第2225話
「グルゥ……」
目の前の巨大な水狼を前に、セトは戸惑ったような鳴き声を上げる。
レイがいきなりこの水狼に攻撃しないで近付くといった時には、レイの安全を考えて反対したセトだったが、まさか本当に上手くいくとは思っていなかったのだ。
それこそ、近付いてきた……それも、持っていた武器をミスティリングに収納した状態のレイを前にすれば、即座に襲い掛かってもおかしくはなく、そうなったら即座にその場から逃げ出そうと考えていたセトだけに、水狼の反応は完全に予想外だった。
戸惑っているセトをよそに、レイは水狼に話し掛ける。
「俺は、別にお前と敵対するつもりはない。もしかしたら、湖の側で俺とガガが戦ったのが原因でお前を刺激したのかもしれないが……そんなつもりはなかった」
「……」
言葉を理解しているのか、それともただ聞いているだけなのかはレイにも分からない。
だが、水狼が自分を見てくる目の中には、間違いなく高い知性があった。
レイはそんな水狼の様子から、戦わなくても説得は可能だと判断する。
戦えばいずれは勝てるだろう。
だが、そうして勝つ為に必要になるのは、最悪湖そのものの消滅だ。
異世界から転移してきた湖という、この世界においても稀な存在。
それを消滅させるようなことは、出来ればレイとしては避けたかった。
だからこそ、水狼と話し合えればと、そう思ったのだ。
目の前にいる巨大な水狼は、レイから見ても明らかに高い知性を持っている。
迫力という点では、現在も湖の側で燃え続けている巨大なスライムに負けているかもしれないが、本能だけで生きているスライムと目の前の巨大な水狼は全く違う。
一瞬燃えているスライムの方に視線を向けたレイだったが、不意に水狼はそんなレイの視線を追うように燃え続けているスライムを見る。
スライムを見て、一体何を思ったのかはレイにも分からない。
だが、目の前にいるレイがスライムをそのような状況にしたというのは、水狼にも理解出来た。
湖の水を自分の身体にしている水狼にとって、本来であれば炎を使うレイは敵対しても容易に倒せる相手ではある。
だが……それはあくまでも普通であればの話だ。
実際、水狼の前足一本の肩の辺りまでを一瞬にして破壊された事実がある。
それこそ、戦うにしても容易に勝てる相手ではないというのは、水狼にもしっかりと理解出来た。
そんな状況である以上、向こうが敵対を望まないのであれば水狼としてもわざわざ好んで敵対をしようとは思わない。
「……ワウ」
レイを見て、水狼が短く一声だけ鳴く。
瞬間、湖の側で冒険者やリザードマン、騎士と戦っていた小型の水狼は、その全てが狼の形を保つことなく水となり、地面に幾つもの水溜まりをつくる。
水狼と戦っていた者達にしてみれば、いきなり戦っていた相手が水になって消えたのだ。
かなり意表を突かれ……中には、攻撃している最中に水になって消えてしまわれたことにより、攻撃しようとした勢いで転んでしまった者もいる。
また、水狼が水になったからといって、油断をする訳にもいかない。
水が水狼となって――正確には巨大な水狼が自分の身体を構成する水から生み出したのだが――襲い掛かってきたのだ。
その水狼が水となって地面に散らばっても、またその、水が水狼にならないとも限らなかった。
「レイがやったのか?」
「多分そうだと思うけど……見ろよ、あれ」
冒険者の一人が湖の方に視線を向けると、そこにはまだ巨大な水狼が立ったままだ。
レイがやったのか? と言った者が期待したように、巨大な水狼を倒したという訳ではない。
そうなると、一体何故水狼が攻撃を止めたのかと、何人もが疑問を持ち……
「おい、もしかしてレイの奴……あの巨大な水狼をテイムしたとか、そんなことはないよな?」
普通であれば、何を馬鹿なと呆れられてもおかしくはない言葉。
だが、レイの場合はグリフォンのセトをテイムしたという実績を持っているし、異名持ちの冒険者である以上はそのくらいのことをしてもおかしくはないという思いがあるのも事実だった。
また、自分達を攻撃していた水狼が攻撃を止めて水に戻ったという事実もある以上、皆がもしかしたら……という思いで離れた場所にいるレイと水狼を見る。
そんな中、少しだけ複雑そうな表情を浮かべているのは、ゾゾだ。
ゾゾもまた、正確には違うが、表向きとしてはレイのテイムされたリザードマンという扱いになっている。
とはいえ、ゾゾ達のように転移してきたリザードマンは、ダスカーがその人権を認めて人として扱うという方針を定めている。
今はまだモンスターという扱いだが、将来的にはエルフやドワーフ、獣人のような亜人といった扱いになる。
そういう意味では、ゾゾはいずれレイのテイムモンスターという扱いではなくなる筈だった。
「ともあれ、水狼と戦わなくてもいいようになったのなら、そこまで問題はないけどな」
しみじみといった様子で、冒険者の一人が呟く。
水狼そのものは弱い。
それこそ、速度や攻撃力はそれなりだったが、身体を潰されたり切断されれば水となって地面に散らばってしまうので、非常に打たれ弱いのだ。
総合的な戦闘力で考えれば、ゴブリンよりも若干上といったくらいだろう。
そんなモンスターだけに、腕利きの冒険者が揃っているこの場の者達にしてみれば、倒すのは難しい話ではない。
問題なのは、その数だった。
一撃で倒すことが出来ても、その一匹を殺す間に二匹、三匹、四匹と水狼は生み出されて増えていくのだ。
レイとセトが動いたことで、生み出された水狼もそちらにある程度の数が向かったが、それはあくまでもある程度でしかない。
防御力は紙と言ってもいい水狼だったが、その攻撃力はそれなりにある以上、攻撃されれば回避するなり防御するなりする必要があった。
「ともあれ……レイのおかげで助かったのは、間違いないな」
冒険者の一人が呟き、その言葉に皆が頷くのだった。
「さて、俺達が敵じゃないというのは、分かって貰えたか?」
巨大な水狼から生み出された小さな水狼がそれぞれ水に戻ったのを見たレイは、確認するようにそう尋ねる。
そんなレイの言葉を、水狼は特に返事をするでもなく、じっとレイを見ていた。
「あー……えっと、その……取りあえず敵じゃないのは分かってくれたんだよな?」
「ワン」
レイの言葉に答えるように、短く鳴き声を上げる水狼。
水で出来た身体のどこに声帯があるのかといったことを一瞬思ったレイだったが、それを言うのであればセトだってその巨体を飛ばすのに、今の翼だけでは無理だ。
そんな無理が普通に出来るからこそ、ここは剣と魔法のファンタジー世界なのだろう。
「うん、だよな。俺達に対する攻撃も止めてくれたし。……で、お前はこの湖に住んでいるモンスターってことでいいのか?」
続けて尋ねるレイだったが、水狼はその質問には答えない。
元々答える気がないのか、それともレイの言葉が分からないのか。
(いや、言葉が分からないってことは、敵じゃないかとか、そういうのを聞いた時にも答えられないけど、さっきは普通に答えたよな。だとすれば……何か別の理由があるのか?)
水狼を前にして、レイは疑問を抱く。
取りあえず敵対することは止められたのだが、この先は一体どうなるのか。
そんな疑問が、レイの中にはあった。
(最善の結果としては、この水狼を説得して仲間になって貰うこと。……テイムとかそんな感じでもいいけど。妥当なのが、基本的にはお互いに関わらないようにすること。そして最悪なのは……敵対すること、か)
水狼という存在は、異世界からやって来たモンスターであるにも関わらず、非常に知能が高い。
モンスターについて興味を持っている者や、単純に学者として詳しい事情を知りたい者などにしてみれば、水狼という存在は非常に興味深い存在なのは間違いない。
そして……生誕の塔の周囲にあるベース基地とでも言うべき場所には、エルフの学者たるアナスタシアの姿がある。
そんなアナスタシアにしてみれば、水狼がそこまで知識が高いのであれば、それこそ絶対に関心を抱くだろう。
レイはウィスプを舐めて味を確認するような真似をしていた、その美貌からは考えられないようなアナスタシアを思い出す。
(うん、間違いなくアナスタシアが水狼について詳しいことを知れば、興味を持ちそうだな。この湖も、あのウィスプが転移させた以上、何らかの意味があるとか考えるかもしれないし)
アナスタシアと水狼は絶対に接触させないようにしよう。
そう思いながら、レイはミスティリングの中からオークのブロック肉を取り出す。
身体が水で構成されている以上、オークの肉を食べるかどうかは分からないが、水狼はその名の通り狼の姿をしている。……もっとも、水狼と名付けたのはレイなので、名前の通りというのがこの場合相応しいかどうか分からないのだが。
ともあれ、水狼と少しでも友好的になれればいいと思って、オーク肉のブロックを取り出すと、水狼は今までレイの言葉の殆どに反応しなかったのが嘘のようにオーク肉のブロックに興味を示す。
「ワウ?」
すんすん、とレイの手にあるオーク肉のブロックの匂いを嗅ぐ水狼。
水で身体が出来ているのに、匂いを嗅げるのか? と思わないでもなかったが、レイが見た感じではしっかりと匂いを嗅げているように思えた。
「食えるか?」
「グルゥ……」
レイの言葉に、水狼……ではなく、セトが少しだけ不満そうに喉を鳴らす。
このブロック肉は、本来ならセトが食べる肉だった筈なのだ。
勿論、レイのミスティリングに入っている肉は、これだけではない。
それこそ、食べきれないだけの様々な肉が入っている。
だが、それでもセトにしてみれば水狼に肉を食べられたくないと、そう思ったのだ。
……普段のセトであれば、そこまで気にすることはないだろう。
それこそ、野営をしながらレイがミスティリングから取り出した肉を多くの者に振る舞うということは、そう珍しいことではないのだから。
それでもセトが水狼に対して肉を渡したくないと思ったのは、水狼がレイに攻撃したというのもあるし、レイが水狼に構っているのが羨ましいという……一種の嫉妬だろう。
セトがそれを認識してるかどうかは、また別の話だが。
「ワン」
レイの言葉に、水狼は短く鳴くとオーク肉を口で咥え、呑み込んでいく。
夜ではあるが、月明かりのおかげであったり、夜目の利くレイだからこそ、水狼が呑み込んだ肉が身体の中を通っていくのを見ることが出来る。
そして腹の中に入ると、肉は次第に溶けていく。
(胃酸とかか? それとも、単純に水狼の身体の中が強酸の類だったりは……しないよな?)
肉が溶けていく光景を見て若干疑問を抱くレイだったが、水狼は溶けていく肉の味を楽しんでいるのか、嬉しそうに目を細めている。
取りあえず、プレゼントは成功したと思って、間違いないだろう。
「なぁ、お前のことを水で出来た狼……水狼って呼んでるんだけど、問題はないか?」
「ワウ? ……ワン」
レイの言葉に、水狼は少し考えてから了承の返事をする。
(異世界からやって来たのに、完全にこっちの言葉を理解してるな。……リザードマン達でさえ、まだ言葉を理解出来てない奴もいるのに)
セトと同じ獣型のモンスターの為に、今まではそこまで気にすることはなかった。
だが、改めて考えれば、こうして水狼が自分の言葉を理解するというのは、驚くべきことだ。
「身体が水だけに、俺達の会話を聞いてた……とか?」
水である以上、湖の中にいればそう簡単に見つかるようなことはない。
そうである以上、湖の中で会話を聞いていて、それで覚えたという可能性も否定は出来ない。
だが、そんなレイの疑問に水狼は特に何を言うでもなく……いや、言葉を発するようなことはせず、まだ肉の味を楽しんでいた。
普通なら肉に限らず食べ物の味を楽しむのは、舌だ。
喉ごしを楽しむというのもあるし、レイが日本で見た料理漫画の中には熱々の春巻きを喉と食道、胃で楽しむといった料理もあったが、それは基本的に例外だろう。
そんなレイに対し、水狼は胃……かどうかは分からなかったが、ともあれ丸呑みにして体内で徐々に溶かしていくといった食べ方で味を楽しんでいる。
そんな水狼の様子を見て、レイは改めて口にする。
「取りあえず、今日はもう遅い。明日の午前中にでももう一回出て来てくれるか? 水狼が俺達と友好的にやっていくのなら、色々とお互いに話しておいた方がいいこともあるだろうし」
レイの言葉に、水狼は少し考えた後で承諾の鳴き声を上げるのだった。
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