第2257話

「まぁ、取りあえず今日はここまでか」


 太陽がかなり傾き、夕暮れとなっているのを見たレイはセトの背の上でそう呟く。

 走ろうと思えばまだ走れるが、ここで無理をしても意味がないというのは当然のようにレイも知っていた。

 時間に余裕がないのならまだしも、五日も余裕を見ての旅路だ。

 ここで数時間くらい無理をするよりは、ここはしっかりと休んだ方がいいというのがレイの考えだった。

 ……単純に自分が空腹になっただけというのも大きいが。


「もうか? 俺達は夜でも走り続けることは出来るが」


 若干の不満を滲ませて口にするザイ。

 そんなザイの側では、ドラットもまた不満そう……とはいかないまでも、完全に納得出来ないといったような表情を浮かべている。

 それでもドラットがレイに対して不満を口にしないのは、出発前にレイの言葉に従うようにと念を押されたからだろう。

 ここに来るまでも不満を言うようなことがなかったのが、レイにとっては少し驚きだったが。


「ああ。今日はまだ一日目だ。ここで無理をして多少距離を稼いでも、実際にドラゴニアスを襲う時に疲れていれば問題だしな」


 レイの言葉に、ザイを含めてケンタウロス全員が悔しそうな表情を浮かべる。

 ただでさえ、ケンタウロスとドラゴニアスでは個としての戦闘力が違いすぎる。

 そう、レイが暗に言ったのだと気が付いたからだ。

 かつては草原の覇者と呼ばれていたケンタウロスだけに、ドラゴニアスよりも弱いと言われて許容出来る訳がない。

 それでもここにいる面々は、現実を見られない訳ではなかった。


「分かった」


 そうザイが頷いたのを見て、レイは野営によさそうな場所を探す。

 とはいえここは見渡す限り草原が広がっている。

 今の状況を考えれば、それこそどこで野営をしようとも変わらない。


(岩とか、そういうのがある場所なら一方向を気にしなくてもいいんだけどな。……あ、でもそうなれば敵が岩の上から襲ってくる可能性もあるのか。そうならない為には、やっぱり何もない場所で野営をした方がいいな)


 そう判断すると、レイはセトの背の上から降りてミスティリングからケンタウロス達が使うテントを取り出す。

 二人用のテントが合計五つ。

 本来ならもっと多人数が入るテントを持ってきてもよかったのだが、あの集落では現在多くのケンタウロス達が合流している関係上、テントの予備はそう多くはない。

 そんな訳で、集落に余っていたテントを持ってきたのだ。

 それ以外にも食料の類も出してから、ケンタウロス達に指示を出す。


「さっさとテントを建ててくれ。後は食事をして寝るぞ。明日は朝から早いし」

「見張りはどうするんです?」


 ザイでもドラットでもないケンタウロスの一人は、そうレイに尋ねる。

 集落でも夜には当然のように見張りは必要だった。

 モンスターは勿論、獰猛な肉食獣が襲ってくるという可能性は十分にあるからだ。


「あー……そうだな。どうするか」


 いつもであれば、レイも見張りは必要ないと言う。

 実際、エルジィンにおいて野営をしている時は、基本的にセトがいれば殆どのモンスターや動物が近付いてくるといったことはないのだから。

 セトの気配を察知しても近付いてくるのは、ゴブリンを始めとして頭が悪く野生の勘も鈍い、そんなモンスターか、もしくはそのような能力を持っていない盗賊といったところだ。

 そのような者達が近付いてきても、セトの実力があれば容易に倒すことが出来る。

 しかし、それはあくまでもエルジィンであればの話だ。

 この世界においても、セトの実力が通用するかどうかはレイにも確信がない。

 ドラゴニアスと戦った時は、セトを前にしても逃げるといったようなことはなかったのだから。

 実際にはドラゴニアスの場合は自我の類がなく、飢えに支配されて動いていた。

 そんなドラゴニアスだからこそ、セトを前にしても逃げるのではなく、大きな肉であると認識したのだろう。

 その一件があったのを考えると、やはりレイとしては素直にセトだけに任せるといった真似は出来ない。


「そうだな。基本的にはセトがいれば大抵のモンスターや動物は寄ってこないんだけど、この世……いや、この草原は来たばかりだし、分からないんだよな」


 この世界と言いそうになったのを、慌てて誤魔化すレイ。

 そんなレイの様子に、ザイとドラットの二人が視線を向けていたが、今の一件だけで何かが分かる筈もなく、ザイは口を開く。


「なら、どうする?」

「取りあえず二人一組で野営をする。この人数なら、見張りをする時間は短くなるだろうし」

「二人一組? レイはどうする?」


 ドラットのその言葉に、レイは自分は一人でいいと告げる。


「俺は基本的にセトと一緒に行動しているからな。だからこそ、俺はセトと一緒にいればそれで問題なく見張りは出来る」

「そうか」


 レイの言葉に納得したのか、それともこれ以上言っても意味はないと判断したのか。

 その辺はレイにも分からなかったが、ともあれドラットはそれ以上何も言うことはなかった。

 他に誰も意見はないと判断すると、レイは改めて口を開く。


「よし、じゃあ野営の準備だ」


 レイの合図に従って、ケンタウロス達が野営の準備を始める。

 それぞれが自分のやるべきことを分かっているのか、テントの準備をする者、食料の準備をする者、薪を探しにいくついでに、周囲の様子を確認する者。

 遊牧民族だけあって、ケンタウロス達の行動は素早く、無駄がない。

 レイが少しだけ驚いたのは、ザイはともかくドラットもしっかりと作業を行っていたことだ。

 取り巻きに囲まれているところを見たレイとしては、ドラットはその手の作業をせずにただ見ているだけかと思ったのだ。

 そんなドラットの様子を見て、ドラットの評価を少しだけ上げる。


「レイはどうするんだ?」


 ケンタウロス達の仕事を見ていたレイは、ザイからそんな声を掛けられる。

 これから野営だというのに、何かの準備をするでもなく、ただじっと自分達の様子を眺めていたレイがきになったのだろう。


「俺の場合は、すぐに終わるからな」


 そう言いながら、レイは他の者達の邪魔にならないような場所まで歩き、ミスティリングの中からマジックテントを出す。

 マジックテントはそのまま使える状態でミスティリングに収納されているので、ケンタウロス達のようにテントを建てる必要はない。


『おお』


 レイがマジックテントを取り出したのを見て、ケンタウロス達が驚きの声を出す。

 ミスティリングを使うというのは、もう何度か見たので特に驚くようなことはない。

 だが、ミスティリングから取り出されたマジックテントが、そのまま既に使える状態になっているというのは、ケンタウロス達にしてみても驚くべき光景だった。


「そのテントは、見たことがないな。レイの住んでいる場所では普通に使われているのか?」


 興味深い様子で、ザイがレイに尋ねる。

 その口調にどこか得意げな様子があるのは、自分達のテントの方が格上だと思ったからだろう。

 実際、ケンタウロス達が使うテントに比べれば、レイの取り出したテントはかなり簡素な物に見える。

 それは間違っていない。間違っていないが……あくまでも外見はの話だ。


「中をちょっと見てみるか?」


 レイがそう言ったのは、自分の使っているマジックテントに強い愛着があったからだろう。

 そのマジックテントがケンタウロス達が使っているテントよりも下に見られるというのは、あまり面白い話ではなかった。


「いや、中と言っても……見るまでもないのでは?」

「そうでもないぞ。外見を見ただけでは分からないというのもある。俺の使ってるテントもそんな感じだ」


 そう執拗に勧めるレイに、ザイは他のケンタウロス達のお前に任せたという視線を向けられたこともあり、行動に移る。

 今回の遠征はレイの能力に頼った行動なのだ。

 そうである以上、レイの機嫌がいいに越したことはない。

 そんな思いを込めて、ザイはマジックテントの前まで移動する。

 レイが使うのであればそれなりに余裕があるように見えるが、自分達ケンタウロスが使うのであれば、それこそかなり狭い。

 そんなマジックテントの中に顔を入れ……


「……何……だと……」


 次の瞬間には動きを止め、ザイが驚愕と共にそう呟く声が外にいる者達にも聞こえてきた。

 一体何が? と、外にいた者達がそう思うのは当然だろう。

 マジックテントの周囲で様子を見ていた者達は、中を覗いたザイがすぐに顔を出して適当に誤魔化すだろうと、そう思ったのだ。

 なのに、ザイは数秒……いや、数十秒経ってもマジックテントから顔を出すような真似はしない。


「ザイさん? 一体どうしたんですか? ザイさん!」


 動きを止めたザイを心配したのか、ケンタウロスの一人がそう声を掛ける。

 その声で我に返ったのか、ザイはテントから顔を出す。

 その顔には驚愕の色が浮かんでおり、とてもではないがただのテントを見た訳ではないというのは明らかだ。


「……」


 そしてマジックテントから顔を出しはしたが、何か言葉を口に出来る様子ではない。

 ケンタウロスの中には、もしかしたらレイが何か妙な罠でも仕掛けたのか? と思う者もいた。

 だが、レイがそのようなことをして、一体どんな利益があるのかと言われれば、答えられる者もいないだろう。

 だからこそ、ケンタウロスの一人はマジックテントが一体何なのかと考えて顔を突っ込み……


「うおっ!」


 マジックテントの中から聞こえてきたのは、そんな驚きの声。

 そして数秒後にケンタウロスが顔を出すが、その顔にはザイ程ではないにしろ、驚愕の色がある。

 ザイのように茫然自失な状態にならなかったのは、ザイの様子からとてもではないが信じられない何かが広がっていると、そう理解出来たからだろう。


「中に何があった?」


 ドラットの問いに、マジックテントの中を見たケンタウロスは驚きの色を残しつつも口を開く。


「見たこともないような部屋があった」


 驚きと共に呟かれたその言葉に、また別のケンタウロスがマジックテントの中を見る。

 数秒後には、先程のケンタウロスと同様に驚きの表情を浮かべながら口を開く。


「うん、部屋があった。それもかなり広い。……とてもじゃないけど、このテントの広さとは比べものにならないくらいの」


 その言葉に、我も我もと他の者達もマジックテントに顔を突っ込む。


「レイ、これは一体……」


 我に返ったザイが、一体何がどうなってこうなったのかと、そうレイに尋ねる。


「マジックテント。その名前にマジックとついてるから分かりやすいと思うけど、マジックアイテムの一種だ。効果としては、見ての通り中の空間が拡大されている」


 見た目はそこまで大きなテントではないが、このマジックテントがあれば野営の為にぐっすり眠ることが出来ない……といったようなことは心配しなくてもいい。

 もっとも、快適すぎて一度このマジックテントを使えば普通のテントで寝るのが難しくなるという欠点はあるのだが。


「マジックアイテム……これも、か……」


 レイが持つマジックアイテムを、ザイを含めてケンタウロス達は何度か見ている。

 ミスティリングもそうだし、デスサイズや黄昏の槍も同様だ。

 それでも、このマジックテントは今まで見てきた中でも明らかに違うマジックアイテムだった。


「ああ。野営用のマジックアイテムだ。お前達が持つテントもかなり快適みたいだけど、俺のマジックテントも負けてないぜ?」

「それは、比べるのが間違いだろう」


 若干不服そうにザイが言葉を返す。

 ザイ達が使っているテントは、普通のテントに比べればかなり快適に過ごせるようには出来ている。

 だが、それはあくまでもテントとしては極上という意味であって、レイの持つマジックテントのように、しっかりとした部屋が完備された物と一緒に出来る筈がない。

 住む場所という意味では同じなのだが、やはり持ち運び出来るように設計されているテントと、普通の家にあるような部屋がそのまま存在するマジックテントとでは、どうしても違ってくる。

 そう主張するザイに対して、レイとしては住む場所という意味では同じなのでは? と思う。

 思うのだが、これ以上ここで話していては夜になってしまう。

 既に太陽も半分近くが沈んでおり、そう遠くないうちに夜になるのは明らかだった。

 その前に、せめて焚き火の準備くらいはしておく必要がある。


「ほら、マジックテントについてはもう終わりだ。それよりもさっさと野営の準備をしないと、もう少しで夜になるぞ!」


 レイの指示に従い、ケンタウロス達が野営の準備に戻っていく。


「グルゥ」


 それを見送っていたレイは、不意にセトが鳴き声を上げたのが気になって視線を向けると、そこには七面鳥くらいの大きさの鳥の死体を地面に置き、褒めて褒めてと期待の視線を向けているセトを見つけるのだった。

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