り高い。
自分達の集落を守る為に、自分達以外の力に頼るというのは、面白くはないだろう。
……それを言えば、レイとセト、ヴィヘラといった面々から協力を受けているのだから、今更では? とレイも思わないことはなかったのだが。
ただ、レイやヴィヘラと違って、双頭の山羊は動物……もしくはモンスターだ。
そうである以上、誇りに関する部分がレイの思っているところと少し違うのだろう。
取りあえずそんな風に考えながら、集落に向かって進む。
進むのだが、実際にはその先に本当に集落があるのかどうか、その辺ははっきりとしていなかったりする。
恐らくこっちの方だろうと、そう思いながらの移動ではあった。
とはいえ、飛んできた方向くらいはセトも分かっているのか、あまり動揺した様子もなく進み続け……やがて、一時間から二時間程が経過した頃、視線の先に集落が見えてきた。
「やっぱり俺とセトが方向音痴ってのは、間違いだったな」
「グルゥ!」
「ヴェー……?」
レイの言葉にセトが同意するように鳴き、そんな一人と一匹の様子を見ていた双頭の山羊は、戸惑った様子で鳴き声を上げる。
まだレイとセトにあったばかりの双頭の山羊だけに、方向音痴という事情については理解出来なかったのだろう。
もし知っていても、セトがいる状況でそのようなことを指摘することは出来なかっただろうし、そもそも意思疎通すら難しいのだから、指摘するような真似は出来なかっただろうが。
「よし、取りあえずザイに双頭の山羊を見せる……ん?」
ザイに双頭の山羊を渡して、少しゆっくりしよう。
そう思ったレイだったが、集落の様子を見てふと違和感を抱く。
別に、ドラゴニアスに襲われて被害を受けているといった様子ではない。……もっとも、ヴィヘラがいる以上、ドラゴニアスが襲ってきても百匹単位でもなければ、集落に被害は出ないと思っていたが。
ともあれ、レイが集落見て抱いた違和感は、そのような理由からではない。
もっと別の何か……
そう疑問に思っていると、やがて集落の方でも近付いてくるレイ達の存在に気が付いたのか、何人かのケンタウロスがやって来る。
「あれ?」
そのケンタウロスを見て、レイの口からそんな言葉が出る。
何故なら、近付いてくるケンタウロス達に見覚えがなかったからだ。
ザイの集落には結構な数のケンタウロスが集まっているので、当然のように戦士として戦っている者も相当数いる。
レイもその全員の顔を覚えている訳ではないが、それでも見覚えのある顔だなと、そんな風に思ってもおかしくはないのだ。
だというのに、近付いてくるケンタウロス達はレイには見覚えがなく……また、ケンタウロス側の方でも、レイ達の存在に酷く警戒しているように思える。
(あれ?)
数秒前に口に出した言葉を、今度は心の中で呟く。
もしかして……と、そんな疑問を抱いたところで、やがて近付いてきたケンタウロスが持っていた槍の穂先をレイに向け、口を開く。
「二本足の者、草原の風を連れて一体何をしに来た」
「……草原の風?」
草原の風と言われてレイが思い浮かべるのは、当然のようにセトだ。
空を自由に飛んでいるのを見れば、それこそ草原の風という表現が相応しいだろう。
だが、すぐにレイはそれを否定する。
草原の風という言葉を、ケンタウロスは通じて当然の単語として使っている。
つまりそれは、草原の風というのはレイも知っていて当然と考えているのだ。
そしてセトと触れあったケンタウロス達の様子から考えて、ケンタウロスはグリフォンという存在を知らないのは間違いなかった。
この世界にグリフォンという種族そのものが存在しないのか、それともこの草原にはグリフォンがやってくることがないからなのか。
その辺の理由はレイにも分からなかったが、それでも目の前のケンタウロス達がセトについて知らないのは間違いなく、そうである以上、セトを草原の風などといった風に呼んだりはしない。
であれば、草原の風というのは……
「お前か」
「ヴェエエ」
レイの言葉に答えるように鳴き声を上げる双頭の山羊。……否、草原の風。
そんな草原の風の様子を見て、ケンタウロス達は少しだけ警戒を緩める。
草原の風の様子から考えて、無理矢理連れてこられた訳ではないと、そう判断した為だ。
……実際には、最初はセトによって存在の格で脅したに近いものだったのだが、幸いなことにその後、レイとセトは草原の風と友好的な関係を築くことが出来た。
ある意味では、それこそが最大のファインプレーだったということなのだろう。
ともあれ、少しだけ警戒を緩めたケンタウロス達に、レイはこれ幸いと尋ねる。
「多分違うと思うけど……ここはザイ……いや、ドラムが長をしている集落か?」
「違う」
一瞬の躊躇もなく、レイに話し掛けてきたケンタウロスは首を横に振る。
それを見て、レイはやっぱりかと思う。
つまり、これは……
(迷子か)
そう、これはまごうことなく迷子だった。
ザイの集落に戻ってきたとばかり思っていたのだが、実際に到着したのは全く見知らぬ集落。
改めて集落の方を見てみると、ザイの集落と色々違うのが分かる。
特に一番大きいのは、やはり集落の大きさだろう。
ザイの集落は、それこそ多くの者が集まってきている関係上、集落がかなり広い。
だが、現在レイの視線の先にある集落は、明らかにザイの集落よりも小さかったのだ。
……空を飛んで移動していれば、その辺りはもっとはっきり分かったのだろうが、生憎と草原の風を連れていたので、ゆっくりとした移動だった。
その結果として、レイは全く違う集落に到着してしまったのだ。
レイの方向音痴が発動された結果だろう。
「そうか。……悪いな。実はドラムが長を務めている集落に向かおうとしていたんだが、間違ってここに来てしまったらしい」
「……はぁ?」
レイの説明は、ケンタウロスにとっては完全に予想外だったのだろう。
最初は見知らぬ相手が近付いてきたと警戒し、二本足の相手に警戒し、草原の風という名前の知られた、それでいて尊敬すべきモンスターがいるという事で警戒し、力ずくで従えられている訳ではないので安心し……そして最後に出て来たのがこれだったのだ。
特にケンタウロスはこの草原で育っている分、集落に向かう途中で道に迷うといったようなことは基本的にない。
だからこそ、レイが道に迷ったというのが分からないのだろう。
「二本足で、見たこともないモンスターを連れている……お前、もしかしてドラゴニアスを殺したって報告のあった奴か!?」
会話に割り込んできたのは、今までレイが話していたのとは別のケンタウロスだった。
驚愕の視線でレイを見ているその様子は、信じられないといった感情を表に出している。
そして、そのケンタウロスの言葉によって他のケンタウロスもレイの様子をじっと見る。
何しろ、ケンタウロスに比べるとレイはかなり小さい。
そんなレイが、自分達では複数で戦わなければならないドラゴニアスを一方的に蹂躙し、拠点を潰したと言われて、信じろという方が無理だろう。
とはいえ、この草原において二本足の存在など非常に希少だ。
その上で、セトを連れているとなれば……ザイの集落から来た情報と符合する場所も多い。
「いや、けど……こんな小さい奴がドラゴニアスを? 幾ら何でも無理だろ?」
その言葉を聞いた瞬間、レイは名案――あるいは迷案――を思いつく。
「なら、ちょっと俺と模擬戦をやってみないか? そうして、俺が勝ったらドラムの集落まで案内してくれ」
「……お前が負けたら?」
「うーん……俺が負けたらか……」
レイとしては、自分が負けるといったことは全く考えていなかった為に、自分が負けたらどうするかといったことが咄嗟に思いつかない。
当然の話だが、そんなレイの思いはケンタウロス達にも感じ取れる。
目の前にいる相手が、全く自分達を相手に負けるつもりはないと知り……半ば苛立ちを覚え、半ば戦士としてレイの技量に興味を抱く。
「そうだな。じゃあ……俺が負けたら、草原の風だったか? そいつにお前達と友好的にするように頼むというのはどうだ?」
結局レイの口から出たのはそんな言葉だ。
だが、そのレイの言葉は本人が思っていたよりも大きくケンタウロス達を動揺させる。
(これって、もしかして草原の風はケンタウロスにとって……いや、草原のってついてるくらいだし、この草原に生きる者にしてみれば大きな意味を持つ存在なのか?)
実際、ケンタウロスでも複数でなければ戦えないドラゴニアスを、逃げながら……そしてドラゴニアスの苦手な遠距離攻撃をメインにした戦い方ではあったが、多数殺しているのだ。
それ以上にドラゴニアスを殺しているレイやセトにしてみれば、そこまで驚くことではない。
だが、ケンタウロス達にしてみれば、草原の風という存在はまさに一騎当千……とまではいかないが、それでも少数のドラゴニアスであれば圧倒出来る存在なのは間違いなかった。
「分かった」
レイの言葉に、先程までレイと話していたケンタウロスは真剣な表情でそう答える。
それだけ、レイが口にした条件は魅力的だったのだろう。
お互いに特に準備が必要ということもないし、すぐに模擬戦が行われることになり……いつものことであるが、ミスティリングからデスサイズと黄昏の槍を取り出したレイを見て驚かれたりもしたが、レイにとっては慣れている反応なので、特に気にした様子はない。
そうして草原で十m程の距離を開けて向かい合う。
ここまで距離を開けたのは、ケンタウロスの戦闘方法というのは基本的に走って勢いを付けてから、その勢いを攻撃に転化させるというやり方だからだ。
その為、ケンタウロスが本気で戦うのなら一定の間合いは必要となる。
レイと戦うケンタウロスは、槍を手に鋭い視線を向けていた。
実際にレイが強いというのは、向き合えば分かる。
それでも実際にどれくらいの実力差があるのかは分からず……
「行くぞ!」
ケンタウロスは自分に気合いを入れるように叫び、地面を走り出す。
レイは見る間に近付いてくるケンタウロスに特に緊張した様子も見せず前に足を踏み出し……そしてお互いがすれ違った次の瞬間、ケンタウロスが持っていた槍はレイの振るった黄昏の槍で弾かれ、もう片方の手で振るわれたデスサイズの柄によって吹き飛ばされるのだった。
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